B級映画―その語源

 「B球映画」の語源について蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』を読む。現在広く受け入れられているB級映画は、「作家的自覚をまったく持たぬ職人監督が器用に仕上げてみせる娯楽映画や、もっぱら観客動員をあてこんで話題性を誇示するゲテモノ映画や、意欲を欠いた企画が量産する粗製濫造のプログラム・ピクチャー」という意味である。

 しかしこの意味は、本来的な意味とは異なるらしい。1922年にフランスからアメリカにわたった映画ジャーナリストのロバート・フローレーは交友録『魔法のランプ』にて以下のようにB級映画に触れている。

B pictures B級映画 この表現の起源は次のごとくである。ウィリアム・フォックス社が、ハリウッドのウェストウッズ・ヒルズに撮影所を新築する決定を下したとき、ウェスタン・アヴェニューの旧撮影所もそのまま残すことになったのだが、フォックス社の上層部は、旧撮影所の主要なプロデューサーであるソル・ヴァーツェルに、新撮影所に移転するよう要請した。ヴァーツェルが聞かされたことは、新撮影所の一般会計が旧撮影所より遥かに多額であるということ、また、制作費も増額されることになるので、一本あたりの予算も高くなるだろうということだった。ウェストウッズ・ヒルズの新撮影所が立っていたのが「A地域」、ウェスタン・アヴェニューの旧撮影所が立っていたのが「B地域」であった。ヴァーツェルは、旧撮影所での作品の純益から給料を得ており、そこでの予算は定額であっただけに、彼の利益はかなりの額にのぼっていた。「A区域」での仕事を受け入れれば予算と純益との差が低くなることを見こして、彼は新撮影所への移転を拒絶したのである。このことがあって以来、ヴァーツェルが制作する制作費の安い作品は、まず「B地区の作品」と呼ばれ、やがて「B映画」と略称されることになる。この名称は、他の映画会社でも、同種の作品を呼ぶために採用されることになった。


 彼の文章からわかる通り、B級映画という言葉は純粋に特定の地理的区分に基づくものであった。高額の予算を計上したA地区の新スタジオで制作された「A級映画」に抵抗したプロデューサーたちが、低廉な予算で制作した映画の利益を保護するために残った作品群が「B級映画」なのである。

 前述した新撮影所ムーヴィーストーン・シティの落成は1928年10月28日である。しかしまだ疑問が残る。28年は早過ぎるのではないか。B級映画の登場を制作者側の利益の側面からは理解できても、観客の側からそうした低廉映画を要求する機運が備わっていないのだ。したがってB級映画が定着するためには、A級映画との二本立てという興行形態が必要である。これが成立していない時点ならば、一見「B級的」作品の『フランケンシュタイン』や『キング・コング』(33)ですらB級映画とはいえない。

 アメリカにおいて二本立て興業が成立したのは1930年代前半のことであり、これは不況時代の観客動員数の減少をくい止める制度として映画館から要請された。折しも1929年にウォール街の株の暴落にはじまる不況時代が到来し、映画館への観客数は減少の一途であった。1930年に週平均1億人近くいた観客が、33年にはその半数まで落ち込んでいたというからその影響は深刻である。この状況への処方箋として、映画館は来場者への景品の抽選など様々な工夫を凝らしたが、二本立て興業はそのひとつである。ここにて短時間、低予算のB級映画が成立することになる。

 こうしてメジャー系会社は「B級映画」の量産体制に入る。「B級映画」の予算は「A級映画」の十分の一、撮影期間はA級の6週間に対して2週間と短く、1週間以内で撮影されるのも珍しくなかった。上映時間は60〜70分程度が標準である。

 ところがこの「B級映画」がなかなか安定した商品であった。「A級」が歩合制で利益のほぼ40%が映画館に落ちることになっていたのに対して、「B級」は買取り制になっていたので、自社系列の劇場を持たない弱小プロダクションにとっては好条件であった。とりわけ配給ネットワークが後発だったユニヴァーサルがこれに喜び、お家芸であった怪奇映画に加えて、ヴァスター・クラブ主演のフラッシュ・ゴードンは興行的成功を収め業績の拡大に寄与した。ピーター・ローレーやジョン・キャラダインら主演俳優が彩りを添え、新人俳優の登竜門としても機能した。他にもモノグラム社やリパブリック社が、それぞれスターや専属俳優をかかえて低予算の活劇映画を製作し、多額の利益を得ることに成功した。

 このように「B級映画」の歴史を辿ってみると、私たちが現在使っている「B級映画」とは、その意味が大きくかけ離れていることがよくわかる。

 となれば私たちはある転倒に直面せざるを得ない。すなわち意図して「B級的」テーマに取り組んできたスピルバーグは実は「A級映画」監督であり、「A級的」印象の強いゴダールこそが「B級映画」監督ではないかという転倒にである。