東京大学教授の沼野充義(ロシア文学)と最前線で活躍する作家・学者たちが「新しい世界文学」について熱く語り合う! 世界文学とは、もはや読むべき価値のある古典作品のリスト(カノン)ではない。日本文学と英文学、仏文学、独文学あるいはロシア文学の壁も取り払った、まったく新しい文学のありようなのだ。巻末のあとがきでは、対談後に起こった東日本大震災を踏まえ、この時代の文学を考えるうえで何が重要なのかをふたたび考察する。世界文学を通じてわれわれはどう生きるべきか、どんな時代を生きつつあるのかについて、現在到達しうる最深の知見がちりばめられた一冊。
はじめに
【翻訳家・外国文学者編】
1 あらためて考えるドストエフスキー
亀山郁夫×沼野充義
東日本大震災と「世界文学」2 「美しいフランス語」の行方
野崎歓×沼野充義
フランス文学はどこから来て、どこへ行くのか3 「世界文学」の始まりとしてのアメリカ
都甲幸治×沼野充義
ポリフォニックな言語状況を生きる【実作者編】
4 太宰とドストエフスキーに感じる同じもの
綿矢りさ×沼野充義
「世界文学」はここにもある5 日本語で書く中国の心
楊逸×沼野充義
アジア文学の世界性6 母語の外に出る旅
多和田葉子×沼野充義
移動を繰り返しながら書くということおわりに
67 野崎『われわれはみな外国人である』
73 沼野「仏文だったら、渡辺一夫はラブレーで、阿部良雄はボードレール」「マヤコフスキーは水野忠夫、バフチンは桑野隆、フレーブニコフなら亀山郁夫」
78 野崎「つまり、フランス文学というのは、そういったフランス語の明晰さに抗う人や、合理主義敵かつ中央集権敵なフランス精神に反逆する人、そこから逃げ出したい人たちが作ってきた側面があると思うんです」「ただし、さらに加えて…フランス人は誰しも骨絡みの古典主義者と言いますか、ルイ王朝時代に作り上げたものが背骨まで染み込んで、それがないとしゃんと立っていられないというところがあります」「それで、たとえば19世紀までフランスでは外国文学の受容がいかに遅れていたかということが説明できる」「だからシェイクスピアの『オセロ』のハンカチをそのままは訳せなかった「ダンテの『地獄篇』ですら18世紀末までは訳せませんでした」
野崎『谷崎潤一郎と異国の言語』
ドストエフスキー『悪霊』
『新訳チェーホフ短編集』
シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』
ネルヴァル『火の娘たち』
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』
コンフィアン『コーヒーの水』
シモン『農耕詩』
ロンドン『野生の呼び声』
トニ・モリスン『青い眼がほしい』
クッツェー『マイケル・K』
アトウッド『侍女の物語』