長谷正人著『映像という神秘と快楽 -〈世界〉と触れ合うためのレッスン』(2000)メモ

映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

映像を「見る」という人間中心主義から離れて、映像に「触れる」ことから見えてくる、映像体験の不気味さや神秘性。またカメラ的視線の持つ可能性、映画の「反復運動」について、自己の体験に照らし語る。


第1部 写真という神秘と狂気
 1 ベルグソン、あるいは写真としての現実 
 2 バルト、あるいは触覚的メディアとしての写真 
 3 バザン、あるいは痕跡としての写真 
 4 「人影」、あるいは写真としての原爆 
 5 べンヤミン、あるいは視覚的無意識としての写真
 6 記憶痕跡としての写真---手塚治虫の『白い幻影』
 7 ゴーリキー、あるいは単調な灰色の世界としての映像
 8 戦時下のヴァーチャル・リアリティ---『南の島に雪が降る』 
 9 「まなざしなき視覚」とヴァーチャル・リアリティ 
第2部 カメラという残酷と愛情
 10 顔写真の政治学---「酒鬼薔薇聖斗」問題をめぐって 
 11 意味記憶エピソード記憶---『記憶が失われたとき」 
 12 ドキュメンタリー映画における単独性
 13 生命なき世界としての視覚的失認症
 14 「具体の視線」としてのイディオ・サバン
 15 バラージュ、あるいは相貌的知覚としてのカメラ 
 16 蓮實重彦、あるいはカメラの眼をもった男 
 17 子供の視線としてのカメラ---ロッセリーニからキアロスタミ
 18 ピロピロ笛、あるいは存在の情けなさとしての神代辰巳
第3部 映画という反復の快楽
 19 機械的反復の魅惑としての『どですかでん
 20 フロイト、あるいは映画カメラとしての人間的視線 
 21 快感原則の彼岸としてのリュミエール映画 
 22 アルコール先生、あるいはチャップリンの機械恐怖症 
 23 小津安二郎、あるいは単調な機械的反復 
 24 「空っぼ」の反復という快楽---黒沢清の『CURE』
 25 北野武、あるいは「死」の快楽としての反復 
 26 アドルノとホルクハイマー、あるいは古典的ハリウッド映画における反復 
 27 映画観客の笑いと機械的反復
 28 ドゥルーズ、あるいは世界を信じることとしての映画 
あとがき

p.12

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

p.17
明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

p.126 神代辰巳監督『悶絶!!どんでん返し』ピロピロ笛, 『棒の哀しみ』