アレクサンドル・ソクーロフ監督『静かなる一頁』(1993)

 荒廃した集合住宅の無機質な外壁を俯瞰で収めるキャメラはゆっくり下を向き、その脇を流れる暗く淀んだ運河を収める。その水流は流れる小舟から運河沿いの寂れた住宅を撮影した次なるショットになめらかに継承され、まもなく狭い階段にうなだれながら座り込む憐れな女性を目撃することになるだろう。

 原作『罪と罰』を翻案して制作された『静かなる一頁』では、しかし、ラスコーリニコフによるアリョーナの殺害も、ソーニャによる回心も直接的に描かれることはない。貧窮に喘ぎ滅びゆく帝政ロシアの街並み、道行く男に金銭や食料をせびる物乞い、口にものを頬張りながら下品な言葉で立ちんぼうする売春婦、痩せこけた犬。19世紀的終末観を思わせるこれら舞台装置が寡黙かつ寂しげに配置された都市に、どこからともなく老婆殺害の噂が迷い込み、そこで生活する人びとをざわめかせる。

 建造物の窓や階段から、まるで自死を望むかのように歓喜しながら次々と飛び降りる人びと、その落下先に見える水中都市が夢か現実か説明されることはない。薄幸の美少女エリザヴェータに自首を暗示されたアレクサンドル・チェレドニク演じるラスコーリニコフと思しき貧乏青年が、獅子の像の腹部に潜り込み、眠りにつくかのようにエンディングを迎える際の彼の真意とその後も明らかではない。

 しかし、アレクサンドル・ブーロフのキャメラによって捉えられ、マーラーの『亡き子をしのぶ歌』が全編を通して響きわたる、霧と犬と売春婦によって構成されたこのマジック・リアリズムのような終末観は、原作以上に19世紀的主題を光のイマージュによって現代に蘇らせ、ドストエフスキーソクーロフの世界を決定づけている。