「政治の季節」の終焉ー『マイ・バック・ページ』にみる成熟の失敗

 現代の映像メディアは「あの時代」、「政治の季節」を十分に描けているのだろうか。政治的無関心の蔓延から現代と頻繁に比較される60年代後半の「政治の時代」、これを評価する最大の基準は、同時代の空気を再現しているかどうかである。60年代後半から72年はどんな時代だったのか。社会学的には、50年代中盤から60年代中盤まで中心的な価値基準であった「階級」概念が退潮し、「世代」概念が優位になった時代である。「階級」が強度な60年代中盤までは、アメリカと日本、都市と地方、体制と反体制といった「強者/弱者」の対立図式が用いられた。一方でこのコードは60年代後半からの「世代」概念の優位の時代では、「本質/非本質」という対立図式によってとって変わられ、本質を知る「若者」とそれを理解しない「大人」の対立ゲームに転換した(『大人は判ってくれない』!)。

 こうした「強者/弱者」から「本質/非本質」への価値の転換は、しかし、70年代中盤以降の「政治の時代」を解雇する映画によって誤解を伴ったかたちで演出されることも多い。その誤解は具体的には、イデオロギーに対する近接性の優位として現れる。原田真人監督『突入せよ!あさま山荘事件』においては、脚本や撮影技術の未熟もさることながら、主役の警視庁監察官、佐々淳行役所広司)の家族関係に一部フォーカスされており、あさま山荘事件にてピークに到達するイデオロギー性を、様々な思惑が駆け巡る群像劇としてエンターテイメント化した。世志男監督『四畳半革命〜白夜に死す〜』では、学生運動に煮詰まった暴力的な学生の直也(三元雅芸)が売春バーで働く娼婦のアッコ(結木彩加)とセックスに明け暮れる日々が描かれる。しかし家族関係、友人関係、恋愛関係といった近接性が大文字の革命に勝利するという主題を、「タテマエ=イデオロギー」に対する「ホンネ=愛情」の優位として解釈し、「革命の理想」を内実の伴わない夢想としてあっさり断罪してしまうのは、歴史的に間違っている。当時「革命」がいかに実現可能なものとして夢見られていたか、政治的期待値の高さを等閑視することでは、「政治の季節」を映像化する試みは失敗に終わる。

 『突入せよ!あさま山荘事件』にて犯人側の学生たちがほとんど不可視の領域に追いやられていることに激怒した若松孝二は、彼らの不在を埋め合わせるかのように『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』にて1972年のあさま山荘事件をリアリスティックに演出した。若松は、イデオロギーの徹底した現実化により、社会や国を革命しようとした学生たちの理想が、いびつにねじれながら「総括」と呼ばれるリンチに変容していった過程をグロテスクなまでにリアルに再現した。若松に限ることなく、足立正生、松竹ヌーヴェル・ヴァーグ、ATGの作家による一連の作品群を見ていると、時代に刻印された独自の「時代の空気」を、鑑賞する私たちに痛々しいほどまでに感じさせ、思考・行為の前提がまったく異なる「ついていけない」雰囲気が時代を支配していたことが伝わってくる。『ゆけゆけ二度目の処女』、『女学生ゲリラ』、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』にて日常と政治が不可分のものとして癒着している関係性を見て、政治的無関心が蔓延する現在とはコミュニケーションのモードがいかに異なるか思いをめぐらさずにはいられない。

 偶然にも『マイ・バック・ページ』にて主演した妻夫木聡松山ケンイチは、以前にそれぞれ別の映画にて60年代を体験していた。妻夫木聡村上龍原作、李相日監督の『69 sixty nine』で、松山ケンイチ村上春樹原作、トラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』にて。しかしこれら作品は先に述べた「時代の空気」に漸近できたとは言いがたい。『69 sixty nine』は二人の高校生が、レールの敷かれた退屈な人生への違和感と、学生運動にシンパシーを抱く同級生のマドンナの気を引くため、あえて反体制文化にコミットし、映画・演劇・ロックがごちゃ混ぜになった一大フェスティバルの開催を企画する。『ノルウェイの森』は過去の恋愛関係で心に傷を負った男女たちが、社会から離脱するように憂鬱な恋愛関係から抜け出せなくなり破滅の道を歩む。後で詳しく述べるように、「政治の季節」に正面からコミットしていない点では、これら作品は『マイ・バック・ページ』の主役たちと同じ地点に立っている。しかし『69 sixty nine』では自由への闘争や恋愛の成就を目的とした再帰的選択として、『ノルウェイの森』ではミクロな人間関係によるノイズとして遮蔽されるように、政治や社会はマクロな領域(革命という夢)から切断される。いうまでもなく村上龍の一部や村上春樹のほとんどすべての小説は、社会や政治など大文字の価値観を徹底的に拒絶することで、独自の小世界を獲得し、現代的な「小説」の新たな境地を獲得したのは間違いない。それゆえ彼らの「社会の切り離し」が作品を直ちに否定するに及ばない。

 川本三郎原作、山下敦弘監督『マイ・バック・ページ』は、これら作品と同じように「政治の季節」に正面からコミットすることができなかった若者を主役に据えながら、政治に対する近接性優位という安易な断罪を行わず「乗り遅れた者たち」の苦悩を描く。あらすじはこうだ。

 東都ジャーナル記者の沢田雅巳(妻夫木聡)は卒業後に学生運動がはじまった「早すぎた男」。不器用な学生運動家の梅山(松山ケンイチ)は、ピーク後に運動にのめり込んだ「遅れてきた男」。政治の季節に乗り切ることができなかった二人の若者が主人公になる。

 1971年のある日、京西安保なる新左翼セクトの幹部を自称する若者梅山が『週刊東都』に接触してくる。先輩記者は素性の知れぬ梅山を疑い、沢田に深追いしないように忠告する。しかし沢田は、若干の疑問を覚えつつも、彼に興味を持ち取材と称して関係を続ける。梅山も積極的に沢田に連絡を取り、沢田は梅山と京大の新左翼の大物前園との対談をセッティングするなど便宜を図る。

 あるとき、梅山は「赤邦軍」なる武力闘争組織を結成する。梅山は沢田に、自衛隊の基地を襲撃し武器を奪う計画があると打ち明け、自分たちのアジトを取材することを許可した。沢田が、赤邦軍のアジトであるアパートの部屋に行くと、そこには「赤邦軍」と書かれたヘルメットなどが置かれており、彼らの計画が具体的に進んでいることがわかる。しばらくして梅山は赤邦軍の仲間と陸上自衛隊朝霞駐屯地に侵入し、武器の強奪を図った。彼らは結局、武器を奪うことには失敗したが、1人の自衛官を偶発的に刺殺してしまい、その事実はメディアによって大きく報道された。

 事件後すぐに梅山は沢田にコンタクトをとってきたので、沢田は一大スクープのチャンスと確信し、梅山に単独インタビューを行う。その際に沢田は、彼らが襲撃したことの証拠として、梅山から殺した自衛官から奪った腕章を預かる。しかし別ルートから梅山の所在を突き止めた東都新聞社会部の記者によって、沢田のスクープは横取りされてしまう。沢田にも東都新聞記者にもその意図はなかったのだが、東都新聞の幹部はその事件性を鑑み、梅山を左翼の思想犯ではなく殺人犯であると解釈し、警察の捜査に協力すべきだと決定を下す。沢田も参考人として警察に出頭を命じられるが、彼は梅山は思想犯であり、そうである以上は取材源の秘匿の不文律は守られなくてはならないと主張し、さらに自分を信頼していた梅山を裏切ることはできないと責任を感じ、警察への協力を強く拒否した。

 ところがこうした沢田の信頼にもかかわらず、逮捕された梅山は、取り調べの刑事に沢田のことをあっさりと自供してしまう。それだけではなく梅山は、事件の首謀者は前園で、自分はその指示に従っただけだという嘘をつき、罪を前園に転嫁してしまう。沢田は梅山に裏切られたのである。結局沢田は、預かった腕章を処分したことが証拠隠滅の罪に当たるとして埼玉県警に逮捕され、それと同時に東都新聞から懲戒免職の処分を受けた。


 原作者の川本三郎は本作を「『若者の時代』のただなかに生きたひとりの若者の挫折の物語である。しかしこれは沢田ひとりの物語であると同時に、あの時代、真剣に他者のことを思って生きようとしたら誰もが体験したかもしれない普遍的な物語でもあるだろう」と認める。劇中、徹底して小物として描かれる梅山に、沢田は的外れの期待をかけてしまい、その結果無残にも騙されてしまう。梅山の登場シーンは「哲学芸術思潮研究会」と称するサークルの討論会だが、革命の必要性を主張する梅山は他の学生にあっさり論破されるものの、劣勢を反論することなくひたすら革命の気炎をあげつづけ、裸の王様の印象を早速与える。京西安保の幹部や京大全共闘の前園との関係は、ほとんど自己顕示のための嘘であり、みずからがリーダーを務めるグループを支配する怠惰な空気は、暴力闘争の単なる真似事のようにすら見える。組織の運営費を工面するために、恋愛関係(?)にある組織の仲間の安宅重子(石橋杏奈)に「妊娠したって嘘つけよ、初めてじゃないんだから言えるだろ」と言い放ち、親に借金するよう催促するに至っては、梅山のクズ度合いは明らかだ。そんな小物の梅山を沢田はなぜ信じてしまったのだろうか。考察を進めるために、本作の舞台となっている69年〜71年という時代に注目しよう。

 この時代は68年の東大闘争、全学共闘会議による運動のピークを通り越し、運動が退潮に転じた時期である。学生たちは無力を自覚し始め、一刻の夢から覚めるようにして「政から性へ」「セクトからセクるへ」撤退し、70年代的アングラ文化、サブカルチャーの勃興を準備することになる。69年から71年は「政治的断念」の時期なのである。先に『マイバックページ』の主役たちは「政治の季節」にコミットできなかった若者を描いている点では、『69 sixty nine』や『ノルウェイの森』と共通していると書いた。しかし主題を重視し作品世界を整えるためにノイズとして政治を回避したこれら作品と異なり、『マイ・バック・ページ』の主役たちは政治に接近したくとも、それができなかったのである。参加したいのにできなかったものの苦渋や申し訳なさという、当時の若者が共通して抱いていた感覚を、主役の二人が共有している点では、本作は政治や社会からいささかも逃れていない。

 梅山の周囲の環境がどこか怠惰で弛緩しており、彼自身の理想が空回りするのは、本作の時代が「政治の季節」の終焉に対応するためである。梅山は彼より少し上の世代が没頭した学生運動にコミットすることで「革命的主体性」を確立し、小さな自意識を満たそうとする。「俺を本物にしてくれ」という梅山の言葉は象徴的である。沢田が小物にもかかわらず梅山を信じてしまったにのは、このためだろう。革命闘争に参加できないことに申し訳なさ、後ろめたさを感じていた沢田は、時代遅れながら革命を志向し「生き生きとしている」梅山に、果たせなかった夢を見出す。つまり「革命に憧れる学生・に憧れる梅山・に憧れる沢田」という三重の憧れが本作の主軸である。沢田は時代遅れにも革命に燃える梅山に、捨てきることができなかった理想を間接的に期待する。革命成功による梅山の主体性確立=成熟を同時に、スクープ独占というジャーナリストとしての成功、断念した革命の夢の代補の達成という沢田自身の成熟に一致させてしまうのだ。沢田が得体の知れぬ小心者であったとしても、宮沢賢治銀河鉄道の夜』やCCRを愛する梅山に興味を持ち、協力を惜しまなかった理由がこれである。

 しかし彼らの夢は挫折し、成熟の試みは失敗する。映画のラストシーンは、釈放された沢田が居酒屋に入るところからはじまる。偶然にもその店を経営していたのは、沢田のかつての友人タモツ(松浦祐也)であった。タモツは沢田が記者時代にルポルタージュを書くために生活を共にしていた元フーテンである。久々に再会したタモツは、結婚し子供も設けていた。沢田の成熟は失敗し、時代に取り残されたのだ。最後のタモツの言葉が印象的だ。「あのスーツ、本当はお前に渡そうと思ってたんだ」。かつてタモツは、就職試験を受ける別の友人に、本来沢田に渡すはずだったスーツを譲っていた。その言葉を聞いた沢田はビールを飲みながら大泣きして映画は終わる。沢田は惨敗したのだ。革命に参加することもできず、梅山への期待は裏切られ、かつての友人は結婚し、自分だけが取り残された。渡されなかったスーツは沢田の成熟の失敗の象徴である。大泣きする彼の涙には成熟の失敗が爽やかに演出されていた。