セキュリティー不安と排除の論理ー偏在するビンラディン

 2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件の発生以降、事件の首謀者としてアメリカ政府によって世界中を捜索されていたウサマ・ビンラディンの追走劇は、2011年5月2日をもって終えたと言われている。「言われている」というのは、その生死が映像によって全世界に伝えられたサダム・フセインやその息子たち、あるいはリビアカダフィ大佐とは異なり、私たちはビンラディンの死を、ホワイトハウスイーストルームからオバマ大統領によって発せたれた "Justice has been done"(正義はなされた)との宣言とともに、その事実を一方的に知らされたためである。もちろん、私は彼の生存の可能性を信じているわけではない。親族による身元の確認と、アメリカ軍によるDNA鑑定の結果もその事実を証明している「だろう」し、一部ではその葬送手段がムスリムの慣習にそぐわないのではと議論を醸した、空母カール・ヴィンソン上の「水葬」も報道のとおり行われたの「だろう」。

 「言われている」という表現に象徴される私の違和感は、彼の生存可能性を信じるような妄想めいた歴史物語を主張するためのものではない。私たちは、世界史を揺るがしたあるテロリストの指導者の死を、根底的に証明することはできない、というメディア論的なジレンマに置かれていることにある。確かにサダム・フセインの死刑執行映像の流出、息子のウダイ、クサイの遺体写真公開、カダフィのリンチ映像のネット公開は、彼らの死を示すための証拠として十分であるように思われる。しかし即座にこのように問い返すことができるのではないか。「それは偽物ではないか?」と。たとえば、いつまで経っても本人を発見することができず、業を煮やしたアメリカ軍が、対テロ戦争の成果を誇示し、義勇軍や国際テロ組織による抗戦意識を削ぐために展開したメディア戦略ではないか、といったように証拠の真偽を問うことができる。今年の7月、中国浙江省で発生した鉄道の脱線事故に関する、ある映像を思い出してみればよい。日本のテレビ局が街頭の中国人女性にインタビューした際、彼女は事故映像がCGであって、実際に事故は発生していたいと主張していたのだ!

 今回考えたいのは、テロリストの死の証明不可能性に私たちが潜在的に感じるような様々な推測、それに象徴されるような不安の実態についてである。さらには、その存在を根底的な意味において確証することができないような不明瞭な対象に対して、認識し、体感される不安が安全性=セキュリティーへの過剰な要求が、暴力的に発露した歴史について考えを巡らせたい。

 「私たちはビンラディンの死を根底的な意味で確信することができない」というテロリストの証明不可能性を、9.11後のアメリカによる、アフガニスタンを中心とした対テロ戦争にも同様に見出すことができる。ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』は、9.11テロ発生からアフガニスタン攻撃に至るまでの、ブッシュ政権内部の怒りと焦燥を細部に至るまで克明に描出したノンフィクションの傑作である。この著作において筆者は、ブッシュ大統領をはじめ、パウエル国務長官ラムズフェルド国防長官、ライス補佐官をはじめとする政権中枢幹部への詳細なインタビューを行い、それに基づいて政権内部の政治決定プロセスを詳細に再現しており、当時、彼ら執行部がいかなる問題に直面し、どのような決定を下していったのか、貴重な示唆を与えてくれる。一読して印象を受けるのは、意外なことにも、ブッシュ政権を怯えさせていたのはテロリストではなく、アメリカ国民だったという事実である。

 9.11テロ直後から、アメリカ政府は、その総力を結集しテロの犯人を捜査していった。各セクションの諜報部の情報を元に推定すれば、初動捜査の時点で、同時多発テロが国際テロ組織アルカイダに関連があることは明らかだった。しかし、彼らがどこに潜伏し、どのようなネットワークを形成しているかは定かではない。報復攻撃をしようにも、目標が定められないのだ。しかし沸騰する世論を無視して、報復攻撃を遠慮してしまえば、政権がもたない。進展しない事態に業を煮やしたブッシュ、ラムズフェルドらは「どこでもいいから攻撃せよ」と報復のポーズをとることで、テロリストに対するアメリカの断固たる姿勢を示すよう主張する。主張する相手は、テロリストはもちろんのこと、アメリカ国民も含まれる。これに対して穏健派であり、政策合理性を重視するパウエル、ライスが彼らを諌めるというやり取りが続く。最終的にブッシュ政権は、アフガニスタン国内の反タリバン勢力による不確定な情報を根拠に、戦略的効果のほとんど認められない空爆を長期間にわたって継続することになる。

 ここで重要なのは、彼らは、実態の明らかではない「存在しない敵」、もしくは「不在の敵」を探し求めていたのではないか、ということだ。この場合の「不在の敵」とは、敵が実在するか否かを意味するものではない。9.11テロ以降のアメリカは、その実態も居場所も定かではない空気のようにつかみにくい存在を相手にしようとしていたのではないか、ということである。

 9.11後のアメリカを震撼させた炭疽菌事件を振り返れば、その傾向を明瞭に理解することができるだろう。2001年9月18日と10月9日の2度に分けて、アメリカ合衆国の大手テレビ局や出版社、上院議員に対し、炭疽菌が封入された封筒が送りつけられ、5名の死者、17名の負傷者を出したこの連続テロ事件は、アメリカ全土を震撼させ、「アメリカの司法史上最も大規模かつ複雑なものの1つ」と言われた。事件直後、ホワイトハウスは「アルカイダによる同時多発テロの第2波攻撃である」と繰り返し主張し、FBIに対して9.11テロとの関連事件として操作するよう、度重なる圧力をかけたといわれる。しかし、後の捜査によって、アメリカ陸軍感染症医学研究所に勤務していた科学者であるブルース・エドワード・イビンズによる単独犯であり、アルカイダとは無関係であることが明らかになった。

 だが、こうしたアメリカ当局による捜査ミスを他所に、炭疽菌事件に対するアメリカ国民の恐怖は、9.11同時多発テロとは比較にならないほど大きいものであった。その理由は直接的には、貿易センタービルやペンタゴンといった要所を攻撃した9.11同時多発テロに比べて、炭疽菌事件は、郵便物に封入された炭疽菌がオフィスや家庭に届けられる点で、誰もが無差別にその対象となる可能性があり、ごく簡単に家庭内に脅威が侵入することができるためである。事件をアルカイダによる犯行であると疑わず怯える人々は、炭疽菌に対して、テロリストと同一の恐怖を抱いていた。いわば、炭疽菌の発生源に、アメリカ国内に潜むビンラディンの存在を見出していたのである。

 ならば、このように言い換えるのが妥当かもしれない。9.11テロ以降、アメリカが探し求めていたのは、「存在しない敵」、「不在の敵」ではなく、「偏在する敵」「いたるところに存在する敵」ではないか、と。この仮説を根拠付ける具体例として、ビンラディンについて一時期アメリカ国内で囁かれたあるデマも挙げることができる。アフガニスタンにおけるアメリカ軍のビンラディン捜索が断念されつつあった頃、オリンピックを間近に控えたソルトレイクシティビンラディンが潜伏しているという噂が広まった。FBIの広報によると、大会直前までに住民によって30件程度の目撃情報が寄せられたらしい。勿論、こうした噂は妄想に近いようなデマに過ぎないだろう。しかしこの事例は、当時のアメリカ国民にとって、国内の至る所にビンラディンが存在するものとしてイメージされていたことを端的に示している。つまり彼らは、、ビンラディンに近接するもの(=換喩)か、あるいはビンラディンの等価物(=隠喩)が、アメリカ国内に、さらには世界中に溢れていると感じて怯えていたのである。

 9.11テロ後の過熱するアメリカ世論が対テロ戦争を支持したのは、こうした理由によるところが大きいだろう。つまり、テロリストが、「偏在する敵」、「いたるところに存在する敵」として認識され、炭疽菌事件の反応やソルトレイクシティの目撃談に象徴されるように、彼らの日常の内部に侵入する異物として恐怖を感じさせていたためである。

 「偏在する敵」が私たちの日常=生活圏内に侵入し、その秩序を内部から撹乱させ、共同体を危機に陥れているというモチーフは、歴史的に幾度となく反復された形式である。危機は目の前に迫っている、すぐに行動しなければ我々の日常は足元から破壊されるだろうという感覚がセキュリティー不安を呼び起こし、過剰なまでの排除の論理や国家権力の拡大を許したケースをさらに歴史を遡行することによって考察してみよう。それはナチス・ドイツによる諸政策である。

(続)