前田英樹著『映画=イマージュの秘蹟』(1996)

映画=イマージュの秘蹟

映画=イマージュの秘蹟

カラックス、エリセ、アンゲロプロスキアロスタミタルコフスキーパラジャーノフソクーロフ…。80~90年代を代表する映像作家の作品を、深く激しく精密に論じつつ、映画=イマージュの途方もない本性を一挙に解き明かし、人間の思惟の歴史を揺るがす革命的映画論。ジル・ドゥルーズの「シネマ」以降の批評物語の地平を大胆に凌駕する、来たるべき時代の思考=機械。

第1章 見ることの苦痛について
第2章 運動の個体化について
第3章 存在の静止について
第4章 過去の即自存在について
第5章 回想の諸水準について
第6章 唯一の時間について

62「『物質と記憶』が述べる「純粋知覚」とは、記憶がまったく介入していない知覚のことである。もちろん実際の知覚は、記憶内容との金剛によってしか機能しない。しかし、それにもかかわらず、知覚と記憶とのあいだには性質の差異があり、ふたつのものの本性はそれぞれ独立している。知覚のイマージュは、縮減された物質の一部分であり、それは記憶の助けなしにそれじたいで実在する」
86「ベルクソンの言う知覚のイマージュは、幾何学的ではなく、物質の実在的な部分であり、物質を縮減してイマージュを引き出す知覚は、その機能の純粋状態においては、活動する〈現在〉にのみ属している。知覚のイマージュが持続するものであるためには、記憶表象の助けが必要であり、しかも実在するイマージュの総体は、〈時間〉と呼ばれている持続それじたいにほかならないのである。
100「知覚することは、イマージュの総体を特定の身体の有用な行動のために〈減らす〉ことにほかならない。〈減らす〉ことそのものは身体の活動の功利性に由来し、この功利性こそが、知覚のなかの否定性の起源である」

小津安二郎の家―持続と浸透 (Le livre de luciole (12))

小津安二郎の家―持続と浸透 (Le livre de luciole (12))