石川敬史「アメリカ革命期における主権の不可視性」『年報政治学』2019 年, 70巻, 1号, p.96-116

本文

一七七六年にイギリス領北アメリカ植民地がヨーロッパ諸国に公表した 「独立宣言」 は、イギリス本国において一六八八年の名誉革命を経て形成された議会主権が植民地にも及ぶという主張に対する異議申し立てであった。

 一七八三年のパリ条約で独立が承認されたアメリカ合衆国は、条約義務の履行のために統一的な国家を創設する必要に迫られたが、「独立宣言」 に記された革命の原則が、主権を有する国家の設立の足枷となったのである。

 アメリカにおいて主権的国家の設立の最大の障害となったのは、アメリカ入植以来約一六〇年にわたって主権を行使してきた一三諸邦の存在であり、それらを超えて存在する国家主権とは彼らの経験にないものであった。

 本稿では、ジョン・アダムズ、アレクザンダー・ハミルトン、ジェイムズ・マディソンら、「建国の父たち」 の議論を中心に、初期共和政体における主権国家の創設の試みを検討し、特にアメリカにおいては、司法権力がアメリカ合衆国における主権的機能の担い手となった経緯を明らかにするものである。

 111「アメリカ連邦体制に関する通説的な説明においては、連邦と州の競合関 係は、一種の権力分立論の観点から論じられることが多いが、「アメリカ 合衆国建国の父たち」とされる人々の論調を忠実にたどると、強い自立性 を有する諸邦の存在を彼らが必ずしも肯定的に捉えていなかったというこ とが分かる」