野家啓一著『物語の哲学』(1996→2005)

物語の哲学 (岩波現代文庫)

物語の哲学 (岩波現代文庫)

起源と目的をもつ「大文字の歴史」が終焉した後、歴史はいかにして可能かを問う。柳田国男の口承論、解釈学、ナラトロジー科学史における歴史叙述などの成果を踏まえて物語り行為による歴史を追求し、小さな物語のネットワークとしての歴史の可能性を考察する。単行本を増補し、物語り論的歴史哲学を深化させた新編集版。

序 「歴史の終焉」と物語の復権
第1章 「物語る」ということ―物語行為論序説
第2章 物語と歴史のあいだ
第3章 物語としての歴史―歴史哲学の可能性と不可能性
第4章 物語の意味論のために
第5章 物語と科学のあいだ
第6章 時は流れない、それは積み重なる―歴史意識の積時性について
第7章 物語り行為による世界制作

18「われわれは過ぎ去った知覚的体験そのものについて語っているのではなく、想起された解釈学的経験について過去形という言語形式を通じて語っているのである。「知覚的体験」を「解釈学的経験」へと変容させるこのような解釈学的変形の操作こそ、「物語る」という原初的な言語行為、すなわち「物語行為」を支える基盤にほかならない」
32「むしろ、伝達過程における無限の反復可能性こそが、自己同一的な超越的見の独立自存という物象化的錯視を生み出すのである」
37 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

86「それゆえ、この年代記作者は「私は奇襲作戦を提案した」および「味方の部隊が勝利をおさめた」という二つの出来事を独立に記述することはできても、両者を連関させて一方が他方の「原因である」と述べることはできない。「現在」が「過去」に転化する一瞬を捉えて出来事を記述することを役目としている以上、彼は「原因である」や「運命づけられた」のような遡及的にに過去を再編成するような語彙をもたないからである。つまり、彼は複数の出来事を一定のコンテクストの中に位置づけ、関連づけることができないのであり、一言でいえば「物語」を語ることができないのである」
89 リクール「どんな物語文も後世の歴史家によって修正を受けるのを免れ得ないのであるから、物語的言述は本質的に不完全である」『時間と物語Ⅰ』
152「その(「〈歴史の終わり〉の終わり」)の弔鐘をヘーゲル歴史哲学に手渡す引導として真っ先に打ち鳴らしてのは、バーゼル大学におけるニーチェの同僚J・ブルクハルトであった」
154「ブルクハルトもまた、弁神論や救済史観によって代表される「大きな物語」を拒絶し、受苦的人間が語る「小さな物語」のネットワークとして歴史を構想しようとしていたのである」
157 歴史哲学テーゼ
(1)過去の出来事や事実は客観的に実在するものではなく、「想起」を通じて解釈学的に再構成されたものである。[歴史の反実在論]
(2)歴史的出来事と歴史叙述とは不可分であり、前者は後者の文脈を離れては存在しない。[歴史の現象主義]
(3)歴史叙述は記憶の「共同化」と「構造化」を実現する言語的制作(ポイエーシス)にほかならない。[歴史の物語論]
(4)歴史は未完結であり、いかなる歴史叙述も改訂を免れない。[歴史の全体論ホーリズム)]
(5)「時は流れない。それは積み重なる。(Time does not flow. It accumulates from moment to moment)[サントリー・テーゼ]
(6)物語りえないことについては沈黙せねばならない。[歴史の遂行論(プラグマティックス)]
161 大森荘蔵の「想起過去説」
194 オースティン『言語と行為』
言語と行為

言語と行為

201「サールは、通常の言語行為において適用される語ないしは文を世界と関連づける規則、すなわち言語と実在との結びつきを確立する規則を「垂直的規則(vertical rule)」と呼び、それに対してこの垂直的規則によって確立された関係を破るような言語外的・非意味論的規約を「水平的規約(horizontal convention)」と呼んでいる。この規約は話者の発語内行為を世界へと関連づける垂直的規則の働きを停止し、話者が実在へのコミットメントなしに言語を使用することを可能にする。あるいは、読者がテクストをフィクションとして読むときに発動される規約だと言ってもよい」
210 丸山圭三郎「身分け構造/言分け構造」
215「それゆえ(クリプキの)「因果説」のもともとの目的は、言語の志向的機能を何らかの心的作用に基づける考え方を排し、それを実在論的ないしは物理主義的に説明するところにあった」「しかしわれわれは、指示行為の実在論的・物理主義的解釈は「因果説」を要求するとしても、その逆、すなわち「因果説」を採ることは指示の物理主義的解釈を必ずしも帰結しない、と考える」「つまり「因果説」は、クリプキの奉ずる科学的実在論本質主義からは相対的に独立だと考えるのである」
308「こうしたヘンペルの大胆な問題提起をきっかけに、英語圏では歴史学方法論をめぐる激しい論争が展開された。E・ネーゲルやK・ポパーらの科学哲学者は科学の方法の統一を掲げてヘンペルの見解を擁護し、それに対してW・ドレイ、I・バーリン、W・ウォルシュらの歴史哲学者は因果的説明には還元できない歴史的説明に独自の契機を、たとえば行為者の意図を考慮した「理由による説明」(ドレイ)のような形で導入することによって、ラディカルな科学主義に対して反論することを試みた。そのような論争状況の中に、「物語り論」 という全く新しい視角から切り込んだのが、A・ダントーの『歴史の分析哲学』(1965年)とW・B・ギャリーの『哲学と歴史理解』(1964年)であった」
318 レイモン・ピカール「ハイ・ナラティヴィスト」と「ロウ・ナラティヴィスト」「一方には〈ハイ〉ナラティヴィストと呼びうる論者がおり―例えばロラン・バルトとヘイドン・ホワイト―彼らは、すべての文化は言語の内部にあるのだから、テクストと世界の間の相関関係を規定することは不可能である、という見解をとる。他方には〈ロウ〉ナラティヴィストがおり―例えばポール・リクールとデイヴィッド・カー―彼らは世界とテクストとの間の関係が複雑であることは認めるが、なおを物語りの中で生起することと世界の中で生起することの間の結びつきを主張する」
320 「以上のような分類からすれば、私自身の立場はロウ・ナラティヴィストのそれに近いものとなる。つまり、物語りを外部をもたない自己完結した「テクストの織物」と見るハイ・ナラティヴィストの見解を退け、物語りを直接的体験(生きられた体験)を境界条件としてもつ外部に開かれたネットワークと見る立場である」
360 リチャード・J. エヴァンズ『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話』「改めて歴史記述の「客観性」を擁護する論陣」
歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話

歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話

森『歴史叙述の現在』
歴史叙述の現在―歴史学と人類学の対話

歴史叙述の現在―歴史学と人類学の対話

小田中『歴史学って何だ?』既読
歴史学ってなんだ? (PHP新書)

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

362 上村『歴史的理性批判のために』高橋『記憶のエチカ』本書への批判
歴史的理性の批判のために

歴史的理性の批判のために

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

368「高橋(哲也)氏は私が亀井(勝一郎)の文章を引用したことに触れて」「ただ、少なくとも私にとっては、紋切り型の凡庸な「左翼」よりは、反面教師であることも含めて、優れた「右翼」から学ぶことの方がはるかに多いのである」!