香月孝史著『乃木坂46のドラマトゥルギー-演じる身体/フィクション/静かな成熟』(2020)

 

乃木坂46の舞台演劇への傾倒に着目して、アイドルが「演じる」ことの意味を解きほぐす。アイドル文化が抱える課題も指摘しながら、乃木坂46がそれらと対峙して獲得した「静かな成熟」、それを可能にする社会的なコンテクストを浮き彫りにする文化評論。

まえがき

第1章 AKB48の〈影〉と演劇への憧憬
 1 “どうせアイドルだし”――ポップアイコンの困難
   社会に浸透するAKB48
   「アイコン」を担う
 2 AKB48の〈影〉
   よりどころなき「公式ライバル」
   シャドーキャビネット
 3 発端としての演劇
   形骸化した〈影〉
   舞台演劇への憧れ
   AKB48と乃木坂46――「演劇性」の表裏

第2章 演劇とギミックのはざまで
 1 『16人のプリンシパル
   「物語性」を宿す
   俳優を育む組織
 2 二つの志向の合流地点
   パーソナリティを映す装置
   ねじれた権限
 3 未完のコーラスライン
   『16人のプリンシパル』の特殊な負荷
   いびつなコンテンツの隘路

第3章 「専門性」への架橋
 1 アイドルと演劇
   『プリンシパル』の先へ
   スターシステムを手放す
 2 形骸の外へ――二〇一五年の『すべての犬は天国へ行く』
   シリアス・コメディ
   男社会が押し付けた檻
   「本職じゃない」への対峙
   「本職」と共振するアイドル

第4章 乃木坂46の映像文化とフィクションの位相
 1 演技の機会としてのMV
   二つの顔をもつ「君の名は希望
   楽曲から独立するドラマ
 2 「付録」が育む映像文化
   膨大な映像特典
   ショートフィルムの見本市
   ドラマを紡ぐ場
   フィクションへの昇華
 3 ドキュメンタリーと虚構のあわい

第5章 ドキュメンタリーと「戦場」――異界としてのアイドルシーン
 1 アイドルのドキュメンタリーが映すもの
   リアリティショーの飽和
   ドキュメンタリーらしさの倒錯
   「戦場」のイメージ
 2 乃木坂46の「順応できなさ」
   競争的な役割への距離
   母あるいは一般人の視点
 3 「戦場」ではない道
   エトランゼの逡巡
   「仲の良さ」という日常性

第6章 アイドルシーンが映し出す旧弊
 1 ライフコースのなかのアイドル
   ハイライトとしての「卒業」
   卒業は“イベント”ではない
   エイジズムの再生産
 2 アイドルのコード、社会のコード
   男性的な原理への距離感
   異性愛主義の視線
 3 「異端」が照らすもの

第7章 「アイドル」の可能性、「アイドル」の限界
 1 抑圧とエンパワーメントの間
   自己表現のフィールド
   エンパワーメントの契機
   選別のエンターテインメント化
 2 競争者という役割
   根拠なきセンター
   選ばれることの両義性
 3 乃木坂46が示す価値観
   「正しい」アイドル像
   多人数グループの意義
 4 「戦場」への対峙と畏れ
 5 アイドルの「限界」

第8章 演じ手と作品の距離
 1 「アイドル」のステレオタイプ
   「サイレントマジョリティー」のインパク
   アイドルが異端であることは可能か
   パフォーマーと表現内容の一致をめぐって
 2 演劇的表現としてのアイドル楽曲
   デビューシングルに通底する演劇性
   演じ手としてのアイドル
 3 歴史を集約するセンター

第9章 アイドルが「演じる」とは何か
 1 パフォーマーとしての「主体」
   「主体」の捉えがたさ
   旧弊を温存する身ぶり
   「男性たちに操られる女性」という表象
   アイドルという身体と演技
 2 乃木坂46が描き出す“生”
   乃木坂46がもつ二本の軸
   「演じる」こととアイドルのアイデンティティ
   アイドルが体現する「有限の生」
   「一生」の記憶
   虚像を投げかけられる身体
 3 照射し合う生身とフィクション

終 章 戦わされる時代を超えて
 1 アイドルのプロフェッショナル性
   「大量生産品」の自覚
   「プロフェッショナル」の位相
   上演者であること
 2 グループアイドルの「物語」を問い直す
   虚構の〈外側〉をみせるアイドル
   物語化された現実
   「社会の縮図」の帰結
   「戦場」にコミットしないこと
   〈少女〉の表象を超える
 3 「戦場」から「静かな成熟」へ
   静かな抗いとエンパワーメント
   「過酷さの上演」ではないもの
   なんでもない生を尊ぶために

参考資料一覧

あとがき