高岡蒼甫の件について(2)苦難の俳優人生とアンチ・マスコミ

 前回のエントリー「高岡蒼甫の件について(1)窪塚洋介と自分探しのナショナリズム」に続いて、今回は高岡の半生を振り返り、彼の人物像に迫りたい。

 窪塚と比較した今回の高岡蒼甫はどのような人物だろうか。Twitterをはじめとする彼の発言を読んでいくと、窪塚と似て非なる点が浮かび上がってくる。高岡は自分自身の生い立ちについて積極的に発言しておらず、窪塚のように発言の背後の思想を遡るのが難しい。現在、出演映画や雑誌などの資料を収集中なので、これらが集まり次第さらなる分析を進めたいと考えている。しかし現在の情報を総合する限り、小中学校から成績優秀で進学校に通った窪塚とは対照的に、高岡は恵まれた環境では育っていないように思われる。東京で生まれ、幼少期から中学までを千葉で過ごす。千葉の高校を入学後すぐに中退し、その後一ヶ月の間、アメリカにホームステイする。帰国後、東京で一人暮らしをはじめ友人の紹介で読者モデルをはじめた。この頃、定時制高校に通い直している。「定時制高校に通いながらラーメン屋の住み込みのアルバイトと読者モデルをしている苦学生」とテレビ番組で紹介された事がきっかけでスカウトされ、芸能界入りする。1999年にドラマ『天国のKiss』でデビューを果たし、2000年、映画『バトル・ロワイアル』で杉村弘樹役で注目を集めるようになる。このとき共演していたのが、最近、反原発運動で話題になっている山本太郎だ。2005年、井筒和幸監督による映画『パッチギ!』にて、在日朝鮮人の青年、李安成(リ・アンソン)役を演じ、第20回高崎映画祭最優秀新人俳優賞を受賞。その人気は不動のものとなる。二年後の2007年、人気女優の宮崎あおいと結婚した(Wikipedia 参照)。

 決して恵まれているとは言えない環境から俳優としての成功は一見輝かしいサクセス・ストーリーのように見えるが、高岡にとってそれは苦難の連続だった。数日前、高岡によって更新されたブログにて、彼は自分自身の度重なる苦境を綴っている。

「この際だから初めて話します。パッチギを撮り終えた暫く後に自分は自殺を図った。その後半年間仕事を休む。コンクリートという映画の事や友人関係、仕事関係、いろんな事で裏切られたと思い疲れ、プレッシャーとよくわからないネットからの始めての執拗な攻撃に耐えきれなくなっていき生まれて始めて精神が崩壊した。精神病院に通い睡眠薬精神安定剤の服用から顔もパンパンに膨れ上がりそのまま復帰作の撮影に挑んだ。いつの日か鏡も見る事もなくなり格好つける事もなくなった自分はこの仕事についていつどうなってもいいという心が抜けてる期間が続いた」(「高岡蒼甫 本人ブログ」7月29日 参照)。

 事実のみでその過程については詳細に語られていないものの、『パッチギ!』後の高岡の自殺と休業は、俳優という職業に伴う人間関係という実存の問題と、彼の仕事に対する周囲の評価が混在し、その両者が綯い交ぜになって混乱をもたらしたものと推察できる。「コンクリートという映画の事」というのは、2004年に公開された映画『コンクリート』を指している。この映画は1988年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件をモチーフにした作品であり、高岡は大杉辰夫という主犯格の少年を演じた。本作はその残虐な内容のため、公開をめぐって2ちゃんねるを中心として、映画化に対する疑問、公開中止を求める声、高岡はじめ出演者への誹謗中傷が数多く書きこまれた。こうしたクレームの結果、映画は中止、延期を余儀なくされ、騒動から1ヶ月後の7月3日から9日までの1週間だけ、一件のミニシアターでひっそりと公開されることになる。こうした作品内容への抗議は、『コンクリート』の4年前の2000年に公開され、高岡が同じく出演した『バトル・ロワイアル』に関する騒動を思い起こさせる。中学生のクラスの生徒同士が生存をかけて理不尽な殺人ゲームに駆り立てられ、お互いを殺しあう刺激的内容の本作は、父母のクレームから大島理森伊吹文明石井紘基ら有力な政治家を巻き込んだ中止騒動に発展し、大きな議論を巻き起こした。『バトル・ロワイアル』から『コンクリート』への一連の騒動を踏まえれば、高岡の俳優としてのキャリアアップは、出演作品に対する、世論・マスコミ・政治からの抑圧と共にあったことがわかる。その都度、出演作品が難産の可能性に晒された俳優としての不運と、インターネットを中心とする人格攻撃が、高岡の精神と肉体を蝕んでいったのは想像に難くない。

 こうした高岡の社会やマスコミへの猜疑心が怒りとして爆発するのが、2006年の『パッチギ!』の韓国公開に伴う一連の「事件」である。映画のプロモーションのために韓国のマスコミに対して答えた内容が、実際に高岡が答えた内容とは異なった歪曲されて報道されたというのだ。記事にて高岡は、日韓の歴史と関係について、「韓国人の彼女と付き合ったこともあるし、韓国人の友達も多い。日本で韓国人が受けている差別についてもよく知っている。これらの友人を代弁するため、どうしてもこの映画に出たかった」、「個人的には日本という国はあまり好きではない。韓国に対し、日本は卑劣なように思える。日本政府は正しい情報を国民に伝えるよう願う」と答えている(高岡蒼佑チョン・ジヒョンの瞳にゾッコン」2006年3月12日 STARNEWS/朝鮮日報JNS 参照)。高岡が実際にこのように答えたのか、それともメディアによって都合よく解釈され、内容を改変されたのか、もちろん私たちには知る由もない。しかしこうした「親韓反日」とも取れる記事内容は、日本のマスコミ、ネット世論をして高岡を「反日俳優」とレッテルを貼らせるには十分なものだった。インターネットでは高岡を「在日朝鮮人」と断じ、所属事務所と朝鮮人ネットワーク、ヤクザとの関連性を根拠なしに推測する言説があふれかえった。高岡はブログにて、このように述べる。

「暫くするとパッチギのキャンペーンで行った韓国の取材での発言により事実とは異なる掲載文により日本に帰ってきてからマスコミ、ネットから反日思想のレッテルを貼られる事になる。マスコミ嫌いも自分の中に根付くきっかけとなった。暫くして彼女とのことが公になり反日からの流れで再度叩かれ否定をしても執拗に書き立てられた。本当の事が理解されないもどかしさから鬱状態も再発。暫くして自分をよく理解してくれていた彼女と結婚する事になるがそれ以前から続くバッシングで完全にマスコミ嫌いになっていた」(前掲ブログより)。

 『バトルロワイアル』から『コンクリート』にて醸造されていたアンチ・マスコミの感情は、『パッチギ!』の一件によって決定的なものになる。さらに重要なのは、『パッチギ!』の件以降、高岡はナショナリスティックな思想に傾倒するようになったことである。在日朝鮮人役を演じ、韓国のマスコミによって「親韓反日」俳優として事実を「歪曲」されて報道された結果、日本国内における高岡の評価まで地に落ちた経緯を踏まえれば、それは全くの必然だろう。こうした「マスゴミ」による「印象操作」「レッテル貼り」に苦しむ高岡に、さらなる転機が訪れる。2011年、舞台作品『ヘンリー六世』でのリチャード役を観た宮本亜門から、「重要な役だから、芝居がしっかりした人にやってほしい」と直接ニューヨークから手紙をもらい、宮本が演出を務める舞台『金閣寺』に出演することを依頼される。本作で高岡が演じるのは不治の身体障害を抱えながらも、それを斜に構えつつも克服し、それどころか利用さえして高い階層の女性を次々と籠絡している柏木という男の役である。逃れることのできない苦難を背負いながらも、それも受け入れ力強く生きる柏木の姿に、高岡は自分と同じ境遇を感じる。

「もう無理だ。この仕事は決まっている次の仕事で最後にしようと思った。これでダメなら本当にもう辞めようと思っていた。それが三島由紀夫金閣寺という舞台だった。自分に与えられた役は不治の障害を持っているがこれから先もこの身体でやっていくしかない。この代わりのない事実とどう共存していくのかという。前向きな役。その役と自分がリンクし始めた。最初はやっぱりキツかった。けれど地方を周ってる最中にどこかふっと抜けた瞬間があり気づいたら安定剤の存在も忘れるくらいしっかり立ってる自分がいた。自分の過ごしてきた時間、バッシングを受けた時間も変わり様のない事実。ここからどう生きていくかは自分次第。と何年かぶりに前向きになれた。そうだ自分は下手くそなりではあったが自信に満ち溢れて演っていたと6年前の自分を思い出せていた。これでもう大丈夫。芝居が楽しい」(前掲ブログより)。

 あるいはTwitterに「金閣寺の最中にポンと抜けた。本当にポンと。びっくり。はまってるときは自分がハマってるとも思ってないんだよね。こんなもんなのかって」(7月7日 参照)と投稿し、苦難を乗り越える柏木を演じられることに、俳優としての喜びを素直に見出している。

 当時の高岡は、日本から『金閣寺アメリカ公演のための渡米を途中に挟んでおり、その内容から俳優としての充実と、それに伴う精神的安定が伺える。しかし3.11の震災以降の高岡のツイートは、こうした充実や安定と同時に、時折、政治やマスコミへの強い不信感や怒りを伴ったものでもあった。高岡は震災そのものは確かにショックであったものの、その精神状態もあり、極めて前向きに事態を捉えていた。

「その矢先の3.11、急に自分がスコーンと抜けた瞬間に日本国民が絶望のメンタルに突き落とされた瞬間。多くの人が犠牲になり、経済もめちゃくちゃになり、放射能の恐怖から子供達の危険まで脅かされるようになった。その衝撃な出来事があって、勿論とてつもないショックを受けたのは事実なのだが以外にも自分はまだまだこれからだという気持ちでとても前を向けていた。せっかく生きれたんだからこれからどうにでもなると。最近じゃ考えれないほど自分でいうのもなんだが逞しくなっていた。今度は自分の番だときっと病気の間もとてつもない人達に支えられていた。今度は自分が前向きにさせる番だと」(前掲ブログより)。

日本全体が「絶望のメンタルに突き落とされた」現況に対して、マスコミ報道はその責務を果たしているのだろうか。高岡の疑問は怒りにつながっていく。

「だけど報道も最初だけだった。しかも偽善的な。放射能の事から目を背けさせたり、都合の悪い事は報道規制をかける。結局この人達のやってる事は相変わらずだった。国民に伝わらない情報が多すぎたり、的外れな外国のドラマ、朝のニュースでは偏った報道。この国を心底疑った」(前掲ブログより)。

 こうして問題の発端となった7月23日の発言に至る。「正直、お世話になった事も多々あるけど8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば。うちら日本人は日本の伝統番組求めてますけど。取り合えず韓国ネタ出て来たら消してます^^」。