牧野智和「「自己」のハイブリッドな構成について考える」『ソシオロゴス』2017年, 41号, p.36-57

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自己のあり方、その行為者性のあり方に「モノ」はいかに関係するのか。本稿ではアクターネットワーク理論(ANT)と統治性研究を手がかりにして、自己とモノ、人間と非人間の関係性を考察する視点の錬磨を試みるものである。人間と非人間の関係は科学技術社会論を中心に検討が重ねられてきたが、その一つの到達点にブルーノ・ラトゥールらが提案したANTがある。この立場は技術・社会・人間を切り分けることなく、異種混交的なネットワークとして記述・理解しようとする新しい魅力的な切り口を提示している。しかし、個別事例を越えたネットワーク化の戦略や、今日増殖しつつあるハイブリッドのデザインという事態までをANTの立場は捉えることはできない。このようなANTの限界を超えるために、ジョン・ローのミシェル・フーコーへの言及、さらに統治性研究を発展的に折衷することで、デザインされる異種混交性の考察が可能になるのではないかと考えられた。

37「倫理学者のピーター・ポー ル・フェルベークは、モノは人間の経験を「媒 介する装置」になると述べ、もしそれらがなけ れば「人間は経験を持つことすらできない」と さえ記している」

ピーター=ポールフェルベーク, Verbeek, Peter-Paul, 2011, Moralizing Technology: Understanding and Designing the Morality of Things, The University of Chicago Press.(=2015,鈴木俊洋訳『技術の道徳化——事物の道徳 性を理解し設計する』法政大学出版局.)