中条省平著『クリント・イーストウッド─アメリカ映画史を再生する男』(2001→07)

稀有なアクションヒーローにして、多彩なジャンルで傑作を創る監督・製作者。アメリカ映画誕生から100年を超えて、ハリウッド映画の黄金期を現代によみがえらせる一人の天才の物語。『荒野の用心棒』から『スペースカウボーイ』までの軌跡を描いた元版に、“硫黄島”二部作までの近年の歩みを論じる「二十一世紀のイーストウッドは十字架の彼方に」を新たに加筆しておくる増補決定版。

はじめに アメリカ映画の歴史の再生
第1章 ハリウッド崩壊とマカロニ・ウエスタン
第2章 最後のウエスタン監督
第3章 B級映画によるサバイバル
第4章 フィルム・ノワールの新たな展開
第5章 アメリカン・ドリームの行方
第6章 教育とイニシエーションという主題
第7章 新しいアクション映画の探求
第8章 「アメリカ人の人生に第二幕はない」
補章 二十一世紀のイーストウッドは十字架の彼方に

19「50年代ハリウッドの精華は、60年代に入ってまもなくスペインで散る」ニコラス・レイキング・オブ・キングス』『北京の55日』、アンソニー・マンエル・シド』『ローマ帝国の滅亡』はスペインで撮影された。これら映画はすべてサミュエル・ブロンストン製作。ロシア出身。ロシア革命からの亡命者としてフランスに移住。フランスでMGMのブローカーのち、コロンビアの製作、独立し、スペインのマドリッドに映画スタジオを設立。
26「蓮實重彦は『拳銃魔』のジョセフ・H・ルイス監督が映画を捨ててテレビ
47 幕間, ルネ・クレール
85 ウォルター・ウェンジャー, プロデューサー。ドイツ系知識人・映画人ネットワーク。フリッツ・ラング『暗黒街の弾痕』『緋色の街/スカーレット・ストリート』(ジャン・ルノワール『牝犬』のリメイク)『扉の絵の秘密』

93 第十一号監房の暴動, ウォルター・ウェンジャープロデュース
95 ボディ・スナッチャー/恐怖の街, ドン・シーゲル監督, ウォルター・ウェンジャープロデュース
108 ブルース・サーティーズ、撮影監督、ベン・ハーのロバート・サーティーズの息子、『白い肌の異常な夜』以降『恐怖のメロディ』から『ペイルライダー』までイーストウッド監督作に参加。
114 誘拐魔, ダグラス・サーク
140 ゴダールの探偵
199 恐怖のメロディ, クリント・イーストウッド
200 エイブラハム・ポロンスキーバッド・ベティカー
203 「藤崎康は、イーストウッドを、ヒッチコックフリッツ・ラングなど、ハリウッド古典時代の映画監督の技法を受け継ぎながら、サミュエル・フラーロバート・アルドリッチドン・シーゲルなど、撮影所システム解体後の50年代シネアストの姿勢に学ぶ「由緒正しい後継者」だときわめて的確に評している」
205 フェリス・ウェブスター、ジョエル・コックスイーストウッド監督作の編集者
235 ラスト・タイクーン, エリア・カザン、ハリウッドの大物プロデューサー、アーヴィング・さるバーグの生涯、『グリード』の製作でシュトロハイムと対立・追放。キング・ヴィダービッグ・パレード』『群衆』、『ベン・ハー』、トッド・ブラウニング『フリークス』、マルクス兄弟『オペラは踊る』などをプロデュース。
236 バード, クリント・イーストウッド
245 ホワイトハンター ブラックハート, クリント・イーストウッド、『アフリカの女王』撮影に同行したピーター・ヴィアテルの小説が原作。ヴィアテルは映画一家で、本人もヘンリー・キング『陽はまた昇る』、ジョン・スタージェス老人と海』など、ヘミングウェイの映画化作品でシナリオに参加した。
255 イーストウッド「当時、映画には二つの流派があった。フォード、ウォルシュ、ホークス、ウェルマンの流派と、映画をいろいろ編集できるようにできるだけ多くのショットを撮っておくスティーヴンスやワイラーの流派だ。私は最初の流派の方が好きだな。頭のなかにあるのと違う映画を撮る理由はないからね」
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映画作家論―リヴェットからホークスまで

映画作家論―リヴェットからホークスまで

 世界に通用する数少ない映画評論との評価をどこかで読んだが、たしかに周到なリサーチに支えられた映画知識と、フィルムの細部を見逃さない動体視力と、思考に踊らされない映画への愛情をすべて兼ね備えたような名著。
 イーストウッドは「最後の映画作家」と呼ばれる。すなわち、ジョン・フォードハワード・ホークスウィリアム・ウェルマンラウール・ウォルシュなど、30年代以降「プロデューサーの時代」を巧みにくぐり抜けながら独自の作家性を維持した映画を撮った名匠の技法を受け継ぎながら、サミュエル・フラードン・シーゲルロバート・アルドリッチなど、撮影所システム解体後の50年代シネアストの姿勢に学び、映画産業の製品としてではなく、ひとりの作家の作品として映画を撮る数少ない監督という意味だ。
 そして、私もまた彼の映画のファンであるし、『グラン・トリノ』ラストで銃殺された老人ウォルト・コワルスキーのように、俳優としてリタイアしたあとの評判の悪い作品群をー『アメリカン・スナイパー』ですら!ー擁護した。
 しかし、映画を作家性から擁護するこうした立場はすでに瀕死であり、新時代の映画に応じたしかるべき言語を紡ぐ必要に日々迫られている。それは取りも直さず、中条も同書で頻繁に引用する蓮實重彦的な映画批評をいかに超えるかでもある。つまり、30年代に成立し、50年代の崩壊期までの「古典的ハリウッド」の時代に成立した文法、「「説話論的な持続と主題論的な体系」が「観客の映画的な欲望の充足にもっとも効果的に機能すべく按配されており、そこでは「欠如と過剰とが嘘としか思えない自然さで調和しあって」いるような映画」を肯定する態度である。
 この基準を参照してしまえば、崩壊期以降の均衡を欠いた映画ー60年代ニュー・シネマはいうまでもないーのすべてを秩序の喪失を意味する解体論であっさり否定できる。しかし、2015年の現代でそれはあまりにナイーブな態度だろう。