J-批評の系譜学(1)

 それなりの年月を実体験しなければ見えない風景や俯瞰できない全体像がある。現在、広く定着しており、慣れ親しんだ自明性を持って受け入れられている思考の枠組みや語の用法が、ともすればそのようになっていなかった「もしも」の可能性を見通せてしまうゆえに、現在の風潮に対して「どうしてこうなった」と嘆息せざるをえないような状況が。

 昨今の批評が社会学に漸近するのはなぜか?いや、そもそも社会批評と社会学は何が違うのか?作品や社会問題について論ずるに際して「批評」なる言語行為が準拠する価値基準や作法はいかなるものか?ここで「漸近」と表現したのは、昨今の「批評」を自称する言論のスタイルが、社会科学や人文科学のタームを織り交ぜつつ、それでいて学術誌に掲載可能な実証度を必ずしも必要としないスタイル、言い換えれば好事家の語りとアカデミズムの中間に広がる真空を漂うことで、現代的な事象を分析する言論スタイルを維持しているためである。接近はするものの決して踏み込むことはない距離化の戦術に垣間見える、ある種の処世術、サブカルチャーの自律した語りで満足する「オタク」であることに自足できない欲望の形式、そしてなによりその内容の陳腐さ。

 個別の作品や社会事象の語りが、間接的に社会を語り得るという批評の前提には、全体/部分に関する解釈学的循環が胚胎している。そもそも私たちが何かを語るという行為そのものが、個別事象は言うに及ばず、あらゆる概念操作によっても決して到達できない全体性に接近しようと試みる不可能性を内包した営みであることは言うまでもない。全体への部分の到達可能性は、古代ギリシャの「哲学」登場以来、主意主義主知主義の基本的対立軸であった。超越への到達可能性を信じれば信じるほど、没個性化して全体の一部に頽落し、超越を断念すれば容易にアイロニズムに陥る。私たちは、全体が「語りえぬもの」であることを自覚しながら、それでも尚これを語ろうとする無理難題を強いられている。個別に社会の本質を「発見」する社会反映論や社会学帝国主義(デュルケム、内藤、森、上野)と呼ばれる還元論的手法は言うに及ばず、部分の観察から社会の病理学的兆候を見い出す安易な解釈学や博物学的分類には、到達不可能な全体に身を捨てて望む「命がけの飛躍」(マルクス、柄谷)は些かも感じられない。

 しかし私の関心は、このような愚直な反映論を振り回す議論への違和感だけではない。言うまでもなく、これまで幾多の批評家が、全体性への言及を禁欲し、表現内容や形式の何たるかという対象の固有性、個別性にフォーカスすることで、作品を評価したり表象を解析する批評のスタイルを方向性として選択してきた。しかし、作品→社会の短絡に躊躇ない反映論だろうが、社会から切り離された作品の固有性を論じるスタイルだろうが、対象に関わらず何かについて語るには文脈依存性から逃れることはできない。対象を選択し、ある部分を切り取って論じるためには、なぜその部分を切り取ったのかー場合によっては社会の一部を象徴するものとして選択したーその妥当性について示す根拠付けが求められる。直接的にも間接的にも、対象を「部分」として定位するには、対象が置かれる部分が全体においていかなる位置を占めるのか、その文脈を示す必要があるのだ。

 ここにて批評は、部分を定位する前提としての全体把握、全体に到達するための部分把握という解釈学的循環に陥ることになる(ディルタイハイデガー、ガダマー)。当然、こうした再帰的問題は哲学の領域にとどまることなく、社会学でも長年議論されてきた。マンハイム知識社会学』、ブルデュー社会学社会学』が代表例だろう。到達不可能な全体への部分の漸近を社会学的にいかに形にするかは、1.数多くの資料にあたることで言説総体の把握を目指す手法、2.全体性への到達を諦め分析者と文脈の流動的関係を記述する手法、3.同じく到達の不可能性を受け入れながら、それでも部分の言説関係を構築主義的に分析する手法など様々な可能性が試行錯誤されてきた。もちろん、「声」を集積する文化人類学的分析、方法論的に統制された構築主義的分析、言説分析のいずれが正しいかを決定することはできない。しかしそうであるからこそ、全体/部分問題に関する百年来の社会学的成果を軽視することもまた許されないだろう。

 社会学にみられるこのような方法論的葛藤が、近年の日本の批評にまるで見受けられない事実について考察するには、ここ数十年の人文科学的社会批評の系譜を反省しなければならないだろう。具体的には、80年代から90年代前半の浅田彰柄谷行人蓮實重彦ら「批評空間」、ニュー・アカデミズムの系譜、90年代中盤からの宮台真司大澤真幸、そして90年代後半からの東浩紀とそのフォロワーの系譜について。

 とはいえ今すぐ彼らに代表される国内の批評の歴史のすべてを振り返ることはできまい。表面的で退屈な新書だが佐々木敦『ニッポンの思想』をめくれば、その雰囲気の端緒を垣間見ることはできるだろう。当座彼らが、何らかの形で「日本型ポストモダニズム」を継承し議論を展開したことは間違いない。(ここで「ポストモダニズム」の語用に関する厄介な議論はいっさい無視する。ごくおおまかに考えても、ポスト構造主義とほとんど意味を同じくするヨーロッパ型ポストモダニズムプラグマティズムやポストコロニアリズムカルチュラル・スタディーズにつながるアメリカ型ポストモダニズムと、70年代以降の消費文化と結合した広告社会的な日本型ポストモダニズムは異なるし、建築、文学、思想など学問領域が異なれば、その用法も必然と異なる)「ポストモダニスト」は国家や政治経済に関する直接的議論を回避し、消費社会的な仕掛けやサブカルチャーを自律的な単位を有する「テクスト」として、抽象度の高い理論で分析する。すなわち、計量的な内容分析や受け手の分析、産業構造の分析などの手法を採用せず、抽象的な記号論によってテクストの意味論を解体する。この手法は適用範囲が広く、対象の選択や方法論的統制は比較的重視されないので、従来の標準的な研究スタイルでは分析されなかったメディア固有の論理を抽出するには十分な成果をあげたのは間違いない。

 それと同時にこの手法は、内容としては「大きな物語」の終焉を暗黙の前提として共有しながらも、対象選択の自由度、方法論的自由度では極めて抽象的に普遍性(=全体)への志向性を内包していた。すなわち、「大きな物語」の終焉を暗黙の前提として「島宇宙」的に細分化したサブカルチャー分析という対象選択や記号論的分析手法を選択する行為そのものが、必然的に強烈な全体性志向に結びついていた。もちろん私は、「大きな物語の終焉」という大きな物語をアンチ・ポストモダニズムの立場から指摘しているのではない。ポストモダニズム的な「対象自由・方法自由」の手法そのものが、全体/部分問題に関連して、部分から全体を、サブカルチャーから社会を語ってしまう方法的手続きを後押ししてしまい、部分に全体を見い出す語り手の欲望を解放してしまったのではないかという機能的観点からの疑問である。


(続)