麻生博之, 城戸淳編著『哲学の問題群ーもういちど考えてみること』(2006)

哲学の問題群―もういちど考えてみること

哲学の問題群―もういちど考えてみること

生きることや幸福、心・自由、知識・真理、存在・時間、善悪、社会・歴史、愛・性、死などのテーマを読者の目線でやさしく語る。はじめての人でも自由自在に学べる初歩の“哲学”。「主な哲学者紹介」「読書案内」を併載。

はじめに――哲学的に考えるということ――
I 人間とその生
1 生きる―生きることの意味とはなにか―
なんのための生きるのか/アリストテレスの「最高善」/「活動」としての行為
/ ニーチェ永遠回帰の思想 / 宇宙論的な苦笑

2  心 ―「心」とはいったいなんだろうか―
「心とは……である」と言い当てられるか/プラトンの霊魂説/
アリストテレスの『魂について』/デカルトの転換(魂から精神へ)/
カントによるデカルト批判

3 心と身体―心身はどんな関係にあるのか―
心身問題/二元論(デカルトの相互作用説)/二元論の困難/二元論と一元論/
唯物論的な考え方(心脳同一説と機能主義)/心の主観性/関係としての心

II 私と他者
4 私―自己意識という迷宮―
私をめぐるいくつかの問い/「考えるもの」としての私/私の捉えがたさ/
「意識そのもの」としての私/「他者の他者」としての私

5 アイデンティティ―昨日の私は私なのか―
私の変化と同一性/同一性と記憶/忘却と循環/身体と他者/積み残されている問題

6 他者の心―他人の気持ちや思いがわかるとはどのようなことか―
他我問題/類推説/感情移入説/心の私秘性という問題/行動主義/直接知覚説/
「他人の」心のありようが分かるということ

III 自由と行為
7 自 由―決定論と自由は両立するのか―
全知全能の神とラプラスの魔/意志の最初の哲学者、アウグスティヌス
若きカントの自発性の概念/ホッブズの意志実現説/ライプニッツの可能世界論/
カントの第3アンチノミー/経験的観点と叡智的観点の両立

8 行 為―行為と出来事はどう違うのか―
「する」と「起きる」/プラトン原因論/意志原因説の問題点/
アンスコムの「観察にもとづかない知識」/理由と原因/行為の絵と出来事の絵の違い

9 責 任―行為の責任を問うということ―
他者の自由へ/アリストテレスの責任論/性格の形成過程/カントの「人格」の概念/
他なる人格と「理性の事実」/ストローソンの責任論/日常世界と哲学

IV 知識と言語
10 知る―なにかを知るとはどういうことだろうか―
マトリックス』仮説/いもづる式懐疑/伝統的知性観/理性と経験/観念論と実在論
方法的懐疑/パトナムによる解決策

11 真 理―なにかが真であるとはどういうことだろうか―
うそつきのパラドクス/伝統的真理概念/対応説から観念論へ/対応説から反実在論へ/
うそつきふたたび/クリプキによる解決策

12 意 味―なにかを意味するとはどういうことだろうか―
「+」記号のパラドクス/意味は心のなかに/双子地球/意味を心の外に/
懐疑的結論と懐疑的解決/孤立した個人と共同体

V 存在と世界
13 存在と無―「ある」とはどういうことか―
なぜなにかがあるのか/世界があるということ/存在論的差異存在と無

14 個と普遍―なにがあるのか―
なにがあるのか/プラトンイデアアリストテレスの実体/実在論唯名論
存在するとは変項の値になること

15 世界の実在―身のまわりの世界は本当にあるのか―
意識のベール/観念とものそのもの/存在するとは知覚されること/疑いをまぬがれる世界

16 時 間―時間はどこにあるのか―
時間はどこにあるのか/アウグスティヌスの三つの時間/フッサールの時間意識/
数えられる時間/時計の時間と絶対時間

VI 善悪と価値
17 よ い―善/悪の根拠はなにか―
道徳という現象/道徳の指令性/道徳の客観性/道徳の本質的な特徴/
道徳的判断と真偽/道徳的性質はありうるか/ヒュームの懐疑(1)/
ヒュームの懐疑(2)/問いとしての道徳

18 相対主義―価値のちがいは絶対的か―
素朴な道徳相対主義相対主義批判/文化のちがいと道徳のちがい/
洗練された道徳相対主義/暗黙の合意/すべては本当に「相対的」なのか

19 義務か快苦か―行為の動機と結果をめぐって―
義務論/カントの善い意思と義務/定言命法/義務論とわれわれの常識/
功利主義功利主義とわれわれの常識

VII 社会と人間
20 ともに生きる―社会はどのように成り立つのか―
どこに社会はあるのか/「個人が先か。社会が先か」/アリストテレスの社会観/
社会契約論/ふたたび「個人が先か。社会が先か」

21 所 有―なにが私のものなのか―
所有による世界の色分け/所有の定義/ロックの労働所有論/労働の混入は目印になりうるか/
私の身体は私の所有物か/所有と他者

22  性 ―性的差異は「自然」なものか―
男性も出産できたら/セックス/ジェンダー/セクシュアリティ本質主義
文化的差異としてのセックス/哲学の古典の沈黙

23 歴 史―歴史があるとはどういうことか
歴史のイメージ/古典的歴史哲学と歴史の物語論/想起過去説/物語文/
歴史は改訂をまぬがれない/歴史の物語論歴史修正主義

VIII 苦悩と幸福
24  死 ―死というものをどのように考えるべきだろうか―
「死」は人間の敗北か/『ガリヴァー旅行記』の思考実験/人間の条件としての「死」/
生の「事実」/事実的な生における「死」の現在/「死」の意味

25  愛 ―誰かを愛するとはどのようなことだろう―
愛することを学ぶ/一体化への渇望/一体化の挫折/欠如への欲求/愛の苦悩と情熱/
欠如の愛を超えて/現実の相手に対する悦び/ともによく生きるための愛/異質な他者への愛/
一生の課題としての愛

26 幸 福―生の充足をめぐって―
すべての人は幸福を求める/幸福の不可能性/幸福の可能性を求めて/<よく生きること>と幸福/
自己実現としての幸福/現在の活動としての幸福

松本修著『全国アホ・バカ分布考ーはるかなる言葉の旅路』(1993→1996)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。

第一章 015
「アホ」と「バカ」の境界線
全国アホ・バカ分布図の完成に向けて
第二章 057
「バカ」は古く「アホ」はいちばん新しい
恐るべき多重の同心円
古典に潜むアホ・バカ表現
第三章 141
「フリムシ」は琉球の愛の言葉
「ホンジナシ」は、本地忘れず
第四章 193
「アヤカリ」たいほどの果報者
「ハンカクサイ」は船に乗った
言葉遊びの玉手箱
分布図が語る「話し言葉」の変遷史
第五章 247
「バカ」は「バカ」のみにて「バカ」にあらず
新村出柳田國男の語源論争
周圏分布の成立
学会で発表する
第六章 303
「アホンダラ」と近世上方
江戸っ子の「バカ」と「ベラボウ」
「アホウ」と「バカ」の一騎打ち
第七章 371
君見ずや「バカ」の宅
「アハウ」の謎
「阿呆」と「馬家」の来た道
エピローグ 465
方言と民俗のゆくえ

あとがき 485
アホ・バカ方言全国語彙一覧 495
主要参考文献 548

解説〔俵万智〕 557
文庫化を祝して〔岡部まり〕 563
事項索引・語彙索引 572-582