トマス・M・ディッシュ著,浅倉久志,小島はな訳『SFの気恥ずかしさ』(2005=2022)

 

『歌の翼に』『いさましいちびのトースター』の奇才トマス・M・ディッシュのSF評論集、ついに登場!

SFの限界と可能性を論じた名講演「SFの気恥ずかしさ」をはじめ、新世代SF作家を批判してジョージ・R・R・マーティンに反論された伝説的評論「レイバー・デイ・グループ」、書評家として燃やすべき本について舌鋒鋭く語った「聖ブラッドベリ祭」、ディック作品に対する愛にあふれる『偶然世界』序文、そしてエイリアンに誘拐された体験記の書評が奇想天外な展開を見せる「ヴィレッジ・エイリアン」など、技巧とユーモアに満ちた書評・エッセイを集成。『歌の翼に』『アジアの岸辺』で知られるSF作家ディッシュの卓越した批評家としての面を堪能できる傑作SF評論集。〈ディッシュの文章には磨かれた知性があり、ユーモアがある〉若島 正(本書解説より)

*本書で取り上げられている作品(一部)
A・E・ヴァン・ヴォークト『非Aの世界』/ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』/ウェルズ『モロー博士の島』/ポー「ベレニス」/ジーン・ウルフ新しい太陽の書〉四部作/ウィリアム・バロウズ裸のランチ』/バラード「夏の人食い人種たち」/オルダス・ハクスリーすばらしい新世界』/レイ・ブラッドベリ「黒い観覧車」/アーサー・C・クラーク『楽園の泉』/アーサー・C・クラーク2010年宇宙の旅』/アイザック・アシモフファウンデーションの彼方へ』/カート・ヴォネガットガラパゴスの箱舟』/スティーヴン・キング『恐怖の四季』/スティーヴン・キング『ペット・セマタリー』/フィリップ・K・ディックヴァリス』/ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』/グレゴリイ・ベンフォード『タイムスケープ』/フィリップ・K・ディック『ゴールデン・マン』/ヴォンダ・マッキンタイア「霧と草と砂と」/ロバート・A・ハインライン『フライデイ』/『夜のエンジン』/L・ロン・ハバードバトルフィールド・アース』/フィリップ・K・ディック『ティモシー・アーチャーの転生』/ジョン・クロウリー『エヂプト』/ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』/ジーン・ウルフジーン・ウルフの記念日の本』/ウィリアム・ギブスンモナリザ・オーヴァドライヴ』/ウィリアム・ギブスン『ヴァーチャル・ライト』/ウィリアム・ギブスンブルース・スターリングディファレンス・エンジン』/フィリップ・K・ディック『偶然世界』/フィリップ・K・ディック『最後から二番目の真実』/ホイットリー・ストリーバー『コミュニオン――異星人遭遇全記録』/ピーター・ワシントン『神秘主義への扉――現代オカルティズムはどこから来たか』/ロバート・A・ハインライン『自由未来』/『未知との遭遇』/ホイットリー・ストリーバー『宇宙からの啓示――異星人遭遇記録』/ピーター・アクロイド『原初の光』/ジョン・バース『船乗りサムボディ最後の船旅』/ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』

第一部 森
SFの気恥ずかしさ 
イデア――よくある誤解 
神話とSF
壮大なアイデアと行き止まりのスリル――SFのさらなる気恥ずかしさ

第二部 祖先たち
ポーの呆れた人生 
墓場の午餐会――ゴシックの伝統におけるポー 
すばらしい新世界』再再訪 
テーブルいっぱいのトゥインキー 
原文ママ、ママ、ママ 
天国へのバス旅行 
宇宙の停滞期 
アイザック・アシモフ追悼 
世代の溝を越えたジョーク 
時間、空間、想像力の無限性――そしてとびっきりの筋肉 

第三部 説教壇
王(キング)とその手下たち――〈トワイライト・ゾーン〉書評担当者の意見
エスとの対話 
レイバー・デイ・グループ 
一九七九年――綿くずと水の泡 
ブラッドベリ祭 

第四部 選ばれし大きな樹
違った違った世界
クロウリーの詩
ウルフの新しい太陽
サイバーパンクのチャンピオン-――ウィリアム・ギブスンの二作品について
ヴィクトリア女王のコンピューター
ディックの最初の長篇
一九六四年にならえ

第五部 狂った隣人たち
ヴィレッジ・エイリアン
UFOとキリスト教の起源
SFという教会
まだ見ていない事実の確認
天国への道――SFと宇宙の軍事化
月光の下院議長―ニュート・ギングリッチの未来学参謀
未知との遭遇』との遭遇
最初の茶番

第六部 未来のあとで
生ける死者の日
おとぎの国バグダッド
SF――ゲットーへの案内
川を越えて、森を抜けて
首吊りの方法
天才キッズの秘密の暗号
とんちんかん、ちんぷんかん、ちちんぷいぷい

解説 若島正
訳者あとがき
索引

 

岡奈津子著『〈賄賂〉のある暮らし ー市場経済化後のカザフスタン』(2019)

 

ほんとうの豊かさとは?
1989から30年、市場化が問いかけるもの

ソ連崩壊後、独立して計画経済から市場経済に移行したカザフスタン。国のありかたや人びとの生活はどのような変化を遂げたのだろうか。

豊かさを追い求めた、この30年……

1991年のソ連崩壊後、ユーラシア大陸の中央に位置するカザフスタンは、独立国家の建設、計画経済から市場経済への移行という、大きな変化を潜り抜けてきた。その過程で、国のありかたや人びとの生活はどのような変化を遂げてきたのだろうか。
豊富な資源をもとに経済発展を続けるカザフスタンは、いまや新興国のなかでも優等生の一国に数えられる。
独立前からカザフ人のあいだにみられる特徴のひとつに「コネ」がある。そして、市場経済移行後に生活のなかに蔓延しているのが、このコネクションを活用して流れる「賄賂」である。経済発展がこれまでの人びとの関係性を変え、社会に大きなひずみが生じているのだ。
本書は、市場経済下、警察、教育、医療、ビジネス活動など、あらゆる側面に浸透している「賄賂」を切り口に現在のカザフスタンをみていく。賄賂は多かれ少なかれ世界中の国々でみられる現象だが、独立後のカザフスタンは、それが深刻な社会問題を生み出している典型的な国のひとつである。
ここから見えてくるのは、人びとの価値観の変容だけでなく、ほんとうの「豊かさ」を支える社会経済システムとはどのようなものかという問題だ。豊かさを追い求めた、この30年の軌跡。

プロローグ 〈賄賂〉を見る眼

第1章 中央アジア新興国カザフスタン
一 国土と住民
二 ナザルバエフ政権の功罪
三 民族と言語
四 人びとの暮らし

第2章 市場経済化がもたらしたもの
一 計画経済から市場経済
二 変化するライフスタイル
三 コネとカネの使い分け
四 カザフ人の親族ネットワーク

第3章 治安組織と司法の腐敗
一 警察とのつき合い方
二 買われる正義
三 兵役と青年
四 腐敗の構造

第4章 商売と〈袖の下〉
一 ビジネスの実態
二 なぜ賄賂を払うのか
三 住宅問題
四 ビジネスと非公式ネットワーク

第5章 入学も成績もカネしだい
一 変わる教育
二 大学と「市場原則」
三 学校と保育園
四 腐敗の再生産

第6章 ヒポクラテスが泣いている
一 医療システムの変容
二 賄賂か謝礼か
三 命の沙汰もカネしだい
四 医療をめぐる現実

エピローグ 格差と腐敗

註記
あとがき
初出一覧
附録
索引

 

小倉孝保著『100年かけてやる仕事 -中世ラテン語の辞書を読む』(2019)

 

100年の歳月をかけて、英国で『英国古文献における中世ラテン語辞書』が完成した。
市民の言語採取ボランティア「ワードハンター」たちと、英国学士院が総力を結集した
成果だった。
採算がとれず、生涯で完成を見られない事業へ、参加者はなぜ邁進したのか?
特派員記者の著者は関係者を訪ね歩き、日本語辞書の編者にも取材を広げていく。
効率優先の現代に“言葉と文化”の意義を探り、日本人の働き方をも問うノンフィクション。

第一章 羊皮紙のインク
第二章 暗号解読器の部品
第三章 コスト削減圧力との戦い
第四章 ラテン語の重要性
第五章 時代的背景
第六章 学士院の威信をかけて
第七章 偉人と奇人
第八章 ケルト文献プロジェクト
第九章 日本社会と辞書
第十章 辞書の完成

 

西井開著『「非モテ」からはじめる男性学』(2021)

 

恋人がいない、女性から好意を向けられない等の苦悩は、「非モテ」という言葉によって九〇年代後半からネットを賑わせてきた。現在も「非モテ」問題は多くの男性の心を捉えて離さない。しかし、本当に「非モテ」男性はモテないから苦しいのだろうか?男性性が内包する問題について研究し、当事者の語り合いグループを立ち上げた著者が、男性が「非モテ」という苦悩を抱くまでの過程や内実を掘り下げ、問題の背景や構造を解き明かす。そして「非モテ」の苦惱から抜け出すための実践まで、男性学の視点から提示していく。

第1章 「非モテ」とは何か
第2章 「ぼくらの非モテ研究会」
第3章 追い詰められる非モテ・自分を追い詰める非モテ
第4章 女神への執着と非モテ
第5章 非モテから離れる実践
第6章 非モテの苦悩の正体を考える
第7章 つながり出した非モテ
終章 隣り合って「男」を探求するということ

 

奥村隆著『反コミュニケーション』(2013)

 

 私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない。たとえば電子メールというものがあって、これを仕事上使わなくてはいけない。苦痛だ。いきなり誰かからメールが来て、それに返事をしなければならない。返事をしないこともあるが、返事をしないとなぜか気持ちが重くなってしまう。いやだいやだと思いながら、返事をする。いや、必要に迫られて、自分のほうからいきなりメールを送るときも多い。相手は私と同じようにメールを送られて苦痛だと思っているのだろうな、と思いながら。

序章 イントロダクション
 1.はじめに
 2.「よいコミュニケーション」とはなにか
 3.不気味な他者とともに

第1章 浸透としてのコミュニケーション――ルソー
 1.ふたつの経験
 2.浸透としてのコミュニケーション
 3.媒介者の空間

第2章 遊戯としてのコミュニケーション――ジンメル
 1.「結ぶ」と「分ける」
 2.距離とコミュニケーション
 3.社交、貨幣、自由

第3章 対話とディスコミュニケーション――ハーバーマス鶴見俊輔
 1.カフェにて
 2.対話としてのコミュニケーション
 3.ディスコミュニケーション

第4章 他者、承認、まなざし――レインとサルトル
 1.3つのユートピアニズム
 2.アイデンティティと承認
 3.まなざし、葛藤、誘惑

第5章 葛藤、身体、ダブル・バインド――レインとベイトソン
 1.家族のディスコミュニケーション
 2.遊びとダブル・バインド
 3.アイデンティティ vs. コミュニケーション

第6章インターミッション――ジラール
 1.B&Bにて
 2.模倣と自尊心
 3.ふたつの「死」

第7章 演技としてのコミュニケーション――ゴフマン(1)
 1.ダブル・ライフ
 2.表舞台/舞台裏
 3.思いやりとかげぐち

第8章 儀礼としてのコミュニケーション――ゴフマン(2)
 1.人格を礼拝する儀式
 2.透明のディストピア
 3.ルソー vs. ゴフマン

第9章 接続としてのコミュニケーション――ルーマン
 1.ダブル、ダブル、ダブル……
 2.接続としてのコミュニケーション
 3.ふたつの質問

第10章 パラドックスとしてのコミュニケーション――ベイトソンと吉田文五郎
 1.教育というコミュニケーション
 2.学習というコミュニケーション
 3.吉田文五郎のコミュニケーション

第11章 純粋なコミュニケーション――ギデンズ
 1.Aさんのレポート
 2.純粋なコミュニケーション
 3.レポートへのコメント

終章 反コミュニケーション
 1.研究室にて
 2.反コミュニケーション
 3.おわりに

あとがき

 

行方昭夫著『英語のセンスを磨くー実践英語への誘い』(2003)

 

英語は上級者なのに,一つ壁があって先に進めないと悩んでいませんか? 英文を正しく読むにはコンテクストの理解が必須です.難解で知られるヘンリー・ジェイムズの短篇を丸ごと解説し,細部まで読みこなしていくのを助けます.この短篇を徹底的に学べば,今後どのような英文に出会っても自信を持って臨めるはず.現代文庫オリジナル版.

まえがき

 ヘンリー・ジェイムズ『ほんもの』を読破する

第1章 モナーク夫妻の画家訪問 辞書に依拠しつつもそれを超える方法
 前文を補う後文
 恨みがましいmight
 具体的に考える
 you knowは命令形
 英文解釈にも常識を!
 口にしえぬ語
 訳す順序
 比較級に注目
 風俗習慣を知る
 言い換え
 businesslike≠「ビジネスライク」

第2章 品位,人柄,物腰は完璧な紳士淑女の夫妻 論理を辿って正しい解釈に達する方法
 country-house訪問
 字面でなく具体的な内容
 Perhapsの意味
 作者の願い
 見当もつかない場合
 考え過ぎるな
 自然な日本語
 cry≠叫ぶ
 sociably

第3章 プロモデルの下町娘が画家に霊感を与える コンテクスト重視で納得のゆく解釈に至る方法
 比喩の扱い
 コンマで続く文
 「与える」のでないgive
 反語
 コンテクスト
 curtain≠カーテン
 naturallyの意味合い
 何が省略?
 結果の不定
 「上品」か「上品ぶる」か?
 意訳を使う
 熟語

第4章 敗北を認め雄々しく去る夫妻 なめらかに流れる訳文制作の方法
 不定冠詞で判断
 particularは「特別の」ではない
 抽象名詞の普通名詞化
 原文の不備を補う
 訳語は自分で工夫
 the fresh eyeはどこに?
 作者の不満?
 2つの解釈あり
 のぞき読み
 forの省略
 副詞節の係り方
 wrong thing≠「悪事」
 親愛の情のこもらぬMy dear Major!
 どっちの解釈?
 be動詞+形容詞
 コロケーション
 原文をいじる
 何のthe memoryか?

 ジェイムズと『ほんもの』について

 あとがき

 

村山達也「「好きな人の特別な存在になる」ことの特別さ——相互的な愛の価値について——」『エモーション・スタディーズ』2021 年 6 巻 Si 号 p. 22-30

リンク

Although being loved by someone we love is generally acknowledged as having special value, what that value is and from whence it derives remain unclear. As described herein, the author suggests two constituents of the special value of mutual love: the very nature of love, i.e., becoming happy by the happiness of one’s beloved; and a mutual recognition between lovers of this becoming happy by the happiness of one another.

After posing the question of the value of mutual love, the love–emotion relation is examined and defined in terms of relevant emotions. From this definition, the author examines a Union View of Love, inferring that this view clarifies neither the specificity nor origin of the value of mutual love. Finally, the author proposes the Echo View, explaining mutual love’s value by the nature of love and by lovers’ mutual recognition of their happiness, with some additional remarks about relevant issues.