ある底辺校の再生ー都立足立新田高校の改革

 東京都立足立新田高校は10年ほど前までは地域では有名な「底辺校」だった。2000年度のデータを見れば入学時の人数240名のうち、約90名が卒業しないうちに学校を去る。当時の卒業アルバムはスペースが空いてスカスカだ。入学時は240名いた生徒のうち、大学・短大進学者は23名、専門学校も23名、民間企業に就職した者はわずか21名だ。「その他」が82名もいる。進路がわかっている者は、当初の入学者約240名中わずか67名だけだ。入学希望者が募集人数に満たない定員割れが相次ぎ、また他校との対立抗争等で風紀が著しく荒廃し一時は中退率が5割を超えるなど学校は悲惨な状況だった。1997年に開始された都立高再編計画では、他学区の底辺校同様に廃校すら検討されていた。

 中学校ではオール1,2の成績下位の生徒が通うこの高校は、タレントの伊集院光の出身高校として一部の人の間では有名である。深夜の人気ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』では頻繁にこの高校の思い出を語っている。今や雑学王など博識なことで有名な伊集院だが、その高校生活は憂鬱なものだった。プライドの高い伊集院は、自分が地域でも有名な底辺高校である足立新田高校に入学してしまったことがショックだった。入学当初はクラスでも人気者であり、野球部にも入部し、高校生活を楽しんでいた。しかし高校2年の途中から徐々に足が遠のき、不登校が続くようになる。2006年に放送された『爆笑問題×伊集院光JUNK交流戦スペシャル!』では爆笑問題の二人とこう語っていた。

伊集院:俺はショックなぐらいに頭が悪い高校に行っちゃったの。倍率0.68倍っていう。自分としては根拠のないプライドがいたく傷つけられてるわけ。で、一所懸命この学校に通ったら俺は負けるって感じになっちゃって。ちょっと一線おいたところにいないとかっこ悪いと思いはじめて…。つくば博に学校で日曜日に希望者だけで行くっていう話があって、全員行くと。で、俺は斜に構えてるポーズをとりたくて、俺は行かないっていうわけ。でも家にいると行きたくてしょうがないから、そのときバイクに乗ってたので、オートバイで学校のバスに併走して行くわけ(笑)

太田:なにもんなんだよ!(笑)

伊集院:俺だけ私服でしょ?「お前なんで私服なんだよ」って先生に聞かれたら「俺は個人的に来てるからいいんだ。」っていうのがうれしくてしかたないんだけど、先生もそれで引き下がっちゃうからそれ以上なんも相手にしてもらえない。集合写真にも入ってないのがスルーされてすごく寂しい(笑)俺の高校生活いっつもこんな。

太田:ひねくれてんなぁ。

田中:3人ともそうだけど、別の形だけど…

太田:お前と一緒にするなよ!別すぎる。ファーストネーム裕二だろ?俺ひかりだし。

伊集院:俺ひかるだし。

田中:元田中だろうがよ!

(引用 http://d.hatena.ne.jp/peace823honey/20060903/1157288754

 不登校であったにもかかわらず、学校から距離をおくどころか遠足に「自主的に」参加し、それでもなお「学校の生徒」としてではなく「個人的旅行」であると主張する伊集院の意見は何重にもねじれたものである。伊集院光の憂鬱については詳しく分析する価値のある対象なので項を改めて語りたい。しかし今回はそんな伊集院が憂鬱な高校生活を送った足立新田高校に注目しよう。

 どこの地域でも必ず数校はあるような底辺校である足立新田高校であったが、1997年に就任した鈴木高弘校長の改革によって、劇的変化を遂げることになる。鈴木は赴任当初の印象をこう語る。「校舎も本当に荒れ果てていました。生徒は九九もアルファベットもあやふやで、先生もやる気ゼロ。誰もネクタイをしていないのは、生徒に引っ張られて首が絞まって危ないからということでした」(週刊ポスト2011年6月17日号)。

 保守的なタカ派で有名な鈴木であったが、その改革内容はステレオタイプな「保守派」が好むような風紀の取り締まりや締め付けではない。鈴木の改革は多岐にわたるものである。まず制服をかわいい物にデザインを変えることで女子生徒の人気を狙った。また校内に日の丸を掲げ、教師や生徒を総動員した校内清掃を徹底したのである。

 さらに改革の目玉がカリキュラムの大幅な変更である。スポーツ健康系、情報ビジネス系、福祉教養系の3学系を設置し、実利学習を重視した。これら学科は高校が立地する足立区の実情を踏まえた巧みなものである。スポーツ健康系は、学校のすぐ隣の荒川河川敷のゴルフ場から道具と用具を借りてきて活動を行う。情報ビジネス系は近隣の専門学校と連携したコンピュータ教育を行う。福祉教養系は独居老人が多い地域の特性を生かし、ホームヘルパー2級の資格取得を目標として女子生徒を集めようと考えた。

 鈴木はさらに一年一学期の午後は授業を行わないことを決定した。「何でもよいから身体を使ったりするおもしろいことをやれ」と指示し、午後はすべて作業中心の「総合学習」として、「ゆとり教育」を実践している。また有名俳優のドラマのロケを受け入れ、髪が黒い生徒だけエキストラで出演するという企画を実施することで、茶髪生徒の撲滅にも成功した。

 結果、足立新田高校は偏差値も上昇した。平成22年度卒業生は4年制大学に76名、短期大学に11名、専門学校に65名、31名が就職した。同校のホームページによると就職希望者は全員が就職できたらしい。スポーツも強豪校として有名になった。都立高校では唯一の相撲部を有し、陸上競技部は2年連続3度目となるインターハイ出場を決めた。また野球部は2006年選手権大会東東京大会でベスト4、2007年・2008年はベスト8、2009年ベスト16、2010年ベスト8の実力を持っている。入試の倍率は5倍にも跳ね上がり、都内でも有名は人気校に変わった。

 鈴木による学校改革は様々なメディアによって「美談」として扱われている。しかし問題はそう単純ではない。これまで改革前の足立新田高校を受験していたような、成績下位の生徒は近隣の底辺校に進路変更するだけである。統計データを見れば、こうした成績下位の生徒は、低所得の家庭に育っている場合が非常に多い。片親だけの家庭も多く、授業料免除申請の割合も多く、授業料未納も頻繁に発生する。生徒側の家庭の所得格差と、再編計画に象徴的な学校側の格差をどうすべきか?足立新田高校は、劇的改革によってこれから脱却することに成功した。しかしそれは同様に別の高校を廃校に追い込むことになるのだ。