リチャード・J・バーンスタイン著『手すりなき思考 ー現代思想の倫理-政治的地平』(1991=97)メモ

手すりなき思考―現代思想の倫理‐政治的地平

手すりなき思考―現代思想の倫理‐政治的地平

目次
 1 哲学、歴史、批判
 2 理性への憤怒
 3 共約不可能性そして他者性との再会
 4 ハイデガーの沈黙? エートスと技術
 5 フーコー 哲学的エートスとしての批判
 6 真面目な遊戯 デリダの倫理−政治的地平
 7 モダニティ/ポストモダニティの寓話 ハーバーマスデリダ
 8 一歩前進、二歩後退 ローティ−リベラルな民主主義と哲学−
 9 ローティのリベラル・ユートピア
10 宥和/断裂
11 プラグマティズム、多元論、傷の癒し

※ ローティと「シカゴ大学の学部生であったとき以来40年以上も対話のパートナーであり友人でありつづけてきた」だけあって、8,9章のローティ論は鋭い。が、それ以外はまるで役に立たない。

p.95「「他者性」というテーマは20世紀の英米哲学の全面には出てきていないが、20世紀の大陸哲学ーとりわけドイツとフランスの哲学ーのまさに中心にあった。ミハエル・トイニッセンはその見事は著作『他者』の冒頭に……」

p.103 デリダエクリチュールと差異』から引用、他者である存在者の存在に関連して。「かくして、暴力が現れることや暴力が名指されることすら不可能になってしまうまで徹底的に、暴力が支配することになってしまうだろう」

p.367「ローティの最近の著作は「伝統的な哲学的問題に対して…軽い気持ちでの審美主義の態度」をとっているという批判に対して、彼は反感を抱いている。ところが、である。ローティは、一方では、そもそも哲学的反省が社会の力動性に影響をもちうるといった見解に対して懐疑的な立場を表明しているのだが、それにもかかわらず、他方では、[右の批判に対して]以下のように主張することによって自己弁護するのである。「こうした哲学的な浅薄さや気持ちの軽さは、世界を幻想から解放することを助ける。それは、世界の住人たちがよりプラグマティックになり、より寛容になり、よりリベラルになり、そして道具的合理性の訴えをいっそう受け入れやすくなるように、手助けするのだ」

p.397 注15「ロールズについてのローティの解釈、およびロールズを「共同体論」の立場から批判する人びとについてのローティの解釈には奇妙に非対称な面がある。『正義論』が曖昧であることを認めながらも、ローティは、ロールズが哲学的ないし形而上学的な主張を行っているように思える箇所をすべて振るい落とそうとする傾向がある。ところが、サンデルとテイラーを論じるときは、ローティは、彼らが意見百出状態の哲学的・形而上学的な理論に加担している度合を誇張する。この論争全体が、かなりの度合いまで、競合しあう民主主義の諸ヴィジョンをめぐる政治的議論(彼の言う意味での「政治的」)として解釈できる、ということをローティはまったく考えない」

p.415 ローティ『哲学の脱構築』より引用。「われわれが必要とするのは、リベラリズムを記述しなおす[書き換える]ことである。全体としての文化が「合理化され」うるし「科学化され」うるといった啓蒙の希望として記述する代わりに、むしろ、全体としての文化は「詩化され」うるという希望としてのリベラリズムを記述しなおす[書き換える]のである」

p.426「しかし、書き換えは、形而上学と緊密に結びついていないのと同様に、アイロニーと結びついているわけでもない。「書き換えは、知識人という類の一般的な特徴であって、アイロニストだけがもつ特殊な目印ではない。それなのに、なぜアイロニストに対しては格別な怨念が生まれてくるのか」これは、アイロニストが[後述の考え方に]力を付与することができないせいだ、つまり、〈究極の語彙が合理的に正統化され根拠づけられることができる〉と認めることをアイロニストが拒絶するせいだ、とローティは考える」

p.529 訳者あとがき。「著者は、唯一の基礎からすべてを基礎づけようとする一元論的な「基礎づけ主義」を退け、むしろ、多元性のなかで個々の問題に実践的に取り組む「プラグマティズム」を復権させようとする。後者は、確固たる支えといったものを拒絶する。こうした著者の考え方は、「手すりなき思考」という言葉によって、よく表されている」

p.532 「著者は、現代思想が全体としていわば〈倫理-政治的転回〉を示していると見るのである。ただし、この倫理-政治的転回は、すでに確立された純粋理論を倫理-政治的な分野に応用するといったことを意味しない。あるいは純粋理性から実践理性へただ移行するといったことでもない。この倫理-政治的転回は、むしろ、総じて理論や理性そのものが最初から倫理-政治性を欠いては成り立たないという事実から生じてくるのである。そして、この倫理-政治性の根幹にあるのは、他者性や差異性との関係である」