ミシェル・ド・セルトー著, 山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(1980=1987)

日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)

日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)

セルトーはフランスの歴史学会においては異端の歴史家であった。つねに、既成の歴史学から排除された民衆の肉声を歴史のエクリチュールに再現しようとした。本書は、アカデミズムに権威づけられた「知」のあり方に対抗するため、民衆の日常的実践の技法、民衆的理性を「知」の新たな技法とし、現代のソフィストたらんとする「思想家」セルトーの代表作である。

はじめに
概説
第一部 ごく普通の文化
第一章 ある共通の場/日常言語
第二章 民衆文化
第三章 なんとかやっていくこと/使用法と戦術
第二部 技芸の理論
第四章 フーコーブルデュー
第五章 理論の技
第六章 物語の時間
第三部 空間の実践
第七章 都市を歩く
第八章 鉄路の航海あるいは監禁の場
第九章 空間の物語
第四部 言語の使用
第一〇章 書のエコノミー
第一一章 声の引用
第一二章 読むこと/ある狩猟
第五部 信じかた
第一三章 信じること/信じさせること
第一四章 名づけえぬもの
決定不能なもの
訳注
解説(今村仁司
訳者あとがき

100「戦略と戦術の区別が、もっとも適切な基本シェーマをしめしてくれるように思われる。わたしが戦略と呼ぶのは、ある意志と権力の主体(企業、軍隊、都市、学術制度など)が、周囲から独立してはじめて可能になる力関係の計算(または操作(マニュピュラシオン))のことである。こうした戦略が前提にしているのは、自分のもの[固有のもの]として境界線をひくことができ、標的とか脅威とかいった外部(客や競争相手、敵、都市周辺の田舎、研究の目標や対象、等々)との関係を管理するための基地にできるような、ある一定の場所である」「いわばデカルト的な身ぶりである。《他者》の視えざる力によって魔術にかけられた世界から身をまもるべく、自分のものを境界線で囲むこと。科学、政治、軍事を問わず、近代にふさわしい身ぶりなのだ」
101「こうした戦略にたいして、わたしが戦術と呼ぶのは、自分のもの[固有のもの]をもたないことを特徴とする、計算された行動のことである。ここからが外部と決定できるような境界づけなどまったくできないわけだから、戦術には自律の条件がそなわっていない。戦術にそなわる場所はもっぱら他者の場所だけである」
175「物語性はディスクールの排除しえぬ残り、あるいはいまだ排除されざる残りであるどころか、ディスクールの不可欠の機能をになうものであり、物語の理論は実践の理論とわかりがたく結ばれているのであって、こうした物語こそ実践の理論の条件であり同時にその生産でもあると考えねばならないのではないか」
180 ドゥティエンヌ『アドニスの園』

アドニスの園―ギリシアの香料神話

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