矢澤修次郎著『アメリカ知識人の思想 ーニューヨーク社会学者の群像』(1996)メモ

ダニエル・ベル,セルズニック,コーザーら,その多くがユダヤ系移民の子弟として生まれ,自らの疎外感と理想の追求から社会変革,社会主義運動に挺身し,やがては思想の転換を余儀なくされていく知識人たちの栄光と苦悩.

序論 問題の設定
1章 「ニューヨーク知識人」問題の構造と前提
2章 トロツキズムとともに―「ワーカーズ・パーティ」の成立と展開
3章 フィリップ・セルズニックの世界
4章 ルイス・コーザー―亡命知識人の理論と実践
5章 メンシェヴィキから脱‐産業社会のプラグマティストへ
6章 イデオロギーの終焉論から産業社会論へ
結論

謎の書評。/アサートNO.227-2【書評】『アメリカ知識人の思想--ニューヨーク社会学者の群像【リンク

p.45 1930年以降ヨーロッパからアメリカへの大量の知識人の亡命・移住により起きた「社会思想の大移動」「大変貌」。スチュアート・ヒューズのまとめ。①ウェーバー社会学の遺産が、アメリカにおいて初めて社会思想の主力になった、ウェーバー社会学に影響を受けた人びとが、自分たちの国では発展を妨げられたものをアメリカで学ぶことによって、国際的な社会学を産み落としたこと、②フロイト心理学がアメリカで広がりをもったこと、新しい自我心理学が発展したこと、③ウィトゲンシュタインによって哲学的基礎に基づく社会科学的な思考が提供されたこと。

ラインホルド・ニーバーのセルズニック(p.109)、ベル(p.192)への影響。

p.109「つまり彼(セルズニック)は、現在の民主的でキリスト教的な文明の延長線上に未来の文化を見ているのであり、当時のラインホルト・ニーバーの神学に親近感を持っていたと言われている」

p.165 コーザーの知識人論。独立知識人の没落の原因は、「社会構造上の原因、すなわち知識人の制度化に求められ、一方ではアメリカ文化における「アヴァンギャルド」とラディカリズムのイデオロギーが衰退したことに求められている」「「新しきものの伝統」という旗印を掲げたモダニズムをめざす戦いは、アメリカにおいて1950年代から60年代頃までに勝利を収め、モダニズムは社会内部に制度化され、その代表者はエスタブリッシュメントに呑み込まれてしまった、同じことが、ラディカリズムにも起こった。ラディカルたちは、その衝動を失ったばかりではなく、枢要な制度の管理・運営を司る人々が彼らの移住を歓迎したことも、手伝って、既成の制度内部に彼らの活動の場所を移していった。こうして主な知識人運動は大学の中に入り込んでいった」

p.184 ダニエル・ベルの「脱工業社会」。「この論は、マルクス主義や機能主義とも違う新しい社会発展論の構想でもあるということができる」「アメリカ資本主義の1960年代、70年代における新展開がもたらした新しい社会問題をなんとかして理論化しようとする基本姿勢」

※ 本書で扱われている三人のアメリカ知識人のうち、とりわけダニエル・ベルに注目したい。「脱工業社会」をはじめとして、政治・経済・宗教・文化など、領域を超えて扱われる広範なベルの議論は、政治経済学・社会学といった特定の学問的ディシプリンの専門家というより、社会批評家と呼ぶに相応しいのではないか。この観点から調べたい。その際には、当時のアメリカ知識人・制度的学問・アメリカ社会の雰囲気をおおまかに掴み、ベルの位置づけをしっかり把握する必要がある。その上で、「(社会)学/社会批評」のコードがどれほど適切か確認する。もっともベルは国際会議で活躍するなど、制度的学問の人でもあったように思えるが…

p.185 5-2には、このあたりの情報が手際よくまとめられている。

p.242「繰り返し言う価値があると思うが、ベルのイデオロギーの終焉説は社会主義の死と資本主義の勝利とを高らかにオプティミスティックに宣言したものではありえない」「その主張は資本主義の勝利というよりは、「資本主義の衰退のさなかにおける社会主義の袋小路化」というリアリティを反映しているように思われる。換言すれば、イデオロギーの終焉は、社会主義が混合経済を受け入れ、資本主義が財産と市場の自由という原則を放棄して社会改良や経済的安定を手にする過程の一つの帰結なのである。その主張は積極的な解決ではなく、否定的な解決策である」

p.266 大衆社会論について、ミルズとベルの対立。「多くの大衆社会論のうちで、ベルはとりわけミルズの「パワー・エリート」論批判を徹底的に行った。一時期両者は立場を同じくしていた。しかしその後ベルはミルズとは全く反対の方向に歩みを進め、その結果、ミルズの結論が、同族資本主義の崩壊による支配階級の消滅を主張したベルのそれと真向から対立し、かつまた1940年代後半以降のベルの必死の思想再建の基本的方向性にも抵触することになったからであろう」