嘉戸一将著『法の近代ー権力と暴力をわかつもの』(2023)

 

この困難な時代に問いかけよう。恣意的な暴力と、制度的な権力をわかつものはいったい何か? ローマ法の〈再発見〉から近代日本にいたる、法と国家の正統性をめぐって繰り返されてきた議論の歴史と、その舞台裏たる秩序創造の隘路。それでもなお、私たちが人間的な生を享受するために論じるべきことは、そこにあるのだ。

序章 法と近代――問われるべきことは何か?
  権力と暴力を分かつもの
  脱-国家化の時代の法と政治
  決断主義
  日本の場合
  信仰の断念から政治的解放・自由へ
  繰り返される歴史に何を見るべきか?

第一章 何が法をなすのか?――正統性と歴史
 第一節 立法する権力
  法と暴力
  法の正統性という問題
  「息をする法律」――人格が体現する法の正統性
  議会主義と民主主義――支配するのは法か、人格か?
 第二節 〈職務〉のゆくえ――支配者をめぐって
  「普遍史」の時代の法と権力――カントからケルゼンへ
  正義の廃棄?
  権力の変質――〈職務〉から決断へ
  ゲームとしての社会
 第三節 自由とユートピア
  支配者なき社会というユートピア
  ロックの自由主義
  自由の反転――〈神秘体〉という全体社会
  ユートピアの逆説――解放から全体主義
  〈近代的な態度のパラドクス〉――カントと近代

第二章 「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」――近代法と日本
 第一節 何〈誰〉が自由と理性を保障するのか?
  日本と〈近代的な態度のパラドクス〉――福澤諭吉と国家
  「学者職分論」――論争に欠けていたもの
  法秩序創造の仕組み
  「シラス」――統治権と理性
 第二節 歴史の二重化
  「ノリ」――統治権と法
  創造する言葉――歴史の二重性という問題
  民法典論争
  民法の政治的次元
  「祖先教」を紐帯とする社会?
 第三節 法と言葉
  明治憲法と旧民法とを隔てるもの
  法を解釈するということ
  「鏡」としての天皇
  政治の役割を問う
  理性に準拠するということ

第三章 茶番としての危機――法と主権、そして議会制
 第一節 議会制の危機?
  再演される〈真の代表〉問題
  ケルゼンとシュミット――ワイマール期の危機をめぐって
  危機と神話――法秩序の再創造
  「政治的統一体」と「代表」――権力を演出する
 第二節 多なる個、一なる国家――有機体から主権へ
  代表――何が西洋的伝統か?
  〈頭〉だけの主権者論、〈有機体〉の立憲主義
  いかにして権力に限界を設けるか?
  人民と主権――出所としての古代ローマ
 第三節 近代日本と危機
  国家は誰のものか?
  有機体としての国家
  有機体と帝国議会
  〈近代的な態度のパラドクス〉の行方
  「淳風美俗」あるいは〈パラドクス〉の隠蔽
  統治権論への回帰――普選後の権力と暴力

終章 〈無〉の主権論へ――イデオロギーの消尽の後に
  「主権者教育」という倒錯――憲法改正論議の傍らで
  憲法改正か、革命か?
  法が法であるために

 主要参考文献
 あとがき
 人名索引