四方田犬彦著『アジア映画の大衆的想像力』(2003)メモ

アジア映画の大衆的想像力

アジア映画の大衆的想像力

中国の『梁山伯と祝英台』、韓国の『春香伝』、タイの『メー・ナーク』、そして日本の『忠臣蔵』―。シネマトグラフの到来とともに発展した大衆娯楽映画の系譜に分け入り、今日の映像の百花繚乱を伝える東アジア映画風雲録。


アジア映画の大衆的想像力
韓国の『春香伝
タイの『メー・ナーク・プラカノン』
日本の『忠臣蔵』と『四谷怪談
ローカリティとナショナリズム

中国
 幸福な無名時代 陳凱歌
 第五世代の変容
 ほか
香港
 The Last Time I Saw Hong Kong
 ジャッキー・チェンに接近する三つの方法
 ほか
イ・カンボジア
 もっとも新しいタイ映画
 カンボジアの蛇女映画
 ほか
台湾・フィリピン
 二本の野球映画
 国際映画、ローカル映画、そしてブロッカ
韓国
 もっとも新しい韓国映画
 東アジアのなかの弁士映画
 ほか
あとがき

11 陳凱歌、侯孝賢李昌鎬
16 若松孝二『胎児が密猟する時』



139 中国、第五世代。陳凱歌、田壮壮張芸謀「彼らは、先行世代が安易に依存していたメロドラマを忌避した」
139 陳凱歌『黄色い大地田壮壮『盗馬賊
139「第五世代はこれまで映画人が素材としなかった辺境や周縁の地に積極的に足を向け、大陸のもつ文化的多元性、多層性に照明を投じた」陳凱歌の雲南の森、張芸謀山東の田舎。30年代上海映画以降、中国映画は都会を描き続けてきた。
140 張芸謀『赤いコーリャン』のちに「国辱」との批判を受ける
141 張軍訢『一人と八人』における張芸謀のカメラ
141 『秋菊の物語』
141 『君よ憤怒の河を渉れ』『サンダカン八番娼館望郷』
142 東宝東和・ナチスドイツ『新しき土』
142「1980年代の前半まで、大陸の映画制作体制は、それなりに安定した秩序を保っていた。全土にある16の撮影所に80人ほどの監督が配属され、定期的に制作がなされていた。この制度はすでに疲弊を来しており、北京のような中央のスタジオは実験的気運に満ちた新世代の監督を容易に受け入れるほどの柔軟性を欠落させていた。ために陳凱歌や、呉子牛、張沢鳴といった新人は、西安、広西、珠江といった周縁のスタジオから台頭することになった」
145 田壮壮『狩り場の掟』呉子牛『歓楽英雄』『陰陽界』
148 ルイス・ブニュエル『忘れられた人々』国内評論家からメキシコの貧困を国外に喧伝したと批判された。
149 張芸謀『上海ルージュ』
153 今村昌平『神々の深き欲望』は沖縄の監督高嶺剛を激怒させた。
156 第六世代、張元、王小帥、呉文光。1990年代に台頭。
160 陳凱歌『北京ヴァイオリン
172 胡金銓「中国語映画界における最後の巨匠」クンフー映画の火付け役、中国から香港に亡命。『侠女』
225 『少林サッカー
243 タイ映画。ノンスィー・ニミブット『2499年ギャングが町を占領する』『ナーン・ナーク』ウィシット・ササナティエン『怪傑ブラックタイガー
248 90年代後半の新世代監督。ペンエーク『ファン・バー・カラオケ』『6ixty9』『忘れな草』(原題『可愛いトランジスターラジオ』)オクサイド&デニー・パン『走っているのは誰?』『アイズ』アピチャートポン・ウィーラセータクン『0116643225509』『マレーと少年と空腹の空間』『真昼の不思議な物体』『ブリスフリー・ユアーズ』
253 タイの怪獣王ソムポート・センドゥアンチャーイ『ハヌマンと七人のウルトラマン』『クライ・トン』『プラ・ロットとメーリ』『キンカーン・ガイヤシット』
279 フィリピン映画。リノ・ブロッカ『マニラ・光る爪』、イシュマル・ベルナール、キッドラット・タヒミック
283 ラウス・ルイス「亡命チリ人でパリにいて「カイエ・デュ・シネマ」の同人になった」ルイス・ゴダール。リノ・ブロッカはオムニバス・フィルムを撮る。
287「数年前にアメリカのジョージ・スティーヴンス監督の息子がやってきて「どうして日本映画はダメになったんだ。第二のクロサワよ、出よ!」と東京映画祭で一発ブッたんです。これはきわめて官僚的な思考の発言だと思いましたね。日本映画に対するまったくの無知が、そういった文化官僚的な発言をさせた。実はもう日本映画は巨匠なんて必要としない。巨匠なんかと関係ない多様化の現実があるだけなのです」
321 自然主義者 キム・ギヨン