鈴木宗男・魚住昭・佐藤優『鈴木宗男が考える日本』

 新党大地の直近の衆院選、比例ブロックの得票数は、2005年の総選挙では43万3938票(得票率13.4%)、2009年の総選挙では433,122票(得票率13.0%)。両選挙において同党は1つの議席を獲得した。事実上は鈴木宗男の個人政党であるこの新党大地が、北海道にてここまで支持されるのはなぜか?

 それは北海道が「"政治"を必要とする」独特の土地柄と、そこにおける鈴木宗男という人物の意味合いに向きあう必要がある。本書にて鈴木の盟友、佐藤優は鈴木の基本的な心象風景を「汗水たらして働く開拓農民」であると指摘する。魚住昭は、鈴木の出身地である北海道足寄町の風景を次のように語る。

 鈴木さんが生まれたのは、足寄の中心から利別川沿いに北上した大誉地という集落です。冬の深夜、あまりの寒さに受益が凍って木がバシーンと割れる音が響くそうです。「あの木の割れる音を聞かないと、鈴木宗男はわからない」。案内してくれた労組の方がそう話してくれました。私は木が割れる音を聞けませんでしたが、ここで冬を過ごすことがいかに過酷なものなのか、その一端はうかがえたと思います。足寄町の中心も雪は深いとおもいますが、大誉地の天候は全く違います。山に左右を挟まれ、谷の底にあるような地区で、交通は道路だけ。ふるさと銀河線は2006年に廃線になり、無人の駅舎の周囲の民家は半分くらいが廃屋でした。鈴木さんの生家だと教えられた建物にはあまりに雪深くて、近づけませんでした。

 鈴木さんの父親は畑を約30ヘクタール所有していましたが、知人の借金の連帯保証人になっていたために手放し、のちにそれを鈴木さんが買い戻したと聞いています。父親が手広く事業を手がけていたとしても、地理的、気性的に厳しく、地元の高校卒業を控えた鈴木さんが、東京の大学に進学しようとした気持ちはよくわかります

 これに対して佐藤は、「和人」がアイヌ人を排斥して開墾して住み着いた植民地である北海道は、自然発生的な本土の農業共同体とは成立の経緯が違うと応える。過酷な自然環境に加えて政治による利害調整を必要とすることでようやく延命できる「公共事業に頼らなければ生きていけない土地」。この風土が「温情ある利権誘導家」=「土着的社民主義」政治家としての鈴木宗男を生み出した。

 このような鈴木の環境と遍歴は、魚住が名著『野中広務 差別と権力』にて発見した保守政治家としての野中広務をオーバーラップさせる。彼の出身地である京都府園部町は、野中が町長に就任した1958年から上下水道、電気、道路、学校などのインフラがどんどん整備され、劇的に変化していった。これは野中が、当時すでに自民党郵政大臣を経験した田中角栄へのルートを知人を介してつくり、その後、田中角栄のもとに頻繁に陳情を繰り返して、太いパイプを築くことに成功したためである。一方で野中は、京都府知事で共産党系の蜷川虎三とも太いパイプを持っていた。「右手に田中角栄、左手に蜷川虎三」というルートで国や府の予算を被差別部落の園部に引っ張ってきていた。これにより過疎化が進んでいた町は一転して、全国のモデル自治体に生まれ変わった。

 戦後保守政治=利権誘導政治=土着的社民主義としての鈴木宗男野中広務の信念や手法が、高等教育を受けずに首相まで上り詰めた今太閤」田中角栄の反復であることは明らかである。

 鈴木は、3.11後の民主党政権が、場当たり的対応しかできないことを、「政治から情がなくなった。道義や信義が失われた」ためであると述べる。「政治家というのは、選挙で人様に自分の名前を書いてもらう、言い換えれば、人様のお心をいただいて政治家になれる」のであって、高収入、高学歴で育ち、職務を契約として捉える昨今の民主党政治家とは異なることを強調する。

 鈴木の述べる「情」とは、利権誘導のための口当たりのよい方便だろうか?確かにその側面は否定できまい。90年代後半からの公共事業批判の文脈では、交通量の著しく少ない道東の国道がテレビ番組で「ムダ」として批判されていたことを思い出す。しかし直後に続く「『情』とはお涙頂戴のような世界をいうのではありません。高度な政治的駆け引き、得意とする政策分野で手腕をふるおうとするときこそ。相手の立場で物事を考えるという意味での『情』が必要なのです」との発言には、理想と現実との妥協点を探るタフネゴシエーターとしての鈴木の一面も垣間見える。

 とはいえ、公共事業なくして延命できない地方政治を、従来のような戦後保守政治=利権誘導政治=土着的社民主義で延命させることは、今後、長くは続かないだろう。それは、後輩議員への(合法的な)資金の譲渡を「私兵を集めるのか」として批判された一件からも推測できる。

 疲弊する地方政治において、鈴木や野中のような、田中角栄のゴーストは今でもなお、絶対的な影響力を維持している。これを新自由主義に則った「ムダ」の文脈で、一蹴することはできないだろう。本書は、佐藤や魚住ら「応援団」によって鈴木をあまりにも肯定的に賞賛しているため、鵜呑みにするのは危険であるが、戦後、絶大な影響力を発揮してきた保守政治家の重みを再確認させられた。



鈴木宗男が考える日本 (洋泉社新書y)

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野中広務 差別と権力

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