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『若草の頃』(ヴィンセント・ミネリ、1944)は、ミュージカル映画の主流がバックステージものから「統合された」ミュージカルへと移行する契機となった作品であり、同時に後者の理想的な例として高く評価されてきた。しかし他方では、そのイデオロギー的な、とりわけジェンダー表象の問題も指摘されている。主役となるスミス一家の女性たちの恋愛に対する能動性が描かれながらも、それが異性間の婚姻を前提としたものであるために、結局は父権制の再生産へと回収されてしまうのである。本稿は、本作のミュージカル・ナンバー「オーバー・ザ・バニスター」(Over the Bannister)を分析することで、次女エスター(ジュディ・ガーランド)が意中の青年にはたらきかけるこのシーンの潜在的な抵抗性を明らかにする。そしてこの時注目するのが、彼女の足元にある舞台装置、すなわち階段である。多くの指摘がある通り、映画の階段とは伝統的に女性をメイル・ゲイズの客体として「陳列」する装置であり、この定型表現は、20世紀初頭にブロードウェイで人気を博したレヴュー、ジーグフェルド・フォリーズから、トーキーの導入を経てバックステージものへと引き継がれていく。『若草の頃』を階段によるスペクタクルの歴史という文脈に置き直す本稿では、エスターの抵抗性を、そうした定型表現を逆手に取り、階段におけるジェンダー構造を転覆した例として評価する。