杉野健太郎編著『交錯する映画 ーアニメ・映画・文学』

小説、演劇などさまざまなメディアとの交錯のなかで、映画は何を生みだしてきたのか。アニメや文学との深い関わりを丁寧に見つめながら、複雑に絡み合う関係を考察する。

はしがき

 第Ⅰ部 映画とアニメ

第1章 日本アニメーションにおけるスタイルと演出――草創期から第二次世界大戦まで(板倉史明
 1 『なまくら刀』と『浦島太郎』——アクションの面白さ、物語を語る欲望
 2 村田安司とコンティニュイティ編集
 3 戦前作品における奥行表現と『くもとちゅうりっぷ』

第2章 宮崎駿手塚治虫――〈漫画の神様〉を超えた漫画映画(川勝麻里
 1 宮崎駿による手塚治虫批判の真意
 2 模倣者の苦悩——漫画家としての宮崎駿
 3 反・手塚としての、宮崎駿大友克洋の「偽史
 4 見出された〈成長する〉キャラクター
 5 視点とレイアウトに込められた「漫画映画の原点」
 6 構図と映像の技法に見る、手塚漫画の影響
 7 〈漫画の神様〉への劣等感とその克服

 第Ⅱ部 映画と文学

第3章 ハンス・カストルプの映画見物――トーマス・マンと〈映画論争〉 (山本佳樹)
 1 〈映画論争〉とは何か
 2 ハンス・カストルプが観た映画
 3 トーマス・マンの映画論
 4 観客・検閲官・脚本家・原作者としてのトーマス・マン

第4章 アダプテーションをめぐるポリティクス――『華麗なるギャツビー』の物語学(杉野健太郎
 1 小説と映画の構造分析
 2 小説の語りと映画の語り
 3 階級物語としての『華麗なるギャツビー
 4 『グレート・ギャツビー』と男に感情移入する語り手
 5 『華麗なるギャツビー』と女の脱神秘化
 6 アメリカン・ドリームの幻滅の完結性

第5章 ディアスポラ映画のジレンマ――『その名にちなんで』における成長物語、家族物語、アイデンティティ政治(山口和彦
 1 個人的経験と「民族的自伝」
 2 成長物語と「民族」への回帰
 3 視点人物の撹乱と解体される家族物語
 4 問われるアイデンティティ政治

 第Ⅲ部 メディア、ジャンルと映画

第6章 ゲルニカ×アメリカ――ヘミングウェイ、イヴェンス、クロスメディア・スペイン(塚田幸光)
 1 ゲルニカ×ゲルニカ
 2 『ライフ』ヘミングウェイ、スペイン体験
 3 フィルム×ジャーナル——クロスメディア・スペイン
 4 シネマティック・ゲルニカ——『スペインの大地』を見る
 5 ゲルニカ×アメリカ——『スペインの大地』とFSA

第7章 文学と映画のアメリ眼球譚――エマソン、『西部開拓史』、『2001年宇宙の旅』(川本 徹)
 1 火星のモニュメント・バレー
 2 1836年眼球の旅
 3 エマソンからシネラマ
 4 自然と視線のアメリカ文化史
 5 2001年眼球の旅
 6 スターチャイルドの環境レッスン
 7 2154年眼球の旅

第8章 ポスト・ノワールに迷い込む古典的ハリウッド映画――『ロング・グッドバイ』における失われた連続性(小野智恵)
 1 ジャンルとしての〈フィルム・ノワール
 2 修正されたマーロウ像
 3 導かないメロディ
 4 見えない顔
 5 信用できないズームイン
 6 グレープフルーツ、コーヒーそしてコーク瓶
 7 「フーレイ」・フォー・ハリウッド

第9章 少女・謎・マシンガン――〈角川映画〉の再評価(御園生涼子
 1 少女の原光景
 2 女優・薬師丸ひろ子——シャーマンとしての少女
 3 暴力表象としての「マシンガン」
 4 ユートピアの終焉

初出一覧
映画用語集
人名索引/映画タイトル索引
監修者・執筆者紹介

用語解説 p.13 古典的ハリウッド映画「主に、1930年代から50年代にかけてハリウッドで製作された物語映画のモード。アリストテレス以来の「始め・中間・終わり」を持つプロット(筋)の基本形を踏まえ、古典演劇における三統一(プロット、時、場所の統一)の法則を受け継ぐ。基本構造は、明確な目的を持った主人公による中心のプロットが問題の解決へと向かう、プロットの統一、そのプロットが連続したあるいは一貫して継続した時間内に展開する時の統一、そのプロットが限定された場所で展開する場所の統一であり、三つの統一を貫く重要な概念は因果である。プロットを提示するために映像も音声も突出することなくプロットに奉仕する。その代表的な技法にはコンティニュイティ編集などがある。現在の主流映画にもその基本構造は見出される」

p.122「取り立ててすぐれているとは思えない小説を映画が映画史に残る映画にしてきたことは否定できないにもかかわらず、とりわけキャノンと呼ばれる名作小説の映画化は、コピーと見なされ、とりわけ原作への「忠実さ(fidelity)」だけが判断基準であるかのように、低い評価を与えられることが多かった」
p.123「カートメルとウィラハンが指摘するように、文学の映画へのアダプテーションというハイブリッドな研究領域が実り豊かにならない理由の一つは、文字あるいは映画のいずれかに関する理解不足、とりわけ映画に関する理解不足であろう(Cartmell and Whelehan 3)」
p.138

小説と映画の修辞学 (叢書 記号学的実践)

小説と映画の修辞学 (叢書 記号学的実践)

p.140 特定の人物の視点ショットだけで構成される映画、アレクサンドル・ソクーロフエルミタージュ幻想』、ロバート・モンゴメリー『湖中の女』