清水亮「文化資本と社会階層」『ソシオロゴス』18, 260-272, 1994年

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261「ブルデューは、人々が普段何気なく行っている日常的・慣習的な諸々の行為・行動をプラティークと呼ぶ… そして、行為者の主体的意志の積極的関与を必ずしも前提としないことをその特徴としている。すなわち、「プラティークがハビトゥスに基づく」というとき、それは意識的であろうと無意識的であろうと、行為・行動が本人のハビトゥスによって否応なしにある一定の方向へと導かれていくということを指しているのである」
262「一方、ハビトゥスとは人々が内面化しているディスポジシオン(disposition:「性向」とも訳される)の集合としてのシステムである。ディスポジシオンとは行為者をとりまく客観的な社会的条件(地位・職業・学歴等)が内面化され、身体化されることによって形成された主観的な行為の方向づけであり、したがって行為(プラティーク)という個人的な営為を社会的諸条件に適応させる働きを持っているものである。このディスポジシオンは各行為を個々別々にそれぞれの方向へと導くものであるが、相互に無関係に行為を規定しているわけではない。それらはお互いに連動しながら全体として一つの色調を構成している。そうしたディスポジシオンの総体がハビトゥスなのである」
262「文化資本とはハビトゥスを作り出すための環境的条件のようなものである。この概念は言うまでもなく経済学用語であるところの「資本」概念を拡張したものであり、したがって資本である以上、新たな富(=利益)を生み出すことを期待された富の一種である。そして、ブルデューによれば①身体化された文化資本(知識・能力・技術など)、②客体化された文化資本(書籍・レコード・絵画など)、③制度化された文化資本(学歴・各種ライセンスなど)という三つの形態に分類される。これらはいずれもハビトゥスの形成に一定の役割を果たすものであり、このハビトゥスを媒介にして諸行為に影響を及ぼす。したがって、利益に結びつく行為を生み出すような文化資本ほど価値が高いものと見なされることになる。ここに文化資本の獲得をめぐる闘争が発生するわけである」
竹内『立志・苦学・出世』

立志・苦学・出世-受験生の社会史 (講談社現代新書)

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