
- 作者: 三浦哲哉
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「ひとは何を求めて映画を見るのか。自由の幻想を求めてである、という答えが第一にありうるだろう。(…)しかし、それだけではない。自由ではなく不自由の体験を観客に与えようとするフィルム群があることは、誰しもが知るところであるだろう」
“サスペンス”とは、宙吊りの状態、未決定の状態に置かれること。登場人物および観客をもそんな状態に巻き込むのが、サスペンス映画である。ひとはなぜ自らすすんで、そんな不自由と恐怖を求めて映画を見るのか。
感情移入とカタルシスに基づく説話論的サスペンス理解を超えて、確かな足場のない宙吊りの不安、さらには不安がもたらす魅惑を、サスペンス映画はさまざまに組織し、洗練し、そして継承してきた。
「不安が最終的に解消されることなどけっしてなく、(…)ヒッチコック的な眼差しを経由したいま、日常は、映画館の外においても、つねにすでに犯罪を抱え込んだものとして現れる」
グリフィス、セネット、キートン、ラング、ウェルズ、ターナー、ヒッチコック、スピルバーグからイーストウッドまで、斬新な映像分析、小気味よい論理展開、息づまる(映画的な)場面描写によって、新たな映画の見方を提示する。表象文化論の新鋭による、読み物としても第一級の映画史。
序論
第一部 モビリティー
第一章 サスペンスの始まりとグリフィス
一 チェイス・フィルムと予定調和の問題
二 『ドリーの冒険』から並行モンタージュへ
三 離散と回帰のメロドラマ
四 現在からの逸脱
五 サスペンスのパラドクス第二章 バーレスクとモダン・エイジ
一 マック・セネット
二 身体の機械化
三 行動主義心理学とバーレスク俳優
四 不適応の諸様式──ロイド、チャップリン、キートン
五 サイレント時代の終焉第三章 フリッツ・ラングと二つの全体主義
一 都市のサスペンス
二 マブゼとM
三 ハリウッドの全体主義
四 説話的サスペンスとエルンスト・ルビッチ
五 ハリウッド時代のラング第二部 めまい
第四章 主観的サスペンスとジャンル化
一 サスペンスのジャンル化
二 オーソン・ウェルズ─―光学とメディア
三 ジャック・ターナー―─境界と闇
四 知覚の宙吊りと主観ショット
五 投射の罠第五章 ヒッチコック的サスペンス
一 客観的サスペンスと主観的サスペンス
二 予兆と平面
三 観客の場所
四 らせん
五 幻滅第六章 ポスト・ヒッチコック
一 古典的スタジオ以後
二 スペクタクル時代の諸要素
三 SFサスペンス
四 収束
五 クリント・イーストウッド

- 作者: 松浦寿輝
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p.50「メロドラマの物語は、グリフィスにおいて、失われた南部の主題と強く結合している。彼の父は南軍の大佐であった人物で、グリフィスは彼を典型的な南部人として回顧している。その自伝によれば、彼の父は一家団欒の場でしばしば南軍の勇壮な逸話の数々を語り、少年だった彼に強い印象を残した。グリフィスは、終生、南部人としての出自を強調し、再三にわたりその神話化に与してきた。失われた融和の場所、寛容な伝統主義、騎士道精神と貞操観念によって飾られた楽園として、南部は美化された。逆に、北部人たちが作った近代的アメリカを、グリフィスは腰を落ち着けることのできない異境と捉えた。この点はグリフィスのサスペンスを理解するうえできわめて重要である」
p.59「ノエル・キャロルはこのパラドクス(「未決定の状態によって観客を緊張させるはずのサスペンスが、結末が決定されていてなお可能であるのはどうしてか」という「サスペンスのパラドクス」)を取り上げて、その解決のために、「ちしき」(knowledge)と「想定」(thoughts)の区別を提案している。物語上、何が起きるかということをすでに知っていることを「知識」とし、物語をいままさに生きている登場人物の立場に身を置いたつもりになることを「想定」とするならば、両者は異なる水準にある。サスペンスは「想定」から生まれる。観客は、登場人物がある特定の現在を、驚きながら経験しつつあるものと「想定」することで、何度でもサスペンスの感情を掻き立てられる」。しかし「知識」をもつことで「想定」は困難になるのではないか。キャロルはそれを問うていない。
p.59「観客が登場人物の生きる現在に同期することで、それを不確定であると「想定」することがサスペンスなのではない。滅びることが決定されている時間の相と、それをまた現在において生き直す時間の相が重ねられるがために喚起される観客の依るべなさの感情こそ、グリフィスのサスペンスなのだ」
p.120「はじめに要約するならば、それ(ルビッチとは異なるラングの戦略)は、ハリウッドのある種の全体主義をフィルムの構成そのものが厳密に模倣し、誰よりも完璧に説話論的経済性の高い映画を作りつつ、それをそのまま「加虐性」の相に転化することだった」
p.122「観客=弾劾者というこの図式は、視線劇の構成にきわめて巧みに組み込まれる。『暗黒街の弾痕』には、逃げる主人公二人をライフルの照準の見た目で捉えた名高いショットがあるが、ラング自身が語るところによれば、この手法は彼の説明である。観客がいま現に見ているものが、殺人の見世物でえあり、それが数学的な正確さで遂行されるだろうということ、しかも観客が自ら望んでそれに立ち会っていることをあからさまに示す点で、このショットはラング的なセノグラフィーの典型であると言えるだろう。同様のショットは『マンハント』(1941)の冒頭、秘密工作員がヒトラーをライフルで狙撃する場面でもきわめて印象的に用いられている」
p.126. まとめ。30年代アメリカ映画にて過激な資格表現の禁止により説話論的経済性を獲得。サスペンスは、1.秩序遵守的な説話的サスペンス、2.秩序とシニシズム的な距離において開かれるルビッチ的サスペンス、そして秩序の強制力そのものを対象化するラング的サスペンスの3つの戦略をとった。
p.133「40年代に起きたのは、「サスペンス」の名が、「メロドラマ」ないし「スリラー」かっら独立するプロセスである」
p.134「サスペンスというジャンルの第一の特徴は、「効果」から出発するという、いわば「効果至上主義」にこそある」
p.139,169(11)

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p.160,171(32)

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p.220「とくに第一部で論じた「客観的」なサスペンスには、そのヴァリエーションを貫く一つの特徴があった。機械装置との親和性である。グリフィスの自動車と銃と電話。セネットの機械トリック。さまざまな仕方で表象されるそれら機械装置との結びつきを通して、サスペンスは、時間の不可逆性を感覚化し、絶対的な受動性へと到達する。スペクタクル的な映画におけるスローモーションが、いかに安直に使用しうるものだといえども、やはりサスペンスの核心に届いているという印象を喚起するのはこの理由による。始原的な機械性の相において、イメージの運動と、そこへの介入の不可能性が示されるからである」
p.238「ヒッチコックにおいて問題だったのが、日常のただ中にいかにして死体を置くかだったとするならば、スピルバーグにおける問題は、すべてがすでに死者である世界においていかにして懐疑的な生を回復させるかであると言えるだろう」
p.266「実話を題材にしたこの映画(『チェンジリング』)は、こうして解決しないまま、雑踏の群衆に交じってゆく母親の小さな後姿を見守るロングショットによって閉じられる。閉じられるというよりも、ロサンゼルスという現実へ合流する印象が与えられる。登場人物たちは、フレームの彼方へ、見えないものの領域へ移行する」※『アメリカン・スナイパー』のラストシーン。クリス・カイルの後姿から、彼の葬儀セレモニーを映した実写映像に至るエンディング。