「中東の春」と「ロンドンの暴動」(2)

 (承前

 しかしイスラムの専門家でもない私には、そうした宗教的、文化的実態を紹介することで、イデオロギー的神話を複雑性によって相対化する知識も能力もない*1
 
 ここではステレオタイプな宗教や独裁体制、イデオロギーによる文化的説明とは異なる視点を導入することで、中東の連鎖的革命を評価するための切り口を示しておきたい。すなわち今回の反政府運動を、抑圧的なイスラム文明に対する西欧由来の自由の勝利という「文明の衝突」モデルを回避し、全く異なるモデルを提案することで、サイードに改めて批判されるきっかけを作ろうというわけである(もっともサイードは既に亡くなってしまっているが)。それはリビア、エジプトにはじまるアラブの春を、「中東情勢」としてカテゴライズするのではなく、本年8月にイギリス諸都市で大規模に発展した若年層の暴動と並列させることで見出すことができる。

 多くの人が知るところであるが、イギリスの暴動事件とは、本年8月初頭にロンドン北部のトッテナムにて黒人男性が警察官に射殺されたことをきっかけに発生した暴動である。FacebookTwitterが利用されたこともあり、暴動はトッテナムやロンドンに留まらず、バーミンガムマンチェスターリヴァプールなどイギリス各地の都市へ拡大し、大規模な混乱を引き起こした。暴動の主要層となったのは10代や20代の低所得階級の家庭で育った無職の若者達である。

 事件の直後、多くのヨーロッパのメディアでは、2005年10月、パリ郊外で発生した暴動事件と関連させることでイギリスの暴動を論じた。パリの暴動とはすなわち、フランス・パリの東にある郊外で北アフリカ出身の三人の若者が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけに移民の若者達が起こした暴動である。ヨーロッパの論者の多くは、経済的不況による若年層の反発、移民など社会的に排除された者による抑圧的政策への抗議の意志に起因するものとして2つの暴動を解説した。

 しかし2つの暴動に対するこうした評価は誤っているとスロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは指摘する。ジジェクは、2つの暴動を、パリ暴動の2ヶ月前、同年の8月に、ハリケーンカトリーナ後のニューオーリンズで起きた暴動と比較し、このように論じた。

ニューオーリンズの件を用いて、野放しのアメリカ流資本主義に対するヨーロッパ型福祉国家モデルの優越性を強調したヨーロッパの知識人に、燃え盛るパリは反省の種を与えた。ここヨーロッパでも起きうるのだと、我々は悟らされたのだ。しかし、ニューオーリンズにおける暴力の原因をヨーロッパ的連帯意識の欠如に帰した者たち同様に、悦に入った様子で反撃に転じた自由市場を推進するアメリカのリベラル派も間違っている。彼らは、市場競争とその原理を制限する国家の介入が、フランス社会の周縁へと追いやられた移民たちの経済状況の向上を妨げたのだと指摘した。多くの移民グループが成功者の仲間入りを果たしているアメリカとは対照的というわけだ」(引用 Some Politically Incorrect Reflections on Violence in France & Related Matters 1. Violence, Irrational and Rational 参考

 ここでジジェクは、2つの暴動を、「ヨーロッパ型福祉国家」や「アメリカ型自由主義」の優劣に短絡させて原因を論じるようなイデオロギー的語りを拒絶している。暴動を、優勝劣敗が全てのアメリカ型自由主義の敗北とみなす観点も、福祉国家がマイノリティーを社会的に包摂できないと制度疲労を指摘する観点も、ともに暴動発生の根源的説明として不適切だというのだ。それでは暴動はいかにして説明されるべきか?

 ジジェクは、近年の政治的抗議行動を、1968年にパリを起点として全世界に拡大した政治運動と比較してこう述べる。1968年の政治運動と比較すれば、ニューオーリンズとパリの暴動は、「積極的なユートピア的展望が完全に欠如していた」という点で異なり、「1968年のデモがユートピア的ヴィジョンに基づいた反乱であったならば、今回起きたのは、何ら建設的な未来図を主張することのない、単なる暴動」であった、と。

 確かに暴動を起こした若者の多くは、社会的に排除され恵まれた環境には置かれていなかったものの、飢餓に悩まされやっとのことで生存しているわけではなかった。彼らの多くは、具体的な要求を行うことなく、言葉にもならない漠然としたルサンチマンに基づいて、「存在の承認」を求めていたのである。つまりこう言い換えることもできる。暴動は、「何も求めない」抗議、「ゼロレベル」の抗議だったのではないか、と。既存の政治体制に対して、現実的な代替案や、意義ある理想的な取り組みを主張することができない悲劇的な現実こそ、私たちが置かれている状況をもっとも強く告発しているのではないだろうか。実際に、暴動の参加者の多くはインタビューにて、特定の宗教的、民族的集団としての立場を主張しなかった。

 暴動に対するこうした説明に続くようにして、『Newsweek』最新号のコラムにて、モロッコの小説家Tahar Ben Jellounは、リビアの革命をこのように解説する。彼は、「リビアの動乱は、『革命』と呼べる代物ではない。民衆の多くは、特定の指導者を持たず、イデオロギーも存在せず、党派を形成しているわけでもない。彼らは人間の尊厳を抑圧し、社会に対して何ら自分たちの存在を表現することができないものの、所在ない抗議の意志を表明したに過ぎない」と述べ、革命をイデオロギー的地平から論じることを批判している。彼らを反政府運動へ行動たらしめたのは、カダフィ政権の打倒を直接的に求めたわけではなく、社会的に一切の希望を持つこともできず、存在論的危機に瀕した民衆による目的なき声の表出であるというのだ。

 今や私たちは、「ゼロレベル」の抗議という点で、パリとロンドン、あるいはニューオーリンズの暴動と、リビア、エジプトなど「アラブの春」の政治的抗議行動を、並列的に論じることができる。パリやロンドンの暴動は、社会的に排除された移民層の政策的優遇を求めるものではない。ニューオーリンズの略奪は、市場原理主義の底辺に置かれた人々による政府への抗議の意思表明ではない。リビアとエジプトの反政府運動は、抑圧的な政権に対する禅譲の要求ではない。社会や未来に対してなんの希望も見出すことができないほどに絶望し、イデオロギーにすら回収されることができなかった人びと、いわば「裸の個人」による存在の承認を求める叫びなのである。

 私は以前、太平洋戦争末期の日本軍の悲惨な状況や、アウシュビッツで大量虐殺されたユダヤ人の事例を引き合いに出して、彼らはもはや「人間」ではなく「動物」と呼ぶにふさわしいと論じた(『ゆきゆきて神軍』と生の哲学)。そこでは人びとは、A社の社員として、B大学の学生として、C国の兵士として「政治的身体」=「ビオス」を獲得することすら能わず、あらゆる社会的特質を剥奪された「剥き出しの生」=「ゾーエー」として、動物的存在のように登録されている。

 ニューオーリンズ、パリ、ロンドン、エジプト、リビアなど世界各国、各都市で発生した暴動を、「動物の叫び」として今一度、類型化してみよう。彼らは、太平洋戦争やアウシュビッツのような極限状態におかれていないにも関わらず、あらゆるネットワークから脱落し、社会的要素を剥奪され、「裸の個人」として社会に晒された「動物化」した人びとによる抗議の意思、言い換えれば「常なるアウシュビッツ」の内部からの叫びの声が発せられたのである。

 最後に付け加えれば、私は、こうした「社会的身体」から脱離し、「動物的身体」が暴露した状態が、政治的暴動が起こった諸都市に限ることなく、私たちの日常の至るところに偏在していることを議論する準備がある。ここではクレジットカードやインターネットなどの情報環境、コンビニやファーストフード店における客の行動パターンのコントロール、監視カメラやゲットーに見る空間的隔離の流行などにその端緒を見出すことができるのだが、すでにブログ記事としては冗長になりすぎた。これらの論点については改めて議論したい。

*1:素人ながらの紹介だが、山内昌之スルタンガリエフの夢―イスラム世界とロシア革命』、池内恵『現代アラブの社会思想』はイスラム世界の複雑性を知る助けになるだろう。前者はスターリンによって粛清されたタタール人のムスリムコミュニスト、ミールサイト・スルタンガリエフの生涯を追跡した著作である。形式的にはいかなる宗教も国家も認めない「普遍思想」である共産主義者でありながら、ムスリムとしての信仰心とタタールナショナリズムという「特殊思想」を捨てきれず、反帝国主義としての両立可能性を追求した悲劇的革命家の生涯を描いた物語。後者は、イスラエルの電撃作戦によってエジプト・シリア・ヨルダン軍が撃破された「六日戦争」の決定的敗北を期した1967年を起点として、ムスリムの政治思想が、人民解放闘争を唱える急進的マルクス主義と過激なイスラム原理主義に分化するプロセスを、出版物やイスラム圏の研究成果を丹念に読み解くことで考察する。アメリカ1ドル札のピラミッドの挿画にアメリカの中東支配が予言されていたと捉える言説など、コーランの「終末論」と現代的「陰謀史観」がオカルト的に結合する過程の分析には疑問点も多いが興味深い。