森本浩一著『デイヴィドソン ―「言語」なんて存在するのだろうか』(2004)

コミュニケーションの原理を見通す。ことばによって他者を理解するとはどういうことか。解釈の賭を通じて生み出される合意。それを可能にするのは言語能力ではなく生きることへの熟練である。

第1章 言語哲学は意味をどう扱うか
 意味とは何か
 「ふたり」のコミュニケーション
第2章 真理と解釈の第一次性
 真理条件という考え方
 寛容の原理
第3章 コミュニケーションの哲学へ向けて
 解釈のプロセス
 言語非存在論
第4章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する
 意図と規約
 デリダデイヴィドソン

25「文が意味を持つということは、それが世界内の何らかの事態に差し向けられているということであり、そのことによってわれわれは世界について「語る」ことができる。言語とわれわれと世界との関係の結節点にあるのが「真である」という述語です。それは、この意味論の枠組の中で、先行する何か別の概念によって定義することができない基本的な述語として使用されるものです。「真である」を未定義の原初的述語として利用するという天に、真理条件から意味を説明しようとする議論のきわめて重要な特徴があります。
 後にデイヴィドソンは、この「真である」(=真理)の定義不可能な先行性を、自らの議論のかなめとして戦略的に利用することになります」
41「少しわかりにくいところですが、要は、そのつど真理条件の確定がいかに経験的でアドホック(場当たり的)なものだとしても、解釈は必ずそうした構造を「見越して」いることになる、ということです。「意味の理論」とは、その言語の可能なあらゆるT-文を羅列したものではなく、可能なあらゆるT-文を生み出すことができるような一定のシステムのことです」
44 飯田隆言語哲学大全IV 真理と意味』「「意味の理論」の実際の探求がどういうものになるかは…などからうかがうことができます」

言語哲学大全〈4〉真理と意味

言語哲学大全〈4〉真理と意味

46「われわれは他者と向き合い、相手のことばと事実の両方を眺めながら、個々のT-文を発見してゆきます。その数が増えてゆくにつれて、それらを導き出す構造についての理解(理論的に記述すれば、全体論的な「意味の理論」となるような)も精度が上がり、コミュニケーションの成功率も高くなります。「証拠となるような断片(ここでは様々な文の真理値)はわずかでも、十分な分量の断片にまで形式的構造を推及することで、わずかな断片から豊かな内容(ここでは翻訳にかなり近い何か)を引き出すことができるようになるのです。
 こうして、他者の言語を理解するという出来事が、T-文の解釈、つまり「真である」という無定義述語を活用して文と事態を連結するプロセスとして説明されます」