黒沢清,吉見俊哉,四方田犬彦, 李鳳宇編『日本映画は生きている 第1巻 日本映画は生きている』(2010)

日本映画はどのように変貌し,どこへ向かおうとしているのか.グローバル化と映像メディアの発達により,日本映画の制作,配給,消費の環境は激変し,映画と人間の新しい関わりが問われている.映画史や内外の最新の研究成果をふまえ,根源的に問い直す,日本映画の現在

総論 日本映画の新しい福音のために 四方田犬彦
日本映画の現在をめぐって 李鳳宇
メディアがあたえた映画の組成変化とは何だったのか―○○年代の「東宝的なもの」をめぐって 阿部嘉昭
フィルムアーキヴィストに関する七つの断章 松本圭二
肖像権問題はドキュメンタリーをどこに導くか 森達也
境界の映画、映画の境界―沖縄映画、日本映画、一つの映画か二つの映画か? 仲里効
日本/映画/理論 アーロン・ジェロー
日本映画とハリウッド 宮尾大輔
映画館における観客の作法―歴史的な受容研究のための序論 板倉史明
韓国人は日本映画をどのように受容してきたか 卜煥模

●ジェロー論文
160「今村太平や中井正一、戸坂潤、権田保之助、谷崎潤一郎、杉山平一、松本俊夫吉田喜重、浅沼圭司や蓮實重彦
162 佐藤忠男「多数の理論的著書を書いた人としては、今村太平の名をあげ得る程度であろう」
167「すなわち日本の映画文化そのものが、国家や知識層から(「西洋」と表されるところの)欧米の文化に至るまであらゆる形の権力による外部からの操作に従属していたのである。理論もしくは研究はしばしばそのような操作と共謀し、検閲やその他の権力機構などに加勢することによって、自らを圧迫していた。すなわち、皮肉にも映画理論はしばしば映画と対極にあったのである」
170 純映画劇運動【wiki
170 トーマス・インス
175, 197, 38 長谷正人「日本映画と全体主義ー津村秀夫の映画批評をめぐって」『映像学』第63号, 1999
180「日本映画の性格的特徴の重要な一つは、心理性のかけていることであると云へるであらう。心理学的に突込んで考える或は観察すると云ふことは、日本人には不向きなのであらうか」大槻憲二『映画創作鑑賞の心理』1942
181 岩崎昶
186 (映画理論家が高学歴、現場の製作者は低学歴であるという対立を論じる佐藤忠男に反論して)「牛原虚彦、村田実、あるいは川島雄三といった高学歴で知られる監督や(前者二名は重要な分析的映画雑誌『映画科学研究』の創刊に携わり、また後者は明治大学映画研究部のメンバーであった)野田高梧の例のように批評家としても活動していた数多くの脚本家らについて(…)」
190「彼(佐藤)の目的は否定的な論理(日本映画には理論がなく、従って価値はない、という論理)を肯定的にすることが、構造は依然として同じである。しなわち、日本とその映画は理論に従属しない限りにおいてにhん的なのである」