植草甚一著『モダン・ジャズの勉強をしよう (植草甚一ジャズ・エッセイ大全①)』(1998)

 

49歳にして突然、ジャズのトリコになってしまったJJ氏こと植草甚一。その猛烈な「勉強」のすべてを集めたエッセイ集。モダン・ジャズが何故人を魅きつけ、熱くさせるのか、JJ氏が独特の文体でその秘密を綴る。

1 モダン・ジャズへの誘い
2 ブルースからバップへ
3 ファンキーの音をたずねて
4 モダン・ジャズの方向をたずねて
5 ジャズ・アヴァンギャルドとは
6 ジャズの十月革命
7 ニュー・ブラック・ミュージック
8 ジャズはどんどん新しくなってゆく
9 モダン・ジャズと映画
10 モダン・ジャズとコーヒー

 

W. T. アンダーソン著,伊東博訳『エスリンとアメリカの覚醒-人間の可能性への挑戦』(1998)

 

本書は1960―70年代にアメリカで起こったヒューマン・ポテンシャル運動を語るに欠かせないエスリン研究所の物語風年代記である。マズロー、パールズ、メイら人間性心理学の巨星の知られざるエピソードが激動のアメリカとともに語られる。 

プロローグ―エスリンとのかかわり
第一章 
 1961年、アメリカの希望に満ちた時代
 /オルダス・ハクスリーの「人間の可能性」(ヒューマン・ポテンシャリティ)
第二章
 「エスリン研究所」、その場所・地形・構造・歴史
 /創立者、マイケル・マーフィーの生い立ちと経歴
第三章
 マーフィーとプライス、「スレート温泉」に移り住み経営を始める
 /アラン・ワッツ、ロッジでセミナーを始める(1961年1月)
第四章
 「ヒューマン・ポテンシャリティ」、エスリンの「古典時代」
 /オルダス・ハクスリー、最初にして最後のエスリン訪問(1962年1月)
第五章 
 第2回「人間可能性」シリーズ(1963年冬~翌春)
 /エスリン研究所の三つの目玉商品、全て1963年にビッグサーにやってくる
第六章
 「エスリン研究所」と命名、多彩なセミナーの展開(1964から65年)
 /エスリンの直面した新しい諸問題
第七章 
 「意識変革」に向けてのろしが上がる(1965年)
 /マーフィーとプライス、相違を越えて仕事を分担
第八章
 1967年、ヒッピー文化カリフォルニアに起こる
 /エスリン・プログラム、からだの再発見・感覚をひらく
第九章
 1960年代末のエスリン、全国に知られる
 /フリッツとシュッツ、その対立と葛藤
第十章
 エスリンの拡張期始まる(1968年)
 /ヒューマニスティック心理学会の創立
第十一章
 1970年のエスリン研究所、ヒューマン・ポテンシャル運動の頂点に立つ
 /三つのエスリン(①ゲシュタルト ②エンカウンター ③サンフランシスコ・エスリン)
第十二章
 エスリンの沈滞期、「宿泊プログラム」の終焉、自殺、外部からの批判
 /マンソン事件(シャロン・テート殺人事件)とエスリン
第十三章
 1970年代初期のエスリン研究所、拡大を続ける
 /エスト(エアハルト・セミナーズ・トレーニング)の進出
第十四章
 1977年、サンフランシスコ教室の撤退
 /エスリンに対する批判の増大、左翼からも右翼からも、皮肉る映画界
第十五章
 リチャード・プライス、エスリンの中心人物となる(1977年)
 /ラジニーシの動きまわる瞑想(東洋と西洋の統合)
第十六章
 1980年代、落ち着いた時期を迎える
 /子どもたちのために自然の中の学校「ガゼボ」発足(リーダーマン)
エピローグ(1989年追記)

 

文化出版局編 『ハイファッション デザイナーインタビュー。』(2012)

 

雑誌『ハイファッション』に掲載されたデザイナーのインタビューが一冊の本に。現在も第一線で活躍する国内外の総勢55組が、2005年から2010年に掛けて本誌に語った言葉を通じて、時代や現代ファッションの魅力が浮き彫りになる。

インタビュー掲載デザイナー(50音順) アダム・キメル/アナ・スイ/アニエスベー/阿部潤一(カラー)/阿部千登勢(サカイ)/アルベール・エルバス(ランバン)/アルベルタ・フェレッティ/アレキサンダー・ワン/アレクシ・マビーユ/アンソフィー・バック/伊藤壮一郎(ソーイ)/ヴィヴィアン・タム/宇津木えり(メルシーボークー、)/尾花大輔(N.ハリウッド)/勝井北斗、八木奈央(ミントデザインズ)/キーン・エトロ(エトロ)/北村信彦(ヒステリックグラマー)/清永浩文(SOPH.)/熊谷和幸(カズユキ クマガイ、アタッチメント)/クリス・ヴァン・アッシュ(ディオール オム)/クリストファー・ベイリー(バーバリー プローサム)/黒田雄一(ラッド ミュージシャン)/小林節正(. . . . . RESEARCH)/コンスエロ・カスティリオーニ(マルニ)/ジャイルズ・ディーコン(ジャイルズ)/ジャック・マッコロー、ラザロ・ヘルナンデス(プロエンザ スクーラー)/ジャン・トゥイトゥ(A.P.C.)/ジャンポール・ノット(ジャンポール ノット、ノット)/ステラ・マッカートニー/ソフィア・ココサラキ/高橋 盾(アンダーカバー)/トゥイ・ファム、青木美帆(ユナイテッドバンブー)/トム・ブラウン/ドリス・ヴァン・ノッテン/中野裕通(ヒロミチ ナカノ)/中村ヒロキ(ビズビム)/ナルシソ・ロドリゲス/ニール・バレット/信國太志(タイシ ノブクニ、サイコテーラー)/ハイダー・アッカーマン/フィリップ・リム(3.1 フィリップ リム)/フランシスコ・コスタ(カルバン・クライン コレクション)/古田泰子(トーガ)/ポール・スミス/堀川達郎(ユリウス)/マウリツィオ・ペコラーロ/マリオス・シュワブ/ミウッチャ・プラダ(プラダ)/三原康裕(ミハラヤスヒロ)/メゾン マルタン マルジェラ/柳川荒士(ジョン ローレンス サリバン)/ラフ・シモンズ/リック・オウエンス/ルカ・オッセンドライバー(ランバン)/ロベルト・カヴァリ

 

植草甚一著『植草甚一スクラップ・ブック6 ぼくの読書法』(2004)

 

1 洋書捜しと古本屋(わが道はすべて古本屋に通ず;本の話だとすぐ古本屋歩きのことになる ほか)
2 おかしな本、おかしな人々(コレットモナ・リザエリア・カザンの話;おかしな世界には、おかしな人物がいつでも登場する ほか)
3 本から世界を見ると(クーデターがやりたければ誰にだってできるというので読んでみた;本や雑誌の記事から見ると)
4 文学に何が起こったか(ゴシック・ロマンの世界;ヨーロッパの文学を斜めに読んでみよう ほか)

 

吉武由彩「献血を重ねることと互酬性の予期 ―聞き取り調査の結果から見る献血行為の一断面―」『社会学評論』2020年, 71巻, 3号, p.429-446

本文

近年献血者数の減少が問題となっているものの,社会学における献血の研究は少ない.献血をめぐっては,「将来自身や家族も血液製剤を使用するかもしれないから」という献血動機が語られる場合がある.これは互酬性を予期する語りである.他方で,この語りの背景には採血事業者などへの信頼があると考えられる.本稿ではこうした信頼について確認したうえで,献血者がどのように互酬性を予期するのか,その内容を検討した.

調査の結果,献血者は採血事業者,血液事業,血液の特殊性,他者の行為への信頼を持つことがわかった.互酬性の予期については,事故や怪我,病気や手術,漠然としたものとして,自身や家族が血液製剤を使用する場合があると語られた.献血したことによる血液製剤の優先還元を期待する場合や,血液以外の「贈与」を受けるという語りも見られた.この中でも,事故や怪我という語りは頻繁に聞かれたものの,実際はそのような場合にはあまり血液製剤は使用されない.現在「健康」な青壮年の献血者にとって,病気の場合はリアリティがなく,事故や怪我の方がリアリティがあることがうかがえた.他方で,血液製剤の使い道について充分に知らないまま,献血をくり返す場合があることがわかった.その背景には,採血事業者や血液の特殊性への強い信頼が確認された.献血者を増やすには,互酬性の予期だけではなく,特に採血事業者への信頼を高めていくことが重要だということを指摘した.

 

香月孝史著『乃木坂46のドラマトゥルギー-演じる身体/フィクション/静かな成熟』(2020)

 

乃木坂46の舞台演劇への傾倒に着目して、アイドルが「演じる」ことの意味を解きほぐす。アイドル文化が抱える課題も指摘しながら、乃木坂46がそれらと対峙して獲得した「静かな成熟」、それを可能にする社会的なコンテクストを浮き彫りにする文化評論。

まえがき

第1章 AKB48の〈影〉と演劇への憧憬
 1 “どうせアイドルだし”――ポップアイコンの困難
   社会に浸透するAKB48
   「アイコン」を担う
 2 AKB48の〈影〉
   よりどころなき「公式ライバル」
   シャドーキャビネット
 3 発端としての演劇
   形骸化した〈影〉
   舞台演劇への憧れ
   AKB48と乃木坂46――「演劇性」の表裏

第2章 演劇とギミックのはざまで
 1 『16人のプリンシパル
   「物語性」を宿す
   俳優を育む組織
 2 二つの志向の合流地点
   パーソナリティを映す装置
   ねじれた権限
 3 未完のコーラスライン
   『16人のプリンシパル』の特殊な負荷
   いびつなコンテンツの隘路

第3章 「専門性」への架橋
 1 アイドルと演劇
   『プリンシパル』の先へ
   スターシステムを手放す
 2 形骸の外へ――二〇一五年の『すべての犬は天国へ行く』
   シリアス・コメディ
   男社会が押し付けた檻
   「本職じゃない」への対峙
   「本職」と共振するアイドル

第4章 乃木坂46の映像文化とフィクションの位相
 1 演技の機会としてのMV
   二つの顔をもつ「君の名は希望
   楽曲から独立するドラマ
 2 「付録」が育む映像文化
   膨大な映像特典
   ショートフィルムの見本市
   ドラマを紡ぐ場
   フィクションへの昇華
 3 ドキュメンタリーと虚構のあわい

第5章 ドキュメンタリーと「戦場」――異界としてのアイドルシーン
 1 アイドルのドキュメンタリーが映すもの
   リアリティショーの飽和
   ドキュメンタリーらしさの倒錯
   「戦場」のイメージ
 2 乃木坂46の「順応できなさ」
   競争的な役割への距離
   母あるいは一般人の視点
 3 「戦場」ではない道
   エトランゼの逡巡
   「仲の良さ」という日常性

第6章 アイドルシーンが映し出す旧弊
 1 ライフコースのなかのアイドル
   ハイライトとしての「卒業」
   卒業は“イベント”ではない
   エイジズムの再生産
 2 アイドルのコード、社会のコード
   男性的な原理への距離感
   異性愛主義の視線
 3 「異端」が照らすもの

第7章 「アイドル」の可能性、「アイドル」の限界
 1 抑圧とエンパワーメントの間
   自己表現のフィールド
   エンパワーメントの契機
   選別のエンターテインメント化
 2 競争者という役割
   根拠なきセンター
   選ばれることの両義性
 3 乃木坂46が示す価値観
   「正しい」アイドル像
   多人数グループの意義
 4 「戦場」への対峙と畏れ
 5 アイドルの「限界」

第8章 演じ手と作品の距離
 1 「アイドル」のステレオタイプ
   「サイレントマジョリティー」のインパク
   アイドルが異端であることは可能か
   パフォーマーと表現内容の一致をめぐって
 2 演劇的表現としてのアイドル楽曲
   デビューシングルに通底する演劇性
   演じ手としてのアイドル
 3 歴史を集約するセンター

第9章 アイドルが「演じる」とは何か
 1 パフォーマーとしての「主体」
   「主体」の捉えがたさ
   旧弊を温存する身ぶり
   「男性たちに操られる女性」という表象
   アイドルという身体と演技
 2 乃木坂46が描き出す“生”
   乃木坂46がもつ二本の軸
   「演じる」こととアイドルのアイデンティティ
   アイドルが体現する「有限の生」
   「一生」の記憶
   虚像を投げかけられる身体
 3 照射し合う生身とフィクション

終 章 戦わされる時代を超えて
 1 アイドルのプロフェッショナル性
   「大量生産品」の自覚
   「プロフェッショナル」の位相
   上演者であること
 2 グループアイドルの「物語」を問い直す
   虚構の〈外側〉をみせるアイドル
   物語化された現実
   「社会の縮図」の帰結
   「戦場」にコミットしないこと
   〈少女〉の表象を超える
 3 「戦場」から「静かな成熟」へ
   静かな抗いとエンパワーメント
   「過酷さの上演」ではないもの
   なんでもない生を尊ぶために

参考資料一覧

あとがき