長谷部恭男著『憲法の理性』(2006)

憲法の理性

憲法の理性

立憲主義とは何か―憲法の本質に迫る名著に新章を追加、日本国憲法制定70周年の節目に甦る

第I部 立憲主義と平和主義
 第1章 平和主義と立憲主義
 第2章 「国内の平和」と「国際の平和」――ホッブズを読むルソー
 第3章 国家の暴力、抵抗の暴力――ジョン・ロックの場合
 第4章 冷戦の終結憲法の変動
第II部 人権と個人
 第5章 国家権力の限界と人権
 第6章 芦部信喜教授の人権論――放送制度論を手掛かりとして
 第7章 「公共の福祉」と「切り札」としての人権
 第8章 「外国人の人権」に関する覚書――普遍性と特殊性の間
 第9章 「国家による自由」
 第10章 私事としての教育と教育の公共性
 第11章 憲法学から見た生命倫理
第III部 立法過程と法の解釈
 第12章 討議民主主義とその敵対者たち
 第13章 なぜ多数決か?――その根拠と限界
 第14章 司法の積極主義と消極主義――「第1篇第7節ゲーム」に関する覚書
 第15章 法源・解釈・法命題――How to return from the interpretive turn

64「現在、支配的な見解である一元的内在制約説は、日本国憲法の下において人権の制約原理として認められるのは、それに対抗する他の人権のみであるとする。そして、この人権相互間に生ずる矛盾・衝突の調整をはかるための実質的公平の原理が、「公共の福祉」にほかならないとする」
76「個人の人権の侵害である以前に、国家権力の内在的制約を逸脱している」自由に関する「憲法の各条項は、公共の福祉を維持するための根拠として用いられている」
68-77 著者は、従来の一元的内在制約説が、68「暗黙のうちに個人には無限定の行動の自由」があると仮定しており、同説はかえって「公共の福祉を名目とする国家による規制」を無制約に呼び込んでしまうゆえに危険であるとする。そこで、「公共の福祉の名の下に包括される国家の行動の正当性根拠」を、「個々人の人権」とはど独立に検討することを提唱する。
77「人権に、公共の福祉という根拠にもとづく国家の権威要求をくつがえす「切り札」としての意義を認めるべきである」cf.ドゥオーキン
170「ハンス・ケルゼンは、シュミットの描いたワイマール共和国での議会と政党の機能を基本的に受け入れ、それこそが現代の議会制民主主義において議会や政党が果たすべき役割なのだと応えた」「宮沢俊義は、議会制民主主義に対するケルゼンの見方を基本的に受け入れている」「正しい政治の矩(ノモス)にもとづく政治的決定を提唱する尾高朝雄に対して」【wiki

「ケルゼンや宮沢の立場を現時点において、継承するのが政治的多元主義の立場である」「民主的政治過程に要請されるのは、社会に存在する多様な見解や利益を可能な限り公正、公平に取り扱うこと、一部の利益による政治過程の選挙を許さないこと」
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法の概念 第3版 (ちくま学芸文庫)

法の概念 第3版 (ちくま学芸文庫)