ピエール・ブルデュー著, 水島和則訳『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待―ブルデュー、社会学を語る』(1992=2007)

リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待―ブルデュー、社会学を語る (Bourdieu library)

リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待―ブルデュー、社会学を語る (Bourdieu library)

反省性=再帰性とは何か?若き俊英ヴァカンによる、現代社会理論の核心をめぐる数々の質問にブルデュー自身が応答。「リフレクシヴィティー」概念を軸に、英米圏を含む現代の思想状況を俯瞰しながら、ブルデューがその社会学の成り立ちと使命を余すところなく語った絶好の入門書.

序文  ピエール・ブルデュー
緒言  ロイック・J・D・ヴァカン
1部 社会的実践の理論に向けて ----ブルデュー社会学の構造と論理 ロイック・J・D・ヴァカン
  1 社会物理学と社会現象学の対立を越えて
  2 分類闘争ならびに社会構造と心理構造との相互規定性はじめに
  3 方法論的相対主義
  4 実践感覚〔勘〕という曖昧な論理
  5 理論至上主義と方法論至上主義に抗して ----全体的社会科学
  6 認識の反省性
  7 理性、倫理と政治
2部 リフレクシヴ・ソシオロジーの目的 ----シカゴ大学におけるセミナー(一九八七年冬)ピエール・ブルデュー&ロイック・J・D・ヴァカン
  1 社会分析としての社会学
  2 界のメカニズム
  3 利益・ハビトゥス・合理性
  4 象徴暴力
  5 理性の現実政治に向けて
  6 客観化をおこなう主体を客観化する
3部 リフレクシヴ・ソシオロジーの実践 ----社会科学高等研究院のセミナー導入部分 於パリ (一九八七年十月) ピエール・ブルデュー
  1 わざを継承する
  2 関係論的に考える
  3 ラディカルな懐疑
  4 二重拘束と視線転換=回心
  5 参与的客観化
付録1 ブルデューの読み方
付録2 『社会科学研究紀要』掲載論文セレクション
付録3 近年のブルデュー論セレクション
謝 辞 ロイック・J・D・ヴァカン

10 ヴァカン「出発点にあった着想は、ブルデューの企ての重要性が彼の提示した個々の概念、理論、方法論的指示、あるいは経験的観察のなかにあるのではなく、彼がそれを生み出し、互いに結びつけ、利用するやり方の中になるのではないか、という考えだった」
20「ブルデューは主体と客体、意図と原因、物質性とシンボルによる表象とを分離させることを拒む非デカルト的社会存在論を基礎にして、社会学を弱体化させる還元主義、社会学を一方では物質的諸構造についての客観主義的物理学に還元し、他方では認知の諸形態についての構築主義現象学に還元する立場の両方を乗り越えるため、この二つの立場を共に包摂できる発生的構造主義を提案する」
106「しかし、私がガーフィンケルエスノメソドロジーから結局のところ袂を分かってしまいたい理由のひとつもそこにあります。フッサールとシュッツが示したように、われわれにとって社会についての一次経験が存在するという点には私も賛成です。この一次経験は、世界を自明なものとして受け入れるようにわれわれを仕向けるような「直接信じる」という世界へのかかわり方にもとづいています。こうした分析は記述としてみれば卓越しているのですが、記述のレベルを越えてわれわれは進まなければなりませんし、このドクサ的経験の可能性の条件について問いを立てる必要があります。直接的了解の幻想を生み出すのは客観的諸構造と身体化された諸構造との一致ですが、この一致は世界についての可能なかかわり方の特殊ケース、つまりネイティヴとしての経験であることがわかります。民族学的経験の大きな効用は、客観的構造と身体化された構造との一致という条件が普遍的に満たされているわけではない、という事実にすぐに気づかされてくれるところにあります。ところが現象学は学者が自分の生まれ育った社会に対して有する本来的関係という特殊ケースにもとづいた内省を(それと自覚することなく)一般化させるとき、この条件が普遍的だとわれわれに信じさせてしまっているのです」


259「そこからはっきりと理解できたのは、民族学者や社会学者がそれで満足していることの多い直線的な生活史というものがどんな点で人為的なのか、そしてヴァージニア・ウルフ、フォークナー、ジョイスあるいはクロード・シモンによる一見するときわめて形式的な探求の方が、伝統的な小説を読むことでわれわれが慣れてしまっている直線的な物語よりも、現在でははるかに「現実的」で(この言葉に意味があるとして)人間学的にもより真実らしいが、時間経験の真実により近いか、ということです」

p.267まで