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1989年のある事件をきっかけとしてオタクは社会問題化する。事件報道で加害者の自室が取り上げられ、部屋のビデオコレクションがオタクと結び付けられた。その結び付けをめぐる二つの語られ方が存在した。マスメディアが事件の加害者を「オタクの代表」とする一方で、批評家が加害者を「真のオタク」でないとも語ったのだ。それらの語られ方が可能になった文脈を当時のビデオの普及状況との関連で検討する。加害者がオタクの代表とされる際に、加害者を「通して」オタクと一般層を切り離した。対して加害者が真のオタクでないという根拠に持ち出されたのは、「コレクションの未整理」である。ビデオテープが高価だった時期は整理が節約の便宜に基づくものだったが、次第に意味を失い、批評的言論の中で「長くオタクを続けてきて」きたことと読み替えられ、加害者がオタクでない根拠とされたのだ。こうした操作はオタク「から」加害者を切断操作するものだった。
永田大輔 2015b,「『代弁者』としてのオタク語り——1980–1990 年代の批評的言説を中心として」『ソシオロゴス』 39: 154–173.
長谷正人,2014,「映像文化の三つの位相——見ること,撮ること,撮られること」井上俊編『全訂新版 現代文化を学ぶ人のために』世界思想社,114–131.