檜垣立哉著『ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス) 』(2002)

「私」ではない「個体」が生きること-。いま必要な哲学とは何か。「問いが解けない」という事態をどうとらえるか。生命科学の時代に対応するドゥルーズ哲学の核心をクリアに描く。

1 はじめに―解けない問いがあらわになってくること
 哲学とは何か
 ドゥルーズと哲学
 いまという時代 ほか
2 世界とは解けない問いである―ドゥルーズの〈哲学〉素描
 世界とは卵(ラン)である
 生成する流れの論理
 異質的な連続性 ほか
3 「私」ではない「個体」が生きること―結論に代えて
 ドゥルーズの倫理
 個体と生
 個体には固有性も中心もない ほか

109 2「『シネマ』でドゥルーズは、〈運動イメージュ〉と〈時間イマージュ〉という二つのイマージュを区分し、映像の歴史が前者から後者へと移行することを論じながら、自分の理論を記述していくが、そこでも同様のことが問われている。すなわち〈運動イマージュ〉とは、身体の感覚ー運動系につなぎとめられた、現在の運動のヴァリエーションである。しかし〈時間イマージュ〉においてあらわになるのは、感覚ー運動系としての現在を欠き、そこでの結びつきが弛緩して、断片のように漂いだす映像である。こうした〈時間イマージュ〉は、イタリアのネオ・リアリズモや日本の小津からはじまり、オーソン・ウェルズやフランスのヌーベル・ヴァーグの映画を題材に論じられていく。そこで描かれるのは、感覚ー運動的な器官との連携を逃れることにより、光と音とが生成の純粋さそのままにほとばしりでてくる映像の力の解放である。これらの内容は、視点という根拠をもたずに生成に入り込むという、俯瞰が示す事情とただちにかさなりあう」