「中東の春」と「ロンドンの暴動」(1)

 国内のメディア報道が、野田新政権の閣僚人事、党内人事や、島田紳助引退に端を発する芸能界と暴力団の関係を報じている一方で、海外メディアのここ数週間の最大の関心事はリビア情勢である。『TIME』『Newsweek』『The Economist』など著名な雑誌の最新号は数ページの特集を組み、BBC、CNNといったテレビメディアでもリビアの政治的動乱は連日トップニュースで放送された。

 周知の通りリビア情勢とは、2月15日に発生した人権活動家の弁護士の釈放を要求する抗議デモをきっかけに、カダフィ大佐の退陣を求めるデモが国内で拡大。政権側による国民への弾圧を深刻とみなした欧米諸国が、反政府組織と連携したNATOを軍事介入させ、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した一連の政変を指している。

 昨年から中東諸国にて連鎖的に発生した大規模反政府デモや抗議活動は「アラブの春 Arab spring」と呼ばれている。2010年12月17日に警察官による暴力に対する抗議の意思表明として、26歳の男性モハメド・ブアジジが焼身自殺した事件をきっかけとして発生したチュニジア反政府運動によって、ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊したジャスミン革命にはじまり、30年間の長期独裁政権に終止符を打ったエジプト騒乱、そしてアルジェリア、イエメン、ヨルダン、バーレン、サウジアラビアオマーンクウェートシラクでも程度の差こそあれ大規模な反政府運動が連鎖的に発生した。

 こうしたアラブの春に対して多くのメディアは、独裁者による長年の抑圧に対する国民の怒りの噴出として捉え、自由主義、民主主義の勝利を謳い上げた。9月7日の読売新聞の特集「9.11から10年 変わる世界」では、「自由を勝ち取った!」とムバラク政権打倒に歓喜するエジプト人男性の発言を、「カイロ中心部・タハリール広場を埋めた人々の表情には、独裁者を自分たちの手で倒した誇りがあふれていた」と解釈を加えつつ引用し、「民衆はテロや暴力ではなく、デモによる体制変革が可能なことを目の当たりにした」と解説、「民衆」の「テロ決別」を強調する。さらにこれを援護するように、論説委員の大塚隆一による「9.11後の10年」と題するコラムでは、「『自由』も『民主化』も『保護する責任』も西洋文明が産み出した価値観である。その意味で、反米や反西洋を掲げるアル・カイーダは『価値をめぐる戦い』、言い換えれば『ソフトパワーの戦い』の敗者だったと言い切ってもいいと思う」として、中東諸国の国民と国際テロ組織の間には、「共感はほとんど聞こえてこな」いほどまでに距離が広がっており、抑圧的な独裁政治に耐えかねた国民によって、自由や民主化が要求され、これらを推進する「西欧」の普遍的正義の勝利を宣言するかのような評価を下している。

 あるいは9月5日付のアメリカのニュース雑誌『TIME』に掲載された"The Liberation of Libya"という特集では、"How the lessons of Iraq paid off in Libya"として、国際情勢の違いーとりわけアメリカの危機的な財政状況ーを留保しながらも、イラク戦争後の新政権や治安の安定化をいかにして学び、継承するかを論じている。記事では、リビアの政変は、アメリカによる一方的介入であったイラク戦争とは異なり、アメリカやヨーロッパ諸国をはじめとする先進国のみならず、多くのリビア国民やカダフィ政権の離反者によってすら要求された「介入の新しいモデル」であり、NATOによる軍事的介入を「中東の人々の大志をサポートするための人道的任務」であったとして支持を表明している。

 読売新聞やタイムのこうした記事が、事実水準ではある程度の妥当性がありながら、「自由」「民主主義」といった曖昧な語彙の利便性への依拠に対する羞恥心が欠如しており、ジャーナリズムとして致命的であるという批判はさておき、ここでは先進国のメディアにおけるアラブの春に対する表象のイメージが、政治学史としては10年以上前の「古い議論」を拠り所としていることを確認しておきたい*1。彼らが「アラブ」や「中東」と一括りにまとめて論じてしまう地域は、同じイスラム教であっても数多くの宗派に分化しており、さらに複数の民族的出自、部族的伝統、セキュラリズムとの複雑な政治的関連など、極めて幅広い多様性を備えている。とりわけリビアは、かつてのイランやイラクなどの反政府運動や宗教的保守回帰が、アメリカとの同盟関係や「専制君主」による世俗化を前提として説明されていた事実と比較すれば、一貫して「反米」を叫び続けたカダフィソ連と親密な関係を保つことによって経済や軍事など様々な側面から長期的統治に成功した国家である。ならば今回の政変の機運が国民の間に熱した背景をどのように説明するのかが、マスコミによる安易な「自由論」を解体する契機にもなるだろう。

*1:この点についてはサミュエル・ハンチントン文明の衝突』の単純すぎる文化区分に対するエドワード・サイード『知識人とは何か』の批判を紹介すれば十分だろう。すなわち世界の全ての文明を、西欧、東方正教会儒教、日本、イスラムヒンドゥーラテンアメリカ、そして場合によってはアフリカによって分類し、今後の世界の動向を西欧文明と他の文明の対立関係としてモデリングしたことへの批判である。
 しかし、留保を付加しておけば、ハンチントンの「文明の衝突」仮説は、モデルとしてはそれなりの説得力を持っているということである。その根拠は、この論文が雑誌『Foreign Affairs』にて掲載されるやいなや、あらゆる論者によって集中砲火的に批判を浴びせられたという過剰反応に、かえって説得力や魅力を感じている精神分析的「否認」の徴候を見出せることだけではなく、イスラム諸国における反米感情アメリカにおける反イスラム感情に、とりわけ9.11テロ以後は明瞭に確認できるからである。ポストコロニアル理論に依拠するサイードの批判は、モデリングが個人の主体性や文化の多様性を搾取するという点で、植民地研究、文化研究としては重要な視点を提供するものの、理論/具体という二分法の前では、雲散霧消してしまう側面がある。