デ・ガエターノ,ロベルト編著『ドゥルーズ、映画を思考する』(1993=2000)

ドゥルーズ、映画を思考する

ドゥルーズ、映画を思考する

「もはや、われわれは“映画とは何か?”とではなく、“哲学とは何か?”と問わなければならない」。現代思想の雄、ジル・ドゥルーズの大作『シネマ』が投げかけた問題をめぐって交わされた映画論の極致。

ドゥルーズ、シネマを思考すること ロベルト・デ・ガエターノ 著 1−6
「シネマ」の理念、そして「フイルム」の理念について ジャン=ピエール・エスケナジ 著 7−45
ドゥルーズ、シネマ、そして歴史 ジャン=ルイ・ルートラ 著 46−69
シネマ地理学 ロベルト・デ・ガエターノ 著 70−131
トランスフォーマーとしてのドゥルーズ、あるいは精神自動機械としてのシネマ レダ・ベンスマイア 著 132−177
思考者のイマージュ ストヤン・ペルコ 著 178−211
語られる主体 ルカ・ヴァンノーニ 著 212−242
鏡に映った時間 マウリツィオ・グランデ 著 243−304
時間のシーニュ アンドレ・スカラ 著 305−336
ひとつの生とオーディオ—ヴィジュアル 広瀬純 著 337−370
『シネマ』と三人の哲学者 増田靖彦

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歪形するフレーム―絵画と映画の比較考察

歪形するフレーム―絵画と映画の比較考察

33 訳注17 クリスタル-イマージュ「ドゥルーズの「クリスタル-イマージュ」概念は、例えば、合わせ鏡を例にとると理解しやすい。合わせ鏡に無数の鏡像が出来るように人物を配置し、当の人物が無数の鏡像の中に紛れ込むように注意深く撮影すると、どれが現実の人物(現勢的なイマージュ)でどれが鏡像(潜勢的なイマージュ)なのかが識別不可能なイマージュを作ることが出来る。このおうにして現勢的なイマージュと「その」潜勢的なイマージュとが無限に交換され続ける回路を、ドゥルーズは「クリスタル」と呼んでいる」
98「主観性と客観性の二極を乗り越える」「偽装(シミュラシオン)」「この場合には、「主観的なもの」[登場人物が主観的に見るイマージュ]と「客観的なもの」[カメラが客観的に見るイマージュ]が、両者のあいだで行われうるすべての同一化を問いに付し、また両者がとりうるすべての対置関係を遠いに伏して、[お互いに]それぞれの視点を偽装するようになる」
102 映画の自己反省性 映画のアナロジーとしての鏡の使用(ジョセフ・ロージーや撮影監督ミルトン・クラスナー)
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時間と物語〈1〉物語と時間性の循環/歴史と物語

時間と物語〈1〉物語と時間性の循環/歴史と物語