紙屋牧子「最初期の「皇室映画」に関する考察: 隠される/晒される「身体」」『映像学』2018年, 100巻, p.32-52

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本稿は最初期の皇室映画(天皇・皇族を被写体とした映画)に焦点をあてる。昭和天皇(当時は皇太子)が1921年に渡欧した際、国内外の映画会社・新聞社によって複数の「皇太子渡欧映画」が撮影され、それが画期的だったということは、これまで皇室研究またはジャーナリズム研究のアプローチから言及されてきた。それに対して、映画史・映画学のアプローチから初めて「皇太子渡欧映画」について検討したのが、拙論「“ 皇太子渡欧映画” と尾上松之助NFC 所蔵フィルムにみる大正から昭和にかけての皇室をめぐるメディア戦略」(『東京国立近代美術館 研究紀要』20号、2016年、35-53頁)であった。この研究をさらに発展させ、「皇太子渡欧映画」(1921年)以前に遡ってリサーチした結果、「皇太子渡欧映画」に先行する映画として、有栖川宮威仁(1862-1913)が1905年に渡欧した際に海外の映画会社によって撮影された映画が存在すること、それらには複数のバージョンがあり、そのうちの1 本がイギリスのアーカイヴに所蔵されていることが判明した。本稿では、これらの映画がつくられた背景について明らかにすると同時に、この映画が皇室のイメージの変遷の中で持つ歴史的意味について考察した。その結果、「有栖川宮渡欧映画」は、「皇太子渡欧映画」への影響関係もうかがえるものであり、戦前期の「開かれた」皇室イメージの形成への歴史的流れを考えるうえで、きわめて重要な参照項となり得る映画であるという結論に至った。