したたかなプロデューサー、ヘンリー・サパスタインと60年代東宝特撮の幸運な出会い

 数多い日本の特撮ファンでも、ヘンリー・G・サパスタインの名前を知る人はほとんどいないだろう。およそ一般にはほとんど知られていないであろうこの人物は、コアな特撮ファンの間では、60年代の東宝怪獣映画の名作、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』『サンダ対ガイラ』の共同製作者として知られている。50年代から当時、社会に定着していなかった版権管理やキャラクターグッズといったマーチャンダイジング・ビジネスに注目し、進出していたこのしたたかな商売人は、60年代以降、国境を超えたコンテンツビジネスの可能性に期待し、驚いたことに映画製作まで介入していた。今回は、商魂逞しいサパスタインによる映画制作への「傲慢」な介入が、歴史に残る良作を生み出した偶発性について、彼の生涯を追うことで確認しておきたい。

 サパスタインは1918年6月2日にシカゴで生まれた。父が経営するシカゴの小さな映画チェーンを、1943年に25歳で受け継いだ彼は、第二次世界大戦中、軍から依頼された新兵訓練ための映像をはじめとして、映画制作に進出し、戦後にはテレビ業界にも参入した。「48年に私は安物の西部劇などの映画の権利を50本買い集め、それを二倍の値段でテレビ局に売りつけた」と彼はスティーブ・ライフルのインタビューで回想する。テレビが急速に家庭に浸透し映画業界を脅かしていた「ハリウッド暗黒期」の当時、ハリウッドの映画会社はテレビ業界に映画の放送権を売ることに消極的であった。サパスタインはそこに注目し、テレビ放送可能な映画の権利を買収することで莫大な利益をあげていた。「私は『テレビジョン・パーソナリティーズ』という会社を設立して、テレビ局にセールスした。テレビ局が『スポーツ番組が欲しい』と言っていたから、アメリカで最初の大型スポーツ番組も製作したよ。次に『アニメが欲しい』と言われたので、UPAを買収したんだ」。UPA(United Productions of America)とは、戦前のディズニー・プロのストライキで同社から独立した、新進気鋭のアニメーターたちが41年に設立した会社である。戦間期はウォータイム(戦意高揚)映画を制作していたこの会社は、50年代までには『ミスター・ボインボイン』などのヒット作を送り出していたものの、ジョセフ・マッカーシーによるレッドパージの煽りを受け、閉鎖に追い込まれていた。このUPAの買収が、サパスタインがコンテツ・ビジネスに参入する契機となる。

 そのサパスタインがゴジラに出会ったのが、海外コンテンツの輸入に関する商取引であったのは必然だろう。スチュアート・ガルブレイスによる日本特撮映画に関する研究書"Monsters are attacking Tokyo"にて、サパスタインはゴジラとの出会いについて語っている。「ある日、うちの営業マンが『テレビ局はSF映画を欲しがっています』と言ってきた。『すごい需要があるんです。いつも視聴率がいいんですよ』。あれは1960年くらいだったかな。そこで私たちはSF映画について調べ始めて、アメリカの外で質の良いSF映画を作っている会社は二つしかないと知った。ひとつはイギリスのハマー・プロで、もうひとつは日本の東宝だ。ハマーとの交渉は難しかったので、私は東宝に目をつけた」。この時既にシリーズ第一作『ゴジラ』は1956年にトランスワールド・リリーシングという会社によって全米配給されていた。『ゴジラの逆襲』は59年にワーナーが、『キングコング対ゴジラ』は63年にユニヴァーサルが配給した。ロサンゼルスのラブレア通りの日本人向けの東宝劇場で初代『ゴジラ』に感激したサパスタインは、ゴジラの配給に関する東宝との交渉にのめり込むことになる。「今すぐにでも東宝と交渉しなくちゃと思ったよ。私は日本人との交渉術のためにUCLAの夜間成人クラスで日本の文化、伝統、歴史を学んだ。そして、ついに東宝と共同出資と共同配給の契約を交わした。UPAが北米におけるゴジラの劇場とテレビへの配給権を握った。私は同時にゴジラマーチャンダイジング権も手にすることができた」。

 サパスタインはマーチャンダイジングビジネスの先駆けであった。「私は、版権商売は巨大なビジネスになると踏んだんだ。テレビのおかげで消費者は毎週毎週、キャラクターを刷り込まれるわけだから」と語る彼は、50年代エルビス・プレスリーのマネージャー、トム・パーカー仕切る版権管理会社エルビス・プレスリーエンタープライズと契約した。そしてTシャツ、靴、ブレスレット、口紅なの78種類のプレスリーグッズを販売し、ロックンロールを消費生活に浸透する一躍を担った。続いてディック・トレイシー、ロイ・ロジャーズ、ワイアット・アープ、ローン・レンジャー名犬ラッシーなどのテレビキャラクターの版権商売に乗り出し、キャラクタービジネスの素地を固めていった。64年5月、エンターテインメント雑誌『バラエティ』は、サパスタインが『モスラ対ゴジラ』の劇場およびテレビの配給権を買ったことを報道。一年後、同誌はサパスタインが東宝と五本の映画の共同製作契約を結んだと報じた。三本は怪獣映画で残りの日本はジョン・ブアマン監督『太平洋の地獄』と、『国債秘密警察/鍵の鍵』。『鍵の鍵』の権利はウディ・アレンに売り渡され、"What's Up, Tiger Lily?"として公開された。「私は東宝に、ゴジラは世界的な市場を獲得できると教えてやったんだ」「特に北アメリカにおいれは、映画の視点をほんのちょっとだけ変えてくれれば、ゴジラは巨大な商売になると言った」。サパスタインの視点を変えるとは、アメリカ公開前に身勝手な編集によって、作品をアメリカ向けに再構成することではない。彼は、映画の制作費を半分負担することを条件に、シナリオ段階でコンサルティングさせろと申し出たのである。「東宝はこれを信じられないほど気前のいいオファーだと考えたらしく、すぐに承諾のサインをしたよ」。

 この契約によって生まれたのがサパスタインのベネディクト・プロと東宝の提携作品『怪獣大戦争』『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』『サンダ対ガイラ』である。製作資金の半分を負担するという大胆な契約を実行できたのは、サパスタインの大胆な行動力だけではなく、1ドル360円の固定レートだったことも大きい。「『怪獣大戦争』の制作費は当時80万ドルから90万ドルにすぎなかったが、これは現在なら200万ドルに相当するんだよ」と彼は語る。いずれの企画も、ストーリーのアウトラインはサパスタインのビジネス・パートナー、ルーベン・ベルコヴィッチが書き、それを東宝が脚本化した。サパスタインは『怪獣大戦争』にニック・アダムスを、『サンダ対ガイラ』にラス・タンブリンをキャスティングした。どちらも俳優としてはBランクだったが、「映画館では大した集客効果はないが、テレビに売るときにはある程度名前がある俳優が必要なんだ」とサパスタインは言う。また、『サンダ対ガイラ』にはキップ・ハミルトンなる女優が出演してクラブ歌手として"Feel in My Heart"を歌うシーンがある。映画のワンシーンとしては不自然に長い歌唱シーンが挿入されている理由として、彼女がサパスタインの恋人だったためではないかという噂もある。彼女はガイラに捕食されてしまったけど。

 サパスタインが東宝と共同製作した映画でゴジラが登場するのは『怪獣大戦争』の一本だったが、彼はここでゴジラシリーズの視点を変えるようアドバイスしたという。それは原水爆のメタファーとして生まれたゴジラには重要な転換点になった。「ゴジラを明快なヒーローにするべきだ。何かのメタファーではなくて。もし私の言うとおりにすれば、ゴジラは世界的ブームを起こすだろう」。しかし後年このアドバイスに後悔したのは、他ならないサパスタイン本人である。サパスタインの意見を取り入れる以前から、正確には第二作『ゴジラの逆襲』の時点で、東宝原水爆のメタファーとしてのゴジラから離れ、人類の敵だったゴジラは次第にヒーロー化していく。サパステインのアドバイス以降、この傾向は一層顕著なものとなり、いわゆる「二代目ゴジラ」の勧善懲悪型のウェルメイドなエンターテイメントに変質していく。かつては恐怖映画や政治映画としても見応えのあった東宝特撮シリーズは、低予算のプログラムピクチャーに退廃していった。

 サパスタインは、この後もゴジラシリーズのマーチャンダイジングビジネスを発展させ、キャラクターグッズと版権商売は90年代まで継続された。その間ずっとサパスタインはハリウッドに対してアメリカ資本でゴジラ映画の超大作を作るように売り込んでいた。彼の夢を実現させたのは日本のソニーに買収されたトライスター映画である。ローランド・エメリッヒが97年に監督した『Godzilla』にてサパスタインはコンサルタントを務めた。しかし皮肉にもこの作品でサパスタインはゴジラの権利を手放すことになった。ハリウッド版『Godzilla』は250種類もの関連商品が作られ、その規模は1億5千万ドルと言われたが、映画は興行的に大失敗し、オモチャの売り上げも絶望的だった。サパスタインは『Godzilla』のニューヨーク・プレミアの一ヶ月後、癌で80年の生涯を終えた。

 「私が言いたいのは、ゴジラというのは単なる映画のシリーズではないということだ。ゴジラはひとつの産業なんだよ」と語るサパスタインは、版権ビジネスが映画そのものよりも儲かることを『スターウォーズ』以前に熟知していた。まだ著作権ビジネスといものに疎かった東宝と巧みに交渉し、死の直前までゴジラの権利を独占してきた。サパスタインにとってのゴジラは、商売の道具以外の何ものでもない。ベネディクト・プロによる東宝との業務提携も、ストーリーの決定も、不自然な外国人俳優の出演も、特撮映画の作品性の追求ではなく、アメリカ国内の成功という商業的観点の結果に過ぎない。しかし、サパスタインの並外れた行動力による傲慢な介入は、単純に否定されるべきものではない。多くの特撮ファンは、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』や『サンダ対ガイラ』が、東宝怪獣映画の最盛期であることを知っている。この時期の東宝特撮が、本多猪四郎円谷英二馬淵薫伊福部昭らによって支えられているのはもちろんのこと、作品性の追求など眼中になかった海外からの商売人の傲慢な介入による幸運に依存していたことを、改めて噛み締める必要がある。名作とは、才能溢れるクリエイターの手による必然性だけではなく、制作の過程で次々に起こる意図されざる偶然によって生み出されるのだから。