映画

大野純子「コンテンツファイナンスの現状 : 日米の映画ファイナンス手法の比較を通して」『芸術工学研究』7, 63-73, 2007

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ポーリン・ケイル著, 山田宏一, 柴田元幸他訳『明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集』(2003)K

明かりが消えて映画がはじまる -ポーリン・ケイル映画評論集 作者:ポーリン ケイル 草思社 Amazon 辛辣な語り口で鳴らした米国の名物女流評論家による名画評論。アルトマン、デ・パルマなど有名監督の映画評に加え傑作エッセイ「ケーリー・グラント論」を収…

蓮實重彥著『言葉はどこからやってくるのか』(2020)

言葉はどこからやってくるのか: 小説・随想・論文 作者:重彦, 蓮實 青土社 Amazon 「バルトのように、記号としての言語を呼吸しながら、それを括弧に括ったりせず、それをいたわりつつ酷使せずに書くことができたら……」書くことに向かうすべての人へ。 Ⅰ1 三…

金井久美子,金井美恵子著『鼎談集 金井姉妹のマッド・パーティーへようこそ』(2021)

鼎談集 金井姉妹のマッド・ティーパ-ティーへようこそ 作者:金井久美子,金井美恵子 中央公論新社 Amazon 蓮實重彦、大岡昇平、西江雅之、篠山紀信ら9人のゲストを迎えてくり広げられる知的興奮に満ちた鼎談集。相手への敬意と、尊敬とちょっぴりの揶揄……。会…

『ユリイカ 2022年9月号』「特集 Jホラーの現在-伝播する映画の恐怖」

ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在 ―伝播する映画の恐怖― 作者:高橋洋,大島清昭,小中千昭,佐々木友輔,田辺青蛙,かぁなっき,寺内康太郎,皆口大地 青土社 Amazon ❖インタビュー恐怖の感覚のありか / 高橋洋 聞き手=宮本法明 ❖どこから来たのか、どこへ…

斉藤綾子「逡巡――批評的思考と実践におけるためらいの擁護に向けて」『映像学』2022年 108巻 p.9-15

【リンク】 堀, 木原編『映画論の冒険者たち』 映画論の冒険者たち 東京大学出版会 Amazon

角井誠「映像学のアプローチ」『映像学』2022年 108巻 p.5-8

【リンク】

築地正明著『わたしたちがこの世界を信じる理由-『シネマ』からのドゥルーズ入門』(2019)

わたしたちがこの世界を信じる理由: 『シネマ』からのドゥルーズ入門 作者:築地正明 河出書房新社 Amazon ドゥルーズの映画論にして哲学的な頂点「シネマ」を論じながら、この世界と闘い、この世界を信じるための思考と倫理をさぐる俊英のデビュー作。「シネ…

稲田豊史著『映画を早送りで観る人たちーファスト映画・ネタバレーコンテンツ消費の現在形』(2022)

映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書) 作者:稲田 豊史 光文社 Amazon なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。なんのために? それで作品を味わったといえるのか?著者の大きな違和感と…

クリストファー・ケンワーシー著、吉田俊太郎訳『マスターショット100 -低予算映画を大作に変える撮影術』(2009=2011)

マスターショット100 作者:クリストファー・ケンワーシー フィルムアート社 Amazon 映像制作における様々なプロセスのうち、最も現場での「即断力」が求められるのがカメラワーク。本書では、実際の映画シーンをサンプルとしながら、100通りものショットの方…

岡田温司著『映画と黙示録』(2019)

映画と黙示録 作者:岡田 温司 みすず書房 Amazon 〈もしもこの世界に終わりがあるとしたら、それはいつごろどんな風にやってくるのだろうか。それを克明かつ想像力豊かに記したのが、紀元後一世紀の末に書かれたとされる『ヨハネの黙示録』である。西洋にお…

長谷正人「近藤和都著『映画館と観客のメディア論――戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』」『社会学評論』2021年, 71巻, 4号, p. 743-744

【リンク】

【書評】田辺秋守「築地正明著『わたしたちがこの世界を信じる理由 『シネマ』からのドゥルーズ入門』」『映像学』2021年, 105巻, p.112-116

わたしたちがこの世界を信じる理由: 『シネマ』からのドゥルーズ入門 作者:築地正明 河出書房新社 Amazon

辰已知広「テクストとしての映画衣裳―『憎いあンちくしょう』を事例に」『映像学』2021年, 106巻, p.98-119

【本文】 森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事…

前川修「コロナの写真映像?」『映像学』2021年, 106巻, p.25-33

【本文】

光岡寿郎「コロナとスクリーン : 新型コロナウイルス禍におけるメディア接触の変容と日常性」『コミュニケーション科学』2021年, 53号, p.171-189

【本文】

近藤和都「アクシデントとインフラストラクチャー」『映像学』2021 年 106 巻 p. 8-17

【本文】

渡邉大輔「「見ること」のインフラストラクチャー」『映像学』2021年, 106巻, p.5-7

【本文】

小倉健太郎「アニメ・マシーンとしてのフライシャーの回転式撮影台」『映像学』2021年, 105巻, p.5-26

【本文】 日本のアニメを論じる際に、しばしば強調されてきたのが平面性だ。アニメの平面性を強調する議論は枚挙にいとまがない。こうした議論では、アニメの平面性はときに日本の伝統美術と結び付けられ、日本固有の性質とされる。日本文化研究者のトーマス…

【書評】長谷正人「光岡寿郎・大久保遼編『スクリーン・スタディーズ――デジタル時代の映像/メディア経験』」『社会学評論』2020年, 70巻, 4号, p.413-414

【本文】

佐々木敦著『「批評」とは何か?-批評家養成ギブス』(2008)

「批評」とは何か? : 批評家養成ギブス (BRAINZ叢書) 作者:佐々木敦 発売日: 2015/04/17 メディア: Kindle版 音楽批評、映画批評、文芸批評…そして批評の言葉はジャンルを「貫通」する本気で書きたい人のための「批評」入門。

リンダ・シーガー著, 菊池淳子訳『アカデミー賞を獲る脚本術』(2003=2005)

アカデミー賞を獲る脚本術 作者:リンダ シーガー 発売日: 2003/07/05 メディア: 単行本 優れた脚本には最高の秘密がある。本格派シナリオの書き方。 1 リアルな物語をうまく語るには ドラマの直線型構成/ストーリーを語る形式/旅のストーリー/描写のスト…

鳩飼未緒「日活ロマンポルノと女性観客ー『実録阿部定』が示す親和性」『映像学』2016年, 96巻, p.27-47

【本文】 本稿は日活ロマンポルノの田中登監督作、『実録阿部定』(1975 年)を論じる。異性愛者の男性観客をターゲットに製作され、同時代的にはほぼ男性のみに受容された本作が、想定されていなかった女性観客との親和性を持ち、家父長主義的なジェンダー…

紙屋牧子「最初期の「皇室映画」に関する考察: 隠される/晒される「身体」」『映像学』2018年, 100巻, p.32-52

【本文】 本稿は最初期の皇室映画(天皇・皇族を被写体とした映画)に焦点をあてる。昭和天皇(当時は皇太子)が1921年に渡欧した際、国内外の映画会社・新聞社によって複数の「皇太子渡欧映画」が撮影され、それが画期的だったということは、これまで皇室研…

蓮實重彥著『見るレッスン-映画史特別講義』(2020)

見るレッスン 映画史特別講義 (光文社新書 1107) 作者:蓮實 重彥 発売日: 2020/12/15 メディア: 新書 見る上で重要なのは、異質なものに晒され、葛藤すること。映画は自分の好きなものを、他人の視点など気にせずに自由に見ればいい。ただし、優れた映画には…

小河原あや「ヒッチコック『ロープ』の長廻し移動撮影とショット繋ぎにおける「精神/道徳的」表現 ーロメール&シャブロルの議論を導き手に」『映像学』2014年, 93巻, p.23-40,94-95

【本文】 Hitchcock's famous use of long takes and a tracking camera in Rope (1948) was criticized by Truffaut and others as being a rejection of montage. Hitchcock himself considered the film 'pure cinema' - the movement of camera and perf…

鈴木啓文「カサヴェテス作品に見る揺れ動く情動、変様する身体 ーもう一つのスピノザ-ドゥルーズ的な映画身体」『映像学』2018年, 100巻, p.73-91

【本文】 従来、映画のショック体験がしばしば論じられてきた。対して、本論は触発し変様する映画身体の体験を考える。そのためにまず、ショック体験やイメージの強度的体験を重視するドゥルーズの『シネマ』とドゥルーズ的な映画身体論を確認する。そのうえ…

安部孝典「トリュフォー映画における死のイメージ再考」『映像学』2020年, 104巻, p.179-197

【本文】 フランソワ・トリュフォーの映画で描かれる人物の死は、写真や肖像画のような不動化されたイメージとしばしば関連づけられ論じられてきた。しかし、トリュフォー作品に見られる死のイメージは静的なイメージだけではなく、ある種の運動状態にあるイ…

真鍋公希「『空の大怪獣ラドン』における特撮の機能 ー怪獣映画の「アトラクション」をめぐって」『映像学』2018年, 99巻, p.25-45

【本文】 円谷英二が特技監督を務めた『空の大怪獣ラドン』(1956 年、以下『ラドン』)は、公開当時から高く評価されている作品である。しかし、特撮映画に関する先行研究は『ゴジラ』(1954 年)ばかり注目してきたため、本作はほとんど分析されてこなかっ…

玉田健太「夢の交点/欲望の対立 ヴィンセント・ミネリ ー『ボヴァリー夫人』のニューロティック・ワルツ」『映像学』2016年, 96巻, p.48-67

【本文】 本論文はヴィンセント・ミネリ監督による1949 年公開のハリウッド映画『ボヴァリー夫人』について論じる。本作は先行研究において、ヒロインであるエマの欲望とその抑圧を中心に論じられてきた。それに対して本論文は、フローベールによる原作小説…