『層 -映像と表現』vol.2(2008)メモ

【特集:映画の後に来たるべきもの】
黒沢清と事後の光
 ―『LOFT』試論 川崎公平
●機械と運動・世界を変容するキートンチェイス  長谷川功一
シュルレアリスムの映画的条件
 ―あるいは映画ならざるもの 齊藤哲也
ビデオゲーム/物語/テレプレゼンス  榊 祐一
【連載】
●離接と放射 ―小津安二郎〈と〉女優たち(2)  中山昭彦
●<啓蒙>の臨界 —表象のリミット(2)  佐藤淳二
【特集2:技法論の複数的展開】
●セシル・B・デミルの無声期初期監督作品における心理描写の技法的展開   
 檜山博士
●フレームの亀裂 ―ヒッチコックとエリセ  高野真理子
●自己の複数性 ―セルフ・ポートレートの主体をめぐって  三浦なつみ
●言語と図像の亀裂 —楳図かずお『洗礼』における<表層/深層> 
 小川 隆
●“指紋”と“血”―甲賀三郎「亡霊の指紋」を端緒に  井上貴翔
●炭鉱労働者と文化 ―1950年代における文学サークル運動を軸に(上)
 水溜真由美

・川崎論文

黒沢清と“断続”の映画

黒沢清と“断続”の映画

7, 23注3
黒沢清の映画術

黒沢清の映画術

注5
日本映画のラディカルな意志

日本映画のラディカルな意志

・長谷川論文
25『キートンの警官騒動』1922、『キートンの栃面坊』1924、『キートンの西部成金』1925、『忍術キートン』1925「非現実的なレベルにまで増殖した追っ手たちに、徒手空拳で立ち向かうキートン」※スピルバーグ 
26『キートンの大学生』1927、『キートンのカメラマン』1928
29「アクションがある地点から別の地点への単純な移動ではなく、その過程において軌道上の物体を連続的に巻き込みながら、それらに変容作用を及ぼしてゆく独特な器械運動」『海底王キートン』1924、『空中結婚』1923、『案山子』1920
・齊藤論文
41, 55「初期のモダニスト」のシュルレアリスト、映画の魅力をもっとも語った詩人のロベール・デスノス
ファントマ幻想―30年代パリのメディアと芸術家たち

ファントマ幻想―30年代パリのメディアと芸術家たち

43 詩人ギヨーム・アポリネール 映画とシュルレアリスムの幸福な関係
56 注33「シュルレアリスムの「父」としてのアポリネール、そしてそのまわりを徘徊するジャック・ヴァシェの「亡霊」、さらにそれをめぐってアラゴンブルトン、スーポーの各人がそれぞれ演じてみせた役割とその齟齬について」1章
シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性

シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性

49 バザンのフレーム論に関連して、ジャック・オーモン「印刷/映写されたイマージュ/ヴィデオ」
檜山論文
122 デミル『囁きの合唱 Whispering Chorus』1918『チート』1915
123 デミル『スコオ・マン The Squaw Man』1913
124 スプリット・ショットによる二重写し
124 マッカチオン『仮面舞踏会にて At the French Ball』1908
124 グリフィス『恐ろしき一夜 The Avenging Conscience』1914
125 デミル『ヴァージニアン The Vieginian』1914
126 デミル『ヂャン・ダーク』
168
写真のアルケオロジー

写真のアルケオロジー

・三浦論文
180注1
明るい部屋の謎―写真と無意識

明るい部屋の謎―写真と無意識

196「我々はマンガを読むという体験において、時空間や登場人物の連続性、同一性を自明の前提として連続するコマを統合し、一貫した主題なりストーリーなりを読み取り〈深層〉を志向する、という態度でテクストと関わるべく、常に、既に訓練されている。S.マクラウドがマンガについて、「観客自身が積極的に《補完》に協力し、変化、時間、動作のすべてを《補完》で行うメディア」といったのはそのことである。しかしながら、コマとコマの間には厳然と空白が横たわっていること、マンガが連続性を志向し、仮構しながらも切断を内包せざるを得ないメディア的特性を持っていること」