2001年。富永健一による福祉国家論。元来、理論社会学を専門とする富永だが、95年の中公新書『社会学講義』に、「都立六中いらいの旧友である吉原健二氏(もと厚生省事務次官で、和田勝氏と共著で『日本医療保険制度史』(2000)と題する大著を出された)から、理論ばかりで政策論的指向を欠いている」(醃)と突っ込まれ、政策論を書こうと決意。著者の研究上の背景やこぼれ話もちらほらあり、体験談を含めた学説史としても読める。社会学と経済学の両方にまたがる研究領域ー著者によれば「経済社会学」(酈)である社会保障・福祉国家論への興味。「かつて高田保馬先生がコミットされ…」(酛)と先達へのリスペクトも欠かさない。日本国憲法第25条には国民の生存権、国の社会保障的義務が規定されているにもかかわらず、61年の国民皆保険・皆年金まで15年を要した福祉後進国(「第5章 日本んいおける福祉国家形成」で詳述)である日本がいかに福祉国家の道を歩んできたのか。「それを近代産業社会が直面してきた社会変動の諸段階ごとに社会システムの「機能的必要」という普遍理論的概念と結びつけて説明する、というのが本書の基本的な枠組である」(醃)。しかし、後に触れるが、富永はこの枠組をみずから放棄している。
第1章 理論的前提 ー近代産業社会の構造と機能
第1節 出発点としての近代産業社会
p.5 「近代」対「ポスト-モダン」富永『近代化の理論』1996、『日本の近代化と社会変動』1990
・「近代/ポスト-モダン」「インダストリアル社会/ポスト-インダストリアル社会」ダニエル・ベルとのディスコミュニケーションの挿話。
p.9 ベック『危険社会』1986、ベック-ギデンズ-ラッシュ『反省的近代化』1994
・『反省的近代化』の「伝統社会の近代化(単純な近代化)einfache Modernisierung」と「産業社会の近代化」「反省的近代化 reflexive Modernisierung」の比較は後ほど登場。
※「富永健一の「階級から階層へ」だけでなく、宮台真司の「近代過渡期から成熟近代へ」など、社会学者はポストモダンは否定しても、近代を二つに分けて考える人がけっこういる。生産から消費に社会学者の関心がシフトしてきたことも、なんとなく同じ匂いがする。このように近代を分けることによって、面白いことがいっぱい発見されてきたと思うのだが、どうも納得のいかないこともたくさんある。そのことについてはもっと考えられていいはずだ」参照。このあたりの社会学者にありがちな解体論的時代理解についてはまた。
第2節 近代産業社会の社会構造
・初構成要素「家族」「組織」「市場」「地域社会」「国民国家」「社会階層」
p.26 富永『社会学原理』
p.34 組織における協力関係。尾高邦雄『産業における人間関係の科学』1953『産業社会学講義』81。ジョージ・ホーマンズ『社会行動』61,74、ピーター・ブラウ『交換と権力』64。社会的交換を新古典派の経済学理論に拡張した富永『経済と組織の社会学理論』
p.49「そのうち最も基本的な福祉の担い手は家族である、つぎに重要な福祉の担い手は国家であり、地域社会は両方をつなぐ役目を果たしている、ということができる。ところが、現代の家族は、この福祉を担う機能を決定的に喪失しつつあり、この欠如を埋める役割を引き受けるために、国家が呼び出されて家族の中に入ってきた」
・これが作業仮説となる。
第2章 家族と国家の関係ー福祉国家はなぜ維持される必要があるか
第1節 ゴールド・プランと介護保険ー家族はもはや高齢者の介護ができなくなった
p.53 厚生省が90年に高齢者のための福祉サービスプログラム「ゴールド・プラン」、95年「新ゴールド・プラン」をスタート。従来の長期ステイのほかに、在宅の介護サービスが推進された。97年介護保険法、2000年実施スタート。従来家族が担ってきた介護の領域に国家が入ってきた。福祉の担い手が家族から国家へ(ここはp.49)。日本の福祉の歴史は5章で詳述。
第2節「日本イエ社会論」の誤りと「家族の失敗」
p.62 「日本イエ社会論」に関連して。民族学者、有賀喜左衛門の日本の家族の原型は大家族とする「家と同族団」の理論(『大家族の制度と名子制度』著作集Ⅲ、1967)。ありがは、日本の家族社会学の父とされる戸田貞三『家族構成』1937の日本の家族は伝統的に小家族(核家族)とのテーゼに挑戦。後に、戸田門下の喜多野清一が戸田擁護の立場で反論。喜多野『家と同族の基礎理論』1976。有賀-喜多野論争に発展。
p.63 村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』79年について。「村上らの著作は、三人のだれがどこを書いたかを明記しておらず、しかも三人の主張が整合的に組み立てられているとはいえないために、要約することが困難に感じられる」。
p.64 村上ら「イエ社会論」は自民党保守派グループにも影響。「日本型福祉社会論」なるものが提唱された。日本社会は、家族・親族で高齢者福祉を実現してきたので、福祉国家は不要であるというもの。5章で後述。
第3節
p.73 高田保馬による高田テーゼ「基礎社会拡大縮小の法則」『社会学原理』1919「基礎社会の中で大なるもの(国家)は漸次的に拡大し、小なるもの(家族)は漸次的に縮小する」
p.77 パーソンズ「家族の機能喪失のテーゼ」
・パーソンズ-ベイルズ『家族・社会化・相互行為過程』1955.家族の機能縮小の原因について「近代化と産業化の進行は分業体系を発達させ、家族の外部に、かつて家族の内部で果たされていた諸機能を専門的に担当する職業従事者を数多くつくり出したので、「親族体系」が「職業体系」に取って代わられるようにな」った。
※ 1,2章は全体的にパーソンズの議論を下敷きに展開されているが、すでに多くの観点からパーソンズの議論が批判されている以上、本書の理論部がどこまで耐えるかは検討されるべきだろう。
第3章 福祉国家の形成ー起点から最盛期まで
第1節 福祉国家の起点[1]ービスマルク社会保険から社会的市場経済へ
p.94 初発の近代的な社会保険制度を導入したビスマルクの帝政ドイツ。
p.96 第二次大戦後、西ドイツのエアハルト経済省の「社会的市場経済」については、中公新書『アデナウアー』p.181
p.97 レオポルト・フォン・ヴィーゼ門下の経済学者アルフレート・ミュラー-アルマックが『経済統制と市場経済』47年にて、ナチスの統制色の強い国家社会主義的経済政策がいかにドイツの経済力を麻痺させたかを論証。市場経済の重要性を強調。しかし自由放任の市場経済にも問題がある。ミュラーは、社会的に制御された市場経済=社会的市場経済を説いた。
第2節 福祉国家の起点[2]ーケインズとベヴァリッジ
p.104,p.113 T.H.マーシャルの「社会権」(シティズンシップは、市民権・政治権・社会権で構成される)『シティズンシップと社会階級』1950、『社会政策』1965
第3節 社会権と社会政策ーT.H.マーシャル
p.116 スピーナムランド救貧法。救貧法
第4節 インダストリアリズムの論理ーウィレンスキーとルボー
p.122 ウィレンスキーとルボー『産業社会と社会福祉』1958。アメリカでは社会福祉について「残余的 residual/制度的 institutional」な見解が対立する。前者は非常事態の施しや慈善、スティグマを伴う。後者は組織化された常態での、スティグマなし。すごい区分だ。
p.126 産業化と社会福祉を結びつける「制度的」な福祉の重要性を強調。
p.127 福祉国家収斂理論(1970年代の福祉国家研究を代表 p.129)。福祉国家を「政府が所得・栄養・健康・住宅・教育の最低水準をすべての市民の政治的権利として保障すること」と定義し、政府の公的消費支出から計量的に福祉国家の程度を分析できるとした。
第1節 コーポラティズム型福祉国家への着目ーミシュラ
p.132「1980年代の福祉国家論を代表する社会学文献であるラメシュ・ミシュラの『危機に立つ福祉国家』1984。
p.136 コーポラティズム関連。シュミッター、レーンブルク『現代コーポラティズム』1984、稲上毅ほか『ネオ・コーポラティズムの国際比較』1994
・ミシュラは、福祉国家を「分化した福祉国家 Differentiated Welfare State、DWS」対「統合された福祉国家 Integrated Welfare State、IWS」に分類。イギリスのケインズ-ベヴァリッジ型福祉国家はDWS、コーポラティズム型福祉国家はIWSとした。
・経済:DWS→ケインズ的金融・財政政策をつうじて需要をコントロール。IWS→合意形成をつうじて需要・供給をコントロール。
・社会福祉:DWS→福祉と経済は別。IWS→両者を並べ、中央における利益代表間の交渉の対象。
・政治:DWS→利益集団多元主義(ローウィ?)、IWS→中央における利益代表間の交渉の対象。
第2節「レジーム」としての福祉国家ーエスピン-アンデルセン[1]
p.145 エスピン-アンデルセンの90年代の議論は、「ベヴァリッジ報告42年→マーシャルの社会権50年→ウィレンスキーのインダストリアリズム理論58年、福祉国家収斂理論75年→ミシュラの福祉国家の危機84年」という一元的な発展史を批判し、福祉国家三類型論で多元的福祉国家像を提示した。
・『福祉資本主義の三つの世界』1990、論文「福祉国家と経済」1994
p.146 市場に対する「脱商品化」(de-commodification)
p.149 リベラル型福祉国家・保守主義型(コーポラティズム型)福祉国家・社会民主主義型福祉国家の三幅対。
p.164 ミュルダール『福祉国家を超えて』1960「計画化」
第5章 日本における福祉国家形成ー世界におけるその位置
p.188 73年の「福祉元年」の改革で大幅に給付水準が向上した理由の2。ジャーナリズムで「成長か福祉か」が争点化していた。例えば、有澤広巳,大河内一男編『成長と福祉』72年
p.203他。この筋では有名らしい調査結果。/『ネオ・コーポラティズムの国際比較 −新しい政治経済モデルの探索−』調査研究成果データベース詳細情報 リンク
p.206「1996年に出された日本社会党の綱領的文書『日本における社会主義の道』では、社会党は「資本主義の下では真の意味での福祉国家は実現され得ない」と説いていた(岡田与好「福祉国家理念の形成」)。
p.229 著者も参加した経済企画庁国民生活政策課が立案した「総合社会政策」プロジェクト関連。当時の日本としては先進的福祉社会分析。/福祉社会日本の条件 (1974年): 江見 康一, 加藤 寛, 木下 和夫
p.230「東京都庁が私に、東京都社会指標の政策を以来してきたので、私はその当時東大社会学科における私の研究室の大学院生であった直井優・盛山和夫・安藤文四郎の三君の協力を得て」
関連エントリ。専門家による批判 リンク。まとめると、
・1,2/3,4章間の断絶。「機能主義社会学としての考え方の筋道を一本通した」(醞)と述べる割には、この道具はあまり使われず、3,4章は学説史の概括に終始する。
・「結局、福祉国家とは、貧困問題と階級問題の解決を指向する「伝統社会の近代化」現象なのか。それとも、家族の機能縮小に対応するために呼び出された「産業社会の近代化」現象なのか」時代区分・認識が整理されていない。
・「現代の福祉国家は『解体しつつある家族の中に国家が入っていく制度』として理解される」という仮説は一般性が低く、伝統的な「『貧困問題と階級問題』と福祉国家」というテーマに切り込むことができない。