プラトン、トマス・アクィナス、ライプニッツ、カント、ハイデガー、ダントー……古代ギリシアから20世紀にいたるまで、西洋の思考のうちに絵画、彫刻、建築、詩、小説といった「芸術」はどのように捉えられてきたのか。感性や美との関わりをふまえつつ、芸術の理念が変化してきた歴史を大胆に描きだす。アートや美について考えるための基本書。
第一章 知識と芸術――プラトン
第二章 芸術と真理――アリストテレス
第三章 内的形相――プロティノス
第四章 期待と記憶――アウグスティヌス
第五章 制作と創造――トマス・アクィナス
第六章 含蓄のある表象――ライプニッツ
第七章 方法と機知――ヴィーコ
第八章 模倣と独創性――ヤング
第九章 趣味の基準――ヒューム
第一〇章 詩画比較論――レッシング
第一一章 自然と芸術I――カント
第一二章 遊戯と芸術――シラー
第一三章 批評と作者――シュレーゲル
第一四章 自然と芸術II――シェリング
第一五章 芸術の終焉I――ヘーゲル
第一六章 形式主義――ハンスリック
第一七章 不気味なもの――ハイデガー
第一八章 芸術の終焉II――ダントー
引用文献/西洋美学に関する事典・概説書/人物生歿/事項索引/人名索引
ⅴ「バウムガルテンの美学は、過去から伝承されたさまざまの創作論(その典型がアリストテレスの『弁論術』と『詩学』である)を、自ら属するライプニッツ学派の哲学的枠組みに即して再編することによって可能となった」
29「アリストテレスがプラトンの前提を覆すことによって芸術の正当化を図ったとすれば、プラトンの体系的前提を認めつつ芸術を正当化したのが、いわゆる新プラトン主義の創始者プロティノスである」
79 アリストテレス的=弁論術的知の復権を図った。ヴィーコによるバロック的構想力の理念がロマン主義へ。
クリティカ(公理系)とそれに先立つトピカ
(議論の素材となる論点を探す場所、発見する技術)
84「フランス語の特質は、形象性を排除していわば純粋精神と化して抽象性を求める点にある。デカルトのクリティカもこのフランス語の特質を前提としている。これとは逆に、イタリア語は「機知」に働きかけて形象性を求める。こうしたイタリア語の詩的特質のゆえに、イタリア人はその他の芸術にも秀でる。このように考えるヴィーコは…」
85「断片」を重視するドイツ・ロマン派シュレーゲルへ。
詩と絵画の比較論「パラゴーネ」で最も影響を与えたレッシング(1729-81)の『ラオコーン』(1765)
149「わかりやすく換言するならば、「構想力」(それは第4章において「想像力」と訳したimaginationと同一のものである)とは感性の次元において一つのまとまり(一種のゲシュタルト)を捉える能力であり、「悟性」とは概念によって対象を規定する能力である」
150「趣味判断においては、悟性と構想力のこのような支配・被支配関係は存在せず、むしろ、「構想力は自由のうちにあって悟性を換気し、悟性は概念なくして構想力を規則的活動のうちに置き入れる」という構想力と悟性の相互作用が成り立つ」
151 素材(質料)衝動/形式(人格)衝動
二つの衝動の相互作用が遊戯衝動である。対象を受容する直観と対象を産出する行為が一つになり、ここに人間にとっての「自由」が成立する。
171「少なくとも、「『父』の記名」なくしてテクストを読み、そのことをとおして新たなテクストを形成しようとする点において、批評家シミュレーゲルの営みはバルトのそれと一致する」
163 シュレーゲルのカント批評理論批判「批評は作品を普遍的理想に即して判定しれはならない」「個々の作品の個的理想を求めなくてはならない」
165「批評家の営みは、著者以上に著者を理解しつつ、著者の失敗をその原因に遡って明らかにし、ありうべき作品を作り出すことにある」
169「シュレーゲルがここで試みているのは、全体と部分との間の〈解釈学的循環〉を歴史的に動態化することである」
183「ここで〈意味するもの〉と〈意味されるもの〉の関係に即してシェリングの議論をまとめるならば、次のようになろう。古代世界においては、〈意味するもの〉としての芸術作品は〈意味されるもの〉としての「神々」を自己のうちに内在させているゆえに、〈意味するもの〉と〈意味されるもの〉は一体化している。ここに「普遍と特殊が絶対的に一つである」ところの「象徴」が成り立つ。他面、近代世界においては、〈意味するもの〉としての芸術作品は〈意味されるもの〉を自己自身のうちに内在させていない。むしろ、〈意味されるもの〉は「理念的世界」であるから、〈意味するもの〉と〈意味されるもの〉は乖離し、それぞれ「自然的なもの」と「自然外在的にして超自然的なもの」という次元に位置する。これは「特殊なものが普遍的なものを意味する」ところに成り立つ「アレゴリー」にほかならない。それゆえに。「アレゴリー」としての近代の芸術作品こそが、初めて「不可視な精神的世界」を指し示すことができる」
204 ハンスリック『音楽的に美しいものについて』
・自然模倣説からの解放
・音楽の「内容」は外部にあるのではなく、音響の動的な形式のうちにある
・音響の形式は素材から切り離せない
207 ヴェルフリン:美術史研究を精神史的方法から形式主義的方法へと転換
210 グリーンバーグ
237 ダントー「このことは、芸術が再び人間的諸目的に仕えるようになる、ということを意味する。…人間の生活を高めることは、芸術にとってけっして些細なことではない。ヘーゲルに従えば、芸術がその終焉にいたった後も存続するのは、まさにこのような(生活を)高める能力においてである 」