兼子諭「トラウマ概念の社会学的応用とその意義 ー文化的トラウマ論の検討から」『社会学評論』2019年, 69巻, 4号, p.453-467

本文

社会や社会集団の成員が,自然災害や戦争などの歴史的出来事を,直接経験していないにもかかわらず自らの悲劇として感じ語ることがある.だがその一方で,出来事など起きなかったかのように沈黙を貫く場合もある.これらの現象を記述し説明するのに社会学者も用いるのが「トラウマ」概念である.しかし従来の議論は,トラウマを隠喩として用いるだけで,分析のための独自の視点や方法を展開し損なっている.そこで本稿では,J. Alexander らによる「文化的トラウマ(cultural trauma)」論を検討して,国民国家のような「大規模」社会での集合的な「沈黙」や「覚醒」のダイナミズムを探究する際にトラウマ概念を応用する社会学的意義を示す.文化的トラウマ論が明らかにするのは,悲劇的な出来事に対する集合的な沈黙や覚醒は,出来事の客観的な性格から説明できるとは限らないということである.文化的トラウマ論に従えば,むしろそれは,その出来事がどのように解釈され物語られるかに依存する.悲劇的出来事に対する集合的な反応は,それが社会に深刻な苦悩をもたらす傷として語られるのか,それとも,最終的には進歩の機会として語られるのかに左右されるのである.文化的トラウマ論を土台にして本稿は,悲劇的出来事に対する集合的な覚醒や沈黙は文化的に枠づけられる「社会」現象として説明可能であり,個人の心理や精神には還元することはできないことを主張する.