森田塁「撮影行為における知覚について―福原信三「写真の新使命」の精読を通して」『映像学』2021年, 106巻, p.56-77

本文

福原信三の写真論「写真の新使命」は、彼が創刊した雑誌『写真芸術』において、1922年の4月から9回に渡って掲載されたエッセイである。これはのちに多くの写真論を書くことになる福原が、初めて明確な目的のもとに書いた文章である。

従来福原の写真論は、「光と其階調」という理念を提唱したことによって知られており、写真に写す対象を光の調子に還元する彼の写真作品の様式を説明する理論として理解されてきた。こうした先行研究に基づきながらも、本稿では福原の写真論を、写真を撮影する者が撮影行為における知覚のはたらきを記述したテクストとして解釈することを提示したい。そのために「写真の新使命」の精読を行う。

第1節では、福原が「写真」と「芸術」をどのように関係づけたのかを明らかにする。第2節では、彼が自身の写真芸術にとって理想と考えた撮影行為を、「写真的知覚」の形成として考察する。第3節では、カメラを手にする者が到達すべきだと考えられた「主客合一境」という概念の意味を、西田幾多郎の哲学との関係において検討する。さらに以上の考察を踏まえて、福原の撮影行為における「即興」の必然性を明らかにする。

結論として、この福原の写真論が、撮影行為における知覚の重要性という普遍的な問題を探究するテクストであることを論じる。