森島豊著『天皇と人権 - 戦前戦後を貫く「日本的歪み」の正体』(2026)

 

 

なぜ日本人は、あのとき国家に動員されたのか?
キリスト教由来の人権概念を「天皇の下の平等」と読み替えたことがもたらした、
破局締結末とその後ーー。

気鋭の神学者が日本固有の「病」をあぶり出す!

はじめに
第一章 欧米の人権思想の形成過程
第二章 日本国憲法に影響を与えた欧米の人権思想
第三章 なぜ日本では君主を「天皇」と呼称するのか
第四章 天皇を中心とする国の構造
第五章 天皇はいかにして国民の中に浸透したのか――文化政策と宗教政策
第六章 近代思想はどのように日本化したのか――信教の自由と政教分離の日本的再構成
第七章 人権とテロリズム――国体に基礎づけられた権利意識
第八章 天皇を相対化した運動
第九章 戦前と戦後の連続性
おわりに
主要参考文献

 

右田裕規「終電と酩酊―20世紀の都市勤労層の時間規律的飲酒様式」『フォーラム現代社会学』25 (2026)

【リンク】

 

夜の繁華街でアルコールを楽しんでいた男性勤労者が、終電車の時刻が近づくと、酒宴を切り上げ最寄り駅やなじみのターミナルへと急ぎ、それと認めた列車に乗りこみ家路につく。20世紀日本の大都市で、このような光景が毎夜のように展開されていたことは、多くの資料によって裏づけられる事実である。

アルコールの力を借りて、時計時間が支配する労働世界から一時的に脱出すべく、余暇の酒場へと向かったはずの人びとが、朝の出勤時と同様の厳格な定時行動を、真夜中の街区でくりひろげる。飲酒と酩酊が、代表的な労働離脱的営みの一つと目されてきたという研究史上の事情と併せ、この光景は、都市勤労者たちの時計時間に対する徹底した従属ぶりを、端的に教えるものである。

その一方、深夜の酩酊者たちの定時行動は、時計時間に制約された意識・行動の社会的全面化を、合理的な意識・行為の覇権化プロセスへと一元的に回収することの難しさを示した現象としても、解される必要がある。本報告では、以上の諸点について、大まかな見取り図が示される。

 

 

岡野原大輔著『ヒトとAI』(2026)

 

AIと共に生きるうえで、私たちは自己の再定義と社会の再設計を迫られている。AIが知の領域に組み込まれるなかで、仕事や教育のあり方はどのように変化し、経済や文化の枠組みはいかに再編されるのか。そしてヒトという存在の何が変わり、何が変わらないのか。AIが前提となる時代の見取り図を第一人者が提示する。

 

 はじめに

第Ⅰ部 ヒト以外の知能

第1章 学習する計算機
 学習する計算機と、説明できなくなった人間
 理解する前に答えがある世界へ

第2章 学習とは何か
 模倣する学習から、試行錯誤する学習へ
 なぜ人は「理解していないもの」に従うのか
 わからないものに判断を委ねるとはどういうことか
 理解を前提とした判断の限界
  コラム 学習の三つの基本形

第3章 AIは断片的な世界で学習する
 断片的な学習がもたらす強さ
 連続性を持たない学習の限界
 AIは表面的にしかわかっていない
 世界の厚みを持った人の学習
  コラム 大規模言語モデルの学習

第4章 AIは継続学習が苦手
 分散表現が生む「記憶の干渉」
 破滅的忘却
 AIは忘れながら覚え直している
 反復によって成立する学習

第5章 なぜヒトは少ない経験から学べるのか
 生存戦略としての「その場学習」
 多次元的で高密度な学習
 記憶の固定化と干渉の回避
 抽象化という圧縮装置

第6章 抽象化の力と副作用
 カテゴリ化
 因果を見出したいという欲求
 抽象化や因果推論が生む誤りと迷信
 抽象化と偏見
 人とAIの抽象化の違い
 抽象化は知能の加速装置であり、不安定化要因でもある

第7章 究極の抽象化である言語
 個人を超える学習
 曖昧さの強さ
 離散化とコピー可能性
 無限の表現力
 AIが言語を扱うということ
 さまざまな情報をつなぐハブとしての言語

第8章 AIは理解しているか
 言語の理解と世界の理解
 理解を構成する五つの観点
 AIは五つの理解をすでに高い水準で実現している
  コラム 文脈内学習

第Ⅱ部 ヒトの知能――AIとの対比からみる特徴

第9章 個別性と多様性――同じ世界でも、異なる世界にいる
 評価軸の違いからの個別性
 多様性は探索のための設計原理である
 AIとの対比――評価軸の固定という制約

第10章 文化――個人を超えて学ぶ仕組み
 文化がもたらす集団学習
 評価軸の外部化
 文化を持たないAIとの対比

第11章 死と有限性――不可逆な有限性が知能を形づくる
 不可逆性が選択を生む
 死と集団の学習
 AIとの構造的な違い

第12章 感情――学習を駆動する内的報酬
 感情の起源――身体状態のモニタリングから社会的評価へ
 感情は経験に重みを与える
 内的報酬としての感情
 感情と個別性
 AIは感情を持ちうるか

第13章 自由と責任――選択を引き受ける主体
 主体なき選択は自由ではない
 不可逆性としての自由と責任
 AIはなぜ自由ではないのか
 自由と責任の再定義

第14章 意識と自己――「私」はどこに宿るのか
 自己モデル――行動を「自分のもの」にする短期記憶
 目標――行動に方向を与える軸
 内省能力と主観経験
 AIはどこまで主体か
 社会的主体と責任の所在

第Ⅲ部 ポストAIの社会――制度・経済・責任

第15章 責任は誰のものか
 責任が生じる三つの条件
 「主体があるように見える」ことの危うさ
 AIにおける責任のズレ
 責任はどこに置かれるのか
 責任を個人に還元しないために

第16章 仕事の再設計――AIが業務に溶け込んでいく
 変化は連続的に、まず仕事の内部から起きる
 エージェントとハーネス
 文化という巨大なハーネス
 仕事は部分的に、構造から自動化される
 実行は分散し、判断は集約される
 監査可能性と責任の所在
 新規事業に見る人間の役割

第17章 ポストAI時代の業務(1)――指揮と統合
 指揮という仕事
 統合という仕事
 統合と経営判断の関係

第18章 ポストAI時代の業務(2)――監査・変更・停止
 監査とは何か
 変更という介入
 変更に伴う責任
 停止という不可逆な境界を引く判断
 設計として引き受けられる責任

第19章 コミュニケーションの再設計――交渉が並列化し、委譲が制度になる
 会話の高速化から、合意形成の構造化へ
 代理交渉と専門性の外部化
 委譲が制度になるということ
 日常生活へ浸透するエージェント交渉
 注意と責任の再配分としてのコミュニケーション

第20章 言語の再発明
 自然言語が前提としてきた人間同士の了解
 自然言語の第一の制約――一次元の流れ
 曖昧さという緩衝材の限界
 第二の言語層
 自然言語を補ってきた人工言語の延長として
 AIにとって自然言語は特別ではない

第21章 教育の更新
 地図を持たぬ者に、ナビは使いこなせない
 学習の個別最適化の功罪
 問いを立てる力と学びの主体性
 教師・学校・学びの場の役割の変化
  コラム 試験はどうなるのか?

第22章 研究開発の逆転
 理解なき発見の常態化
 整理する者から意味づける者へ
 神託への接近

第23章 神託としてのAIと科学研究
 納得と制御の分離
 神託としてのAI
 理解から検証へ――神託の飼いならし方
 制度としての責任

第24章 エージェント社会とRTS
 エージェント社会とは何か
 RTSゲーム
 人間は「司令部」という位置に現れる
 エージェント社会の構造
 拡張するエージェント社会

第25章 引き返せない選択としての創造性
 「終わらせる」という特権
 責任という名の創造性

第26章 なぜ外国語を学ぶのか
 翻訳できることと、外国語がわかることは違う
 言語を学ぶとは、生成規則を覚えることではない
 内面化された生成空間としての言語
 生成を手放したあとに残るもの

第27章 数十億のAIエージェントが経済活動を担うとき――主体・契約・市場の再編
 法人とAIエージェントは何が違うのか
 契約は自動化できても、責任は自動化できない
 エージェント市場が生む新しい不安定性
 人間に残る役割――主体を設計するという仕事

第28章 AIを社会に組み込むための設計原理
 内部からの逸脱――制御不能のリスク
 外部からの武器化――悪用のリスク
 社会実装のための三つの設計原理
 権利は感情ではなく制度である

 おわりに――AIと共に変わるヒト

 参考図書
 あとがき

 

 

松村圭一郎著『くらしのアナキズム』(2021)

 

 

国家は何のためにあるのか?
ほんとうに必要なのか?

「国家なき社会」は絶望ではない。
希望と可能性を孕んでいる。
よりよく生きるきっかけとなる、〈問い〉と〈技法〉を人類学の視点からさぐる。

本書でとりあげる「人類学者によるアナキズム論」とは…
・国家がなくても無秩序にならない方法をとる
・常識だと思い込んでいることを、本当にそうなのか? と問い直す
・身の回りの問題を自分たちで解決するには何が必要かを考える

アナキズム=無政府主義という捉え方を覆す、画期的論考!

はじめに 国家と出会う
第一章 人類学とアナキズム
第二章 生活者のアナキズム
第三章 「国家なき社会」の政治リーダー
第四章 市場(いちば)のアナキズム
第五章 アナキストの民主主義論
第六章 自立と共生のメソッド――暮らしに政治と経済をとりもどす
おわりに

 

ベン・ラーナー著, 木原善彦訳『10:04』(2014=2025)

 

ハリケーンの上陸が迫るニューヨーク、ブルックリン。詩人である語り手の〈僕〉は、前年に発表した小説デビュー作の長編で思いもよらぬ評価を受けていた。このほど『ニューヨーカー』誌に掲載された短編を組み込んで二作目の長編を書くと約束すれば、六桁強の原稿料が前払いでもらえるという。その一方で、〈僕〉の大動脈は解離の可能性があると診断され、また親友の女性、アレックスからは人工授精のために精子を提供してほしいと頼まれていた。ニューヨークの街を遊歩したり、テキサス州マーファで芸術家としてレジデンス生活を送ったりしながら長編の構想を練るなかで、〈僕〉は自分がかつて雑誌を編集していたときに著名な詩人たちとの間で交わしたやり取りを偽造して小説に取り込む可能性を探るのだが—―『ニューヨーク・タイムズ』紙が選ぶ二十一世紀のベスト百冊に選出された、ベン・ラーナーの飛躍作。

 

ジャック・デリダ著, 鵜飼哲訳『言葉の眼 — 深淵と火山』(2012=2026)

 

ベンヤミンと深い交友のあったゲルショム・ショーレムは、ユダヤ人の「民族的郷土」建設計画に揺れる1920年代のパレスチナから、ヘブライ語の「現用化」の将来に対する不安をフランツ・ローゼンツヴァイク宛の手紙で告白する。「神聖な言葉」の復讐がもたらす黙示録という破局の思想を切り口に、デリダはシオニズムの脱構築を企てる。スピノザ、ハイデッガー、ヘーゲルと対話しつつ、世代を超える復讐の行方を問う、手紙から100年を経た現在を照射する予言的な異色作。訳者による詳細な解説を付した文庫オリジナル翻訳。

Ⅰ 深淵と火山  
Ⅱ 言葉を世俗化すること――火山、火、〈啓蒙の光〉  
 原註  
 訳註
解説  鵜飼 哲  
 【資料】