わが国最大規模の不法投棄事件といわれる豊島産業廃棄物不法投棄事件。不法投棄に手を貸し、停止したのちの廃棄物の撤去を拒否した香川県当局と1400人の住民との25年に渡る長きたたかいを克明に綴る。
第1部 敗北(心豊かな島;国立公園に廃棄物処理場 ほか)
第2部 再起(風評被害の広がりと危険の存在;たたかいの場は公調委へ ほか)
第3部 苦悩(「中間合意」で熾烈なせめぎあい;「調整案」、「最終調整案」の提示 ほか)
第4部 勝利(豊島の心を一〇〇万県民に;知事選挙の争点 ほか)
【本文】
本稿の目的は,近年文化社会学領域において注目されているA. エニョンの社会学の検討を通して,行為者の文化的活動の内実を把握するための方法を探求することである.エニョンは,「愛好家(amateur)」の文化的活動に密着する独自のアプローチを提示している.P. ブルデューやH. ベッカーに代表される,これまでの文化社会学で主流となっていたアプローチが,文化的活動に参与する行為者の嗜好を社会的背景に還元して説明する傾向があったのに対し,エニョンは,行為者の活動にできるだけより添い,彼/彼女らが趣味を発展させる具体的な仕方に光をあてる.本稿ではまず,ブルデュー,ベッカーら従来の文化社会学との違いを明らかにすることから出発し,エニョンの議論を理解する上で伴となる概念を整理する.つづいて,エニョンによる音楽愛好家のエスノグラフィーを参照し,彼が愛好家の活動を描き出す方法を詳細に検討する.さらに本稿では,エニョンのアプローチの応用例として,文楽(人形浄瑠璃)愛好の自己エスノグラフィーを試みることで,エニョンのアプローチの有効性と限界を明らかにする.最後に,エニョンのアプローチの意義を確認し,今後の方向性を示す.
吹上裕樹,2018,「A. エニョンの媒介理論――音楽的活動の比較社会学に向けて」『ソシオロジ』63 (2): 63-81.【リンク】
Bennett, T., M. Savage, S. Elizabeth, A. Warde, M. Gayo-Cal and D. Wright, 2009, Culture, Class, Distinction, London: Routledge.(磯直樹・香川めい・森田次朗・知念渉・相澤真一訳,2017,『文化・階級・卓越化』青弓社.)
【本文】
本稿では,ウェブ調査の示す結果の偏りが,インターネットが使えない人が排除される過少網羅のもたらすバイアス・低い回答率のもたらすバイアス・調査対象者の自己選択によるバイアスのいずれに帰されるかを,2 つの実験的ウェブ調査を通じて検証した.第1 の実験は,同じ標本抽出台帳(選挙人名簿)から抽出された対象者を郵送回答とウェブ回答に無作為に振り分け,回答者の構成ならびに回答内容を比較したもので,網羅誤差と非回答誤差の影響を測定することを目的とした.第2 の実験は,異なる標本抽出台帳(1 つは住民基本台帳,もう1 つは調査業者のもつ登録モニター)から抽出した対象者にまったく同じ内容のウェブ調査を行い,ウェブ調査のモニター登録という自己選択のもたらす影響を測定することを目的とした.その結果,過少網羅および低回答率は1 次集計結果の偏りにはほとんど影響を与えないこと,対照的にモニター登録という自己選択のもたらす影響は無視しえない深刻なものであることが明らかとなった.
【本文】
本稿では,社会科学におけるインターネット調査ないしウェブ調査の可能性と課題について考察した.とりわけ,ウェブ調査の意義は何であるか,ウェブ調査のプレゼンスは高まっているのか,ウェブ調査の課題は何であるか,学術研究にウェブ調査データを利用する際の許容条件はいかなるものか,の諸点を焦点として検討をしてきた.その結果,実施されるウェブ調査の数自体は顕著に増加してきているが,他方でいまだ学術研究ではウェブ調査利用の成果物は必ずしも多くはないことが明らかとなった.
理由として考えられるのは,標本の代表性への懸念である.社会学の主要な学術誌に掲載されたウェブ調査データ使用論文をみると,それらほとんどでウェブ調査を用いたことを正当化する補足的記述がみられた.
ただし,ウェブ調査はまったく学術利用に適さないわけではない.研究や調査の目的いかんによっては,ウェブ調査の採用が最適であることも考えられる.
ウェブ調査によるデータ収集のプロセス全体をしっかりと総調査誤差の枠組みより評価をして,研究目的に即した限定された母集団へと着目することの理論的意味と,それに対しアプローチする方法的妥当性を周到に検討することが,ウェブ調査の利用可能性をひらくだろう.
さまざまな「問題」が露呈する、2020年東京オリンピック・パラリンピック。その開催に際して政府が示す「基本方針」は、日本選手に金メダルのノルマを課し、不透明な経済効果を強調し、日本の国力を世界に誇示することに固執する、あまりに身勝手な内容で、本来、もっとも尊重すべき「オリンピック憲章」の理念とは相容れないものである。二度目の開催地となる東京から、世界に発信すべき「理念」とは何なのか。本書はオリンピックの意義を根底から問い直し、2020年への提言を行なう。
序章 一九六四年の光と、二〇二〇年の影
第一章 オリンピックは「開催国のために行なう大会」ではない
第二章 オリンピックは「国同士の争い」ではない
第三章 オリンピックに「経済効果」を求めてはならない
終章 オリンピックの理念は「勝敗」ではない
資料 2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針
参考文献
おわりに
添木田蓮と楓は事故で母を失い、継父と三人で暮らしている。溝田辰也と圭介の兄弟は、母に続いて父を亡くし、継母とささやかな生活を送る。蓮は継父の殺害計画を立てた。あの男は、妹を酷い目に遭わせたから。――そして、死は訪れた。降り続く雨が、四人の運命を浸してゆく。彼らのもとに暖かな光が射す日は到来するのか? あなたの胸に永劫に刻まれるミステリ。大藪春彦賞受賞作。