林凌「消費空間としての郊外を作り上げる―日本の小売店舗郊外化における知識ネットワークの役割―」『年報社会学論集』2017年, 2017巻, 30号, p.110-121

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This paper explains the role of knowledge networks in the suburbanization of chain stores by focusing on the discourse in retail consultants' contributions to trade magazines in the early 1960s. Previous studies had been unable to fully investigate processes that understood suburbs as fit spaces for the retail industry. This transformation occurred because of a network that was initiated by consultants, who insisted that suburban stores could be profitable. By sharing knowledge about controls in and visions about the ideal retail industry, these consultants presented solutions for retailers who were facing difficulties with management strategies. This was the trigger for the suburbanization of commercial accumulation.

 

川山竜二「反省理論と科学システムの衝突―機能システムの内部構造論に向けて―」『年報社会学論集』2018年, 2018巻, 31号, p.36-47

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This study examines the relationship between reflexivity in functional systems and science as a functional system from the viewpoint of functional differentiation. We discuss the internal structure of functional systems and the complicated relationship with reference to the hypercycle theory of the German legal scholar and sociologist Gunther Teubner. The findings of the present study provide insights useful for analysis of the internal structures of functional systems, and the construction of theories explaining how scientific disciplines formed in the context of social theory.

 

Jeconiah Louis Dreisbach「MNL48 and the Idol Culture Phenomenon: An Emerging Manifestation of Japanese Soft Power in the Philippines」『Educatum Journal of Social Sciences』 4(1), p.60-66.

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AKS, the talent agency that manages idol groups in Japan, announced in 2016 that they will be establishing AKB48 sister groups in Thailand (BNK48), the Philippines (MNL48), and Taiwan (TPE48). The Groups of 48, commonly referred to as 48G, is being spearheaded by AKB48, the world’s largest pop idol group with more than three hundred members. It already established international sister groups in Indonesia (JKT48) and China (SNH48) to propagate the concept of ‘idols you can meet’ in Asia. Currently, the original Japanese songs were already translated in the Bahasa Indonesia, Mandarin Chinese, and Thai languages. Due to their popularity, AKB48 is constantly being invited by the Japanese Ministry of Foreign Affairs to perform in its events all around Asia, where the fans spending a lot of money to see their favorite idols. This paper discusses the possibility of Japanese cultural hegemony in the Philippine popular culture industry. Utilizing the lens of Roland Robertson on globalization and glocalization, this paper implicates three scenarios that could affect popular culture in the Philippines: (1) the role model image of 48G can be used spread the Philippine government’s programs such as suicide prevention, improving local security, among others; (2) the raffle system to get tickets for performances will only be a money-making venture for AKS; and (3) if MNL48 will be used by the Japanese government to sell their country’s products in the Philippines, it will further prevent national development and the emergence of local industries.

 

北田暁大「「ポスト構築主義」としての「プレ構築主義」ーWeberとPopperの歴史方法論を中心に」『社会学評論』2004年, 55巻, 3号, p.281-297

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「過去 (歴史) は記述者が内在する〈現在〉の観点から構築されている」という歴史的構築主義のテーゼは, 公文書の検討を通じて歴史命題の真偽を探究し続けてきた実証史学に, 少なからぬインパクトを与えた.「オーラル・ヒストリーをどう位置づけるか」「過去の記憶をめぐる言説はことごとく政治的なものなのではないか」「記述者の位置取り (positioning) が記述内容に及ぼす影響はどのようなものか」といった, 近年のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズム, フェミニズム等で焦点化されている問題系は, 構築主義的な歴史観と密接なかかわりを持っている.もはや構築主義的パースペクティヴなくして歴史を描き出すことは不可能といえるだろう.
しかしだからといって, 私たちは「理論的に素朴な実証史学が, より洗練された言語哲学・認識論を持つ構築主義歴史学にとってかわられた」と考えてはならない.社会学/社会哲学の領域において, 構築主義が登場するはるか以前に, きわめて高度な歴史方法論が提示されていたことを想起すべきである.以下では, WeberとPopperという2人の知の巨人の議論 (プレ構築主義) に照準しつつ, 「因果性」「合理性」といった構築主義的な歴史論のなかであまり取り上げられることのない-しかしきわめて重要な-概念のアクチュアリティを再確認し, 「構築主義以降」の歴史社会学の課題を指し示していくこととしたい.

 

中河伸俊「構築主義とエンピリカル・リサーチャビリティ」『社会学評論』2004年, 55巻, 3号, p.244-259

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社会的構築のメタファーが流布するとともに, その意味するところは多義化し, 探究の方法上の指針としてだけでなく, 批判のための一種の「イズム」として使われるようにもなっている.そうした「構築」系の “バベルの塔” 状況を整理するために, 本稿では, エンピリカル・リサーチャビリティ (経験的調査可能性) という補助線を引く.ただし, 近年では, 社会的いとなみを “エンピリカルに調べることができる” ということの意味自体が, 方法論的に問い返されている.そして従来のポジティヴィストと解釈学派の双方が批判の対象になっているが, その批判者の問にも, 調査研究の営為について, 認識論的 (そしてときには存在論的) に「折り返して」理解するアプローチと, (語用論的転回を経由した) 「折り返さないで」理解するアプローチの種差がみられる.2つの理解のコントラストは, 価値と事実の二分法の棄却問題への対応や, リフレクシヴィティという概念についての理解をみるとき鮮明になる.後者の, エスノメソドロジーに代表される「折り返さない」タイプの理解は, さまざまな領域で, エンピリカルな構築主義的探究のプログラムを組み立てるにあたって, 有効な指針を提供すると考えられる.応用や批判といった, 研究のアウトプットを「役に立てる」方途について考えるにあたっても, 思想的であるよりエンピリカルであることが重要である.そして, 活動と活動の接続として社会的いとなみを見る後者のタイプの理解は, 従来のものとは異なる, ローカルな秩序に即応した応用の試みを可能にするだろう.

 

竹村和子「修辞的介入と暴力への対峙 〈社会的なもの〉はいかに〈政治的なもの〉になるか」『社会学評論』2004年, 55巻, 3号, p.172-188

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本論は, 本質主義構築主義の二項対立を脱構築し, 現在の性制度に政治的介入をする可能性を探ろうとしたものである.社会構築主義は社会を本質化する傾向があるという前提のもとに, 本質主義そのものを従来の捉え方から置換しようとする動きが最近見られることを, まず指摘する.次に, マルクス主義的な文学批評家のガヤトリ・スピヴァックと, 精神分析的な政治学者のドゥルシア・コーネルによる, リュス・イリガライ再読に焦点を当てる.脱構築的視点をもつ両者は, 本質主義的と言われてきたイリガライの著作の文学性に着目し, 生物学的身体に還元しない〈女性的なもの〉を示す修辞が, 政治的介入をもたらす変革的契機となると主張する.この性的差異の「再=形象化」は, ふたたび解剖学的還元主義に立ち戻るリスクを背負うものの, またコーネルによるスピヴァック批判はあるものの, 近年のグローバル化によってさらに巧妙に沈黙化させられている女の状況に迫ろうとする試みではある.しかし, 行為遂行性を主軸に性的差異の「脱=形象化」を試みる構築主義者と同様に, この立場は, 修辞的介入そのものが孕む現実的な暴力性を看過しがちである.結論として, 暴力が自己形成における欲望のシナリオのなかに所与のものとして刻まれ, またそれが外的な性配置のなかに相変わらず自然化されて投影される痕跡を分析することの必要性を強調している.

 

野村 佳絵子, 黒田浩一郎「戦後日本の健康至上主義 健康に関する書籍ベストセラーの分析を通して」『社会学評論』2005年, 55巻, 4号, p.449-467

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日本では, 1970年代の半ば頃から, 人びとの健康への関心が高まり, それまでよりも多くの人びとが健康を維持・増進するための行動を心がけるようになったといわれている.周知のとおり, これらの現象は「健康ブーム」と呼ばれている.医療社会学では, このような「ブーム」の背景に, 「健康至上主義」の高まりを想定している.しかし, 「健康ブーム」も「健康至上主義」の高まりも, それらの存在を裏付ける証拠はいまのところ存在しない.そこで, 本論では, 書籍ベストセラーが人びとの意識や関心を反映しているとの仮定のもとに, 健康に関するベストセラーの戦後の変遷を分析することを通して, 人びとの健康についての意識の程度やあり方の変化を探った.その結果, 健康に関する本のベストセラーは1970年代の半ばに初めて登場したわけではなく, 1950年代後半から今日まで, そう変わらない頻度で現れていることが見出された.また, 「健康ブーム」といわれる時期の初期およびその直前には, 医学をわかりやすく解説する啓蒙書がベストセラーになっていることが発見された.したがって, 1950年代後半から今日まで, 人びとの健康への関心の程度にはそれほど変化がないということになる.また, 「健康ブーム」とされる時期に特徴的なことは, 健康への関心の高さではなく, むしろ, 健康に良いと信じられていることに対する批判的な意識の高まりではないかと推測される.