DQNネーム批判にみる「エセ教養主義」的言語観

 読みづらい名前や、常識的に考えがたい言葉を使用した名前、いわゆるDQNドキュン)ネームに対する批判の主な論拠は以下のようなものだろう。1.表記と読みの乖離、2.それに伴う実生活での困難(読めない、いじめ等)、3.そのような事態を予期せず名付ける親のエゴイズム、4.アニメキャラなどをそのまま命名することに感じる軽薄さ。こうしたDQNネームは、最近の世論(とりわけネット上の)では極めて評判が悪く、掲示板やブログ、動画サイトなどでは、漢字表記からはとても想像できないような読みを、驚きや怒りをもって共有するケースが散見される。しかし、ネットを席捲するDQNネーム批判の背後に見え隠れする、日本語に対するある固着した偏見には疑問を抱かずにはいられない。本稿ではこの問題への違和感をきっかけにして、先の整理における問題1.日本語における表記と読み(音声)の乖離、さらには音と訓の関係について考えよう。

 DQNネームのような「読めない」名前、つまり文字の音声化に伴う諸問題に向けて、今から40年ほど前に怒りを表明した小説が存在する。大岡昇平の『萌野』である。本作は小説の体裁をとっているものの、その内容は大岡に実際に起きた出来事をほとんど再現した作品であり、いわゆる私小説に分類されるものである。『萌野』は以下のような物語だ。ニューヨークにて生活する「私(=大岡)」の長男、貞一夫妻が、新たに生まれる子どもに「萌野」という名前を授け、それを「もや」と読ませるという。しかし「私」はこの命名に納得することができない。「私」は、「字面としては悪くなく、『大岡萌野』は1つの風景画を構成している」とは思うが、「しかし『萌野』を『もや』とは『湯桶』読みとしても無理である」として、息子夫婦に難癖をつける。さらに「古風な改革反対論者」である「私」は、息子夫婦の考えに世代的断絶を感じ、これを当時広がっていた漢字の読みに伴う変化の傾向と結びつけ、「現代の漢字の読みの痴呆的変化」と批判しさえする。そしてついには、初孫の名前がこの傾向の只中にあることを受け入れられず、酒のいきおいも手伝い、「萌野なんて低能な名前のついた子は、おれの孫じゃない」とすら言ってのける。

 「萌野」を「もや」と読んでみせる息子夫妻の命名は、確かに従来の表記と読みの規則を逸脱しているように思える。すなわち、「萌える」(も-える)という訓読みから、送り仮名と「も」の部分を切り離し、「萌=も」との表記、読みを独立した対応関係として新たに構築したことに対して、当時の漢字の用法への社会的常識を侵犯していると感じた大岡の反応は珍しいものではない。そのため「萌野=もや」を許容できない彼の怒りは確かに一理あるように思われる。しかし、文字表記と読みの関係が、昭和のただ中にて動かしがたい自明なるものとして定着していると考える大岡の怒りには、日本語がたどってきた歴史、さらにはその歴史による意味と発音と表記の異質な関係、そしてこれらの多用な戯れが日本語の潜勢力であったことは無視されている。この問題についてさらに深めるためには、文字と語彙の貸借関係があるだけの理由で、日本語が中国語から分離した言葉だという通俗的誤解を改めることからはじめる必要がある。

 日本語と中国語の奇妙な関係について、ルロワ=グーランは『身ぶりと言葉』にて次のように述べている。

「ここではわれわれの数字と違って、借用が十個の記号について行われたのではなく、言語の音の部分を決定的に書字の外に残してしまった数千の記号について行われたのである。観念的な部分そのものも概念だけに限られ、あらゆる文法的屈折の外に置かれて、後者を説明するものは何もなかった。この欠陥を補うために日本語は、8世紀に中国語から、音声価値だけで用いられていた48の漢字を取って、一連の音節表記をつくり、表意文字のあいだに挿入したのだ。つまり中国語は、多次元的な要素の仕組みで一漢字を形成している形象群に音声面からの説明を挿入したのに対し、日本語は漢字から音声的な色彩を取り去って、あとからそれぞれの漢字に別な音声記号をくっつけたのである」(ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』)

 いささか持って回ったような表現で書かれているものの、ここでルロワ=グーランが主張しているのは、日本は中国語を、その表記から音声を切り取ることで「輸入」し、さらに、その表記から受け取れる意味に近いイメージを、それ以前から成立していた大和言葉(やまとことば)に当てはめることで、読みを定着させたという事実である。たとえば、私たちが「いそいで!いそいで!」と話すときの「いそいで」は「急ぐ」の活用だが、それは日本語による中国書字の意味上の借用であり、「急」の文字は中国語では別に発音される。「急」の表記による意味(イメージ)が「いそぐ」という言葉に近いと感じ取ったわれわれは、「急」という文字に「いそぐ」という音声を結びつけることで、「急=いそぐ」(表記と意味・音声の対応)という関係を構築したのだ。こう考えるならば、単一の漢字に対して複数の読みが存在する日本語の複雑性が説明できる。

 このように、音声的価値を切り離した漢字表記の輸入、表記から連想される大和言葉と漢字の接着によって現在の日本語の基礎的構文法が成立したと認めるならば、ルロワ=グーランが指摘するように、ひとつの漢字が中国語として持っていた音声的価値も文法的機能も日本語としての漢字の訓のなかにはいっさい残存しておらず、まさにその事実によって日本語が可能になったということになる。ここで私たちは、中国語と音声や文法もまるで異なる事実をもって、大和言葉の独自性を強調すべきではない。日本語と中国語が、英語とラテン語のような親族関係を持たない異質な言語であるがゆえに、借用された漢字と大和言葉の意味、音声、表記の自由な戯れを可能にし、そのような偶発性や恣意性によって今日の日本語が支えられているという事実こそ注目すべきなのである。

 このような歴史的経緯を振り返れば、私たちが現在使用する日本語すら、無数の偶発性と恣意性の結果として単語、構文法、その他あらゆる表現の形式として今日のように定着したものであり、教科書的な言語の本来性とはまるで無縁であることがわかる。それゆえ私たちは、DQNネームを表記と読みの「本来的関係」からの逸脱として否定することはできない。表記と意味・音声の恣意的な対応関係は、そもそも日本語の構成要件であった。

 ところで、DQNネーム批判に象徴される、複雑な歴史的過程を等閑視してあたかも確固たる日本語の規則が存在するかのように振る舞う「遠近法的倒錯」のいかがわしさは、幾度となく発生した「日本語ブーム」にも通じるものがある。これらブームにパラサイトする本の著者たちは、「正しい日本語」や「美しい日本語」というありもしない抽象性と戯れることで、せいぜい昭和中期以降のみずからの記憶を特権化し、高校受験、大学受験といった受験社会・学歴社会に象徴される、大衆の「教養圧力」につけ込むことで、みずからの言語学的正統性を確保しようと試みる。「決して集中して視聴されることはないが、それでもつけておいて不快ではないBGMのような存在」として、視聴者をなんとか繋ぎ止めるために濫造されたクイズ番組において、「教養主義的」な漢字の読み書きがどれほど出題されているか考えてみればよい。「エセ教養主義的言語観」「クイズ番組的言語観」は、言語の読み書きに関する本来性を信望する「DQNネーム批判」の世論に通底しているように思われる。さらにいえば、彼ら言語の本来的使用法を信望する人びとの一部が、「日本語の乱れ」や「教養の没落」を嘆き、みずからの思い出を政治的に拡大解釈し、「教育の再生」や「国家の品格」「戦後レジームの脱却」など得体の知れない抽象概念を振り回す、ロマン主義保守主義と結託している現状も見逃せない。

 重要なのは、言語は規則でも規範でもあり得ず、偶発性と恣意性の蓄積によってその歴史を歩み、またこれからも歩み続けるという事実である。漢字の読み書きについて、教科書的、漢検的な知識を振り回すことは、言語学的教養からもっとも遠い行為である。DQNネーム批判論者には、日本語の歴史的経緯を真摯に受け止め、トラブルやいじめに関する、ほとんど創作と解釈されても仕方がないような特異な個別事例をネットで拡散するのではなく、言語がわれわれの社会でいかに生き続けているのか、その過程を踏まえた上での批判を期待したい。



身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫)

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萌野 (1973年)

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反=日本語論 (ちくま文庫)

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