【本文】
社会的構築のメタファーが流布するとともに, その意味するところは多義化し, 探究の方法上の指針としてだけでなく, 批判のための一種の「イズム」として使われるようにもなっている.そうした「構築」系の “バベルの塔” 状況を整理するために, 本稿では, エンピリカル・リサーチャビリティ (経験的調査可能性) という補助線を引く.ただし, 近年では, 社会的いとなみを “エンピリカルに調べることができる” ということの意味自体が, 方法論的に問い返されている.そして従来のポジティヴィストと解釈学派の双方が批判の対象になっているが, その批判者の問にも, 調査研究の営為について, 認識論的 (そしてときには存在論的) に「折り返して」理解するアプローチと, (語用論的転回を経由した) 「折り返さないで」理解するアプローチの種差がみられる.2つの理解のコントラストは, 価値と事実の二分法の棄却問題への対応や, リフレクシヴィティという概念についての理解をみるとき鮮明になる.後者の, エスノメソドロジーに代表される「折り返さない」タイプの理解は, さまざまな領域で, エンピリカルな構築主義的探究のプログラムを組み立てるにあたって, 有効な指針を提供すると考えられる.応用や批判といった, 研究のアウトプットを「役に立てる」方途について考えるにあたっても, 思想的であるよりエンピリカルであることが重要である.そして, 活動と活動の接続として社会的いとなみを見る後者のタイプの理解は, 従来のものとは異なる, ローカルな秩序に即応した応用の試みを可能にするだろう.